SAKUYA 2
同じ国の出身者は、私のことを気にかけてくれた。
僅かに渡される水と食料を、私に分けてくれようとさえする。
しかし、私は巫女の家系とはいえ、今ではただの奴隷でしかないのだ。それに、他人を犠牲に生き残るなんて、私は厭だ。犠牲になろうとした私が言うのは、矛盾しているようだけれど。
私たちを馬車に詰め込んだ奴隷商たちが、外で話をしているのが聞こえた。
「今回は高く売れそうな商品が入ってよかったなあ。あの娘は高値で売れそうだからな」
「あの見目で、カグラツチの姫と言うのですからなあ。正直、このままでは目玉の商品がありませんでしたからね」
「まったくだ。いやあ、戦争はいいなあ!奴隷は手に入るし、武器は売れる。いいことばかりだ」
そんな言葉を聞いて、私はため息をつく。
西方民はこれだから、と。
私はこれから自分を襲うであろう運命を、怯えてまっているしかなかった。
それでも、怯えを表に出すことはできなかった。
ここには、私に付き従ってくれた兵士や、国から拉致された女子供もいる。
私が弱みを見せてはいけない。私はコノハナ家のものなのだから。
見慣れぬ土地。
夕刻の中を、多くの人が通っている。森林の奥にある複数のテント。
奴隷商に歩くよう指示されながらも、私はテントの隙間から中を見た。
そして、思わず目を背けた。
テントの中の光景は、今まで平穏の中に生きてきた私には、あまりにも衝撃的であった。
肌をあらわにした女性が、泣きながら組み敷かれる。そんな光景を。
信じられない、と言う顔で蒼白になる私を見て、奴隷商は笑う。
「その反応からすると、やはり初物か。これはいい商品になるなあ。味見しなくてよかったぜ」
下卑た笑みを浮かべる男に、私は鋭い視線を向けるが、男は肩を竦め、にやにやと笑う。
「おお、怖い怖い」
「いつか、お前たちに女神の裁きが下るぞ!」
「神なんて怖くねえなあ。人間様こそがこの世界の支配者なんだから!」
そして、と男はニヤリと笑う。
「奴隷は人間じゃない。家畜畜生さ。あんたも、奴隷として買われ、男の腕の中でよがることになるんだぜ、お姫さん」
そう言い、私の胸に手を伸ばす男。その手を、不自由な右手で何とかはねのける。
「楽しみだなあ。その顔が絶望で染まるのがなあ」
薄暗いテントの中は、多くの人であふれていた。
髪の色、瞳の色、肌の色。時には、共通言語を話さない民族さえいた。
多種多様の人間が、捕まえられ、尊厳をにじられている。そのことに私は衝撃を受ける。
外の世界は、あまりにも恐ろしい。
カグラツチが、非常に恋しくてたまらなかった。
何不自由しなかった。
自分の境遇に、疑問さえ抱かずに、平和だった今までを。
未だ、女神の救いは訪れていない。
このまま、私は奴隷として一生を終えるのだろうか。
そんなことは、嫌だ。
気づくと、あれだけ人に溢れていたテントは、もう私以外いないようであった。
孤独。
暗闇の中で、膝を抱えて、私は泣いた。
誰もいないから、私は演じることを辞めた。
弱い自分をさらけ出す。
涙が零れる。
しかし、涙が堕ちる前に、光がさした。
私は泣くのをやめ、涙をぬぐい、光の方向に目を向ける。
下卑た笑みを浮かべる男たちが私を見ていた。
私は喫然とした態度で男たちを見る。
最後まで、私は諦めるつもりはない。
きっと、女神は私を救ってくださるはずだ、と。
「さて、これまでも多くの奴隷を見てきた私ですが、その中でもこの奴隷は一級品と言っていいでしょう。東方の至宝!漆黒の髪は、この世のものとは思えない!自信を持って、皆様にお披露目いたしましょう!」
頬のこけた、中年の男が私の手前に立ち、眼前の集団に向かって言う。
集団の、特に男たちが目の色を変えて私を見る。不快な視線。じろり、と私の身体を、顔を見回す。
不快な人の思念に、吐き気さえこみあげてくる。
「さあ、この高貴な奴隷をどうかご自身のものとしませんか?私が最高のものと保証します!」
男は私を振り返ると、強い力で私の顎を掴む。
嘲笑の色が浮かぶ。女を道具としてしか見ない、そんな瞳。
「もちろん、まだ生娘です・・・・・・・さあ、それでは・・・・・・・・」
私は耐えきれず、叫んだ。
「離せ!」
そして、ささやかな抵抗として、私は口に含んだ唾液を、男の顔に吹きかける。
「我が国民を解放しろ、野蛮な西方民!」
私の叫びを聞いて、観衆はより興味を強めたような眼で私を見る。目の前の男は、嗤いながら私の唾をふき取ると、静かに言った。
「・・・・・・・少々、手がかかりますが、まあ、それも奴隷をしつける醍醐味でしょう」
それでは、と言い、奴隷市の最後の商品である私への落札が開始された。
金額のことはよくはわからないが、観衆の熱狂に、邪悪な思念に、私は吐き気をこらえる。
膝は震え、これからの運命を私は考えた。
あの女性のように、私は男たちの欲望のはけ口とされるのか?
