20
朝日が昇ってから、私は再びあの洞窟へと向かった。
内部に残されたもんから、何か手がかりがないかと思ったのだ。
ローザは私の報告に対して何も言わなかった。この周囲にヒュドラーやその手のものが来ている、という情報は掴めていないという。ここに私たちがいることは知れているから、来てもおかしくはないが、ヒュドラーが来ることはないようだ。
ヒュドラーとて、下手にローザを刺激することは避けたいのかもしれない。いかにヒュドラーが強力とはいっても、人手は限られている。少数精鋭の組織なのだから。
内部を見て回るが、武器などは徹底的に回収されているらしい。
そもそもなぜ、ヒュドラ-がたかが盗賊のところにいたのだろう。
何かヒュドラーにとって大事なものを、盗賊たちが持っていたのか?
答えが出るはずはない。私はため息をついて、洞窟を後にした。
ふと、洞窟を出たところで視線を感じた気がした。だが、それは一瞬、それもわずかなものであった。
動物か、気のせいか。いや、昨夜の相手かもしれない。
警戒をしながら、私は歩き出す。
気配は感じられなかった。
私はラウシルンの街へと入る。
ラウシルンの貧民街。そこは日中でも犯罪が多発する。小さないざこざなら、私が介入する必要はない。気づかれないように手を差し伸べるだけでいい。
だが、子どもの売春を強制するもの、レイプ魔などの救いがたいクズもいる。おそらく、同じことを繰り返し、その手を血に染めたことのある者たち。そう言う者たちは、私がこの手で裁く。
そうして街の屋根の上を走る私の耳に、悲鳴が聞こえる。複数の男の声。
獣たちの荒い息。私はその方向へと向かう。
私がたどりついた時、男たちは息絶えていた。
女性は床に寝そべり、血に塗れたら体を震わせていた。女性が男たちを殺したわけではないようだった。
まるで、私が来ることを知って、先に仕留めたかのように思える。
一体何の目的があって?
私は真紅のフードの奥から視線を彷徨わせる。時折感じる視線。それをかすかに感じる。
「出て来い、私を見ていることはわかっている」
私はそう言い、部屋の中を見る。ふと、窓に影が差し、外へ向かって動く。
私は袖口から出した苦無を投げつける。苦無は影を掠った。
私は女性に近くにあった布をかぶせると、影を追い始める。
影は素早く屋根を伝っていく。人並み外れた脚力、俊敏性。それは、私たちヒュドラーの使う薬によって得られたものだろう。
人に見られないよう、敵と私は移動する。敵との距離は変わらない。私は苦無を投げようとするが、距離的に無理だと悟る。
しかし、私はニヤリと笑う。どうやら、地形は私の方が把握しているらしい。
敵はうまく、人気の少ない行き止まりの方へと進んでいる。貧民街は入り組んでいて、ふとしたところに行き止まりがあるのだ。さすがに、敵はこれを知らないようだった。
敵は思惑通りに、そちらに向かった。
屋根を飛び降り、敵はようやく気付いたようだった。自分がまんまと誘われた、ということに。
敵は横道に逃れようとするが、屋根から飛び降りた私がその前に立ちふさがると、退路を断たれる。
「観念しろ、ヒュドラーの暗殺者」
私はそう言い、腰の刀を引き抜く。
敵は黒いフードで顔を隠している。身長はそれほど高くない。大人、というには背が低い。
敵は黒い衣の奥に刀とそれ以外の武器を隠し持っていた。敵は衣に手を入れようとする。
そこに、私の放った苦無が足元に突き刺さる。
「この間のように、糸でからめようとしても無駄」
そう言うと、敵は観念したように両手を上げる。
私は敵に近づき、刀を突きつけ、敵の武装を解除する。油断は一切ない。隙を見せたら、また敵は逃げるだろうから。
私は敵の武器をすべて奪ったところで、その黒いフードを刀の先で下す。
その下から現れたのは、紺色の髪の少年の顔であった。
温度を感じぬ、無表情。瞳は深海を思わせる色。
年齢的にも、私