それだけは、嫌だ。
そんな私の意思に関係なく、落札は終了した。
男曰く、今日の最高額だそうだが、そんなこと、私には関係のないことだった。
落札した大男が前の舞台に進んでくる。
でっぷりと膨れた腹と、煮えたぎる欲望を隠さぬ顔。
不快感を隠さずにはいられず、顔を背ける私。
大男は司会の男に金を渡すと、私の顔を掴み、こちらに向かせると、にやりと笑う。
そして、いきなり私の身体を持ち上げた。
「おや」
「なんだ、ここでやっちゃあならんか?」
「いいえ、その奴隷はもうあなたのモノですし、まあ、別にいいですよ」
司会の男がそう言うと、大男は片腕で私の身体を支えると、左手で私の体を覆っていた布きれを、引きはがす。
私の身体は、なにも守るものがなくなる。
恥辱に顔が染まる。
「きゃあああああああああああっ!!」
悲鳴を上げる私に、ますます興奮したのか、鼻息を荒くする大男。
「さあて、それじゃあ、この娘の初めて・・・・・・・みんなに見てもらおうじゃあないか!」
舌なめずりの音が、耳のすぐ後ろでした。
恐怖に体はすくむ。
ああ、女神様。私を、お助けください。
目を閉じて、祈る私。この祈りが届くとは、思ってはいなかった。
両の眼から、滴が零れ落ちる。
その時。
微かな悲鳴と斬撃の音。
そして、それに目を開いた私がみたもの。
それは紅いフードを被り、深紅の衣を纏った、小柄な人物であった。
紅い侵入者は、瞬く間に私を持ち上げる男の両腕を斬り飛ばす。
私を拘束する腕から逃れると同時に、私の身体も重力に従い落ちて行く。
そんな私の身体を、私より小柄なその人物は受け止める。
その身体からは想像できない力で私を受け止めると、両手を失った大男に向かって、何かを放つ。
大男は後ろに崩れ落ちた。
そのあと、その人物は私を庇いながら戦い、私に自身の衣をかぶせてくれた。
こうして私は彼女に救われた。
けれど、彼女は私の望んだ女神ではなかった。
なぜなら、彼女の瞳の中には、強い憎悪の念があったから。
彼女は、復讐の女神なのだろう。
私はそんな彼女の纏う死の雰囲気に、吐き気を覚えていた。
そして、そんな彼女に恩義を感じながらも、彼女を理解しようなんて全く思いもしなかった。
彼女と、彼女の師である人物により、全員ではないが、カラクの民は救い出された。
カラクの民に、少しばかりの武器と金を渡し、ローザと言う女性は言った。
「ここから先にある街のタラントと言う人物を訪ねるといい。私の名を出せば、あなた方を連れて行ってくれよう」
そう言い、彼女は私を見る。
「カグラツチの巫女殿もそれでよろしいでしょうか?」
驚いたことに、彼女は私を見てカグラツチの巫女だと思ったらしい。
異国人なのに、彼女はカグラツチに関して、知っているようだった。
「いえ、私は戻りません」
「サクヤ様!」
声を上げるカラクの民の男に、手で制す。
「これだけの恩を受けたのだ。返すのが、当然であろう」
恩義を受けたならば、返せ。それがカグラツチに生きる者の流儀だ。
「・・・・・・・・・・まあ、私は気にはしないのですが、あなたがそうしたいというのならば」
そう言い、礼を取ろうとする女性に私は言った。
「私は巫女ではないから、必要以上の礼は不要です」
「それは失礼を」
そう言い笑う女性。どこかつかみどころのない彼女は、微笑ましく私を見ている。
ばつが悪くなった私は、ふとあの真紅の小柄な人物の姿を探す。
「ああ。彼女なら、いろいろと後始末中だ。さて、その間に、あなたを我が屋敷になんないしよう。・・・・・・・いろいろとお疲れでしょうからね、詳しいことは明日」
そう言い、深紅の髪の女性は穏やかに笑った。
私は、いろいろと聞きたいこともあったが、確かに疲れていた。
精神的にも肉体的にも。
翌日。
私は目の前の少女を見た。
「彼女はヴェンティ。私が世話をしている子だ」
ローザさんがそう言う。ヴェンティ、と呼ばれた子は、感情の薄い瞳で私を見ると、沈黙を守り続けた。
私は確信する。彼女こそ、昨日私を救った復讐の女神なのだ、と。
男だと思っていた。だが、それだけでなく、彼女は私と同い年、もしくはそれより下であった、ということだ。
こんな子供が戦う世界なんて、と私は絶句した。
私は、なぜカグラツチに帰らなかったのだろうと、今更ながら後悔していた。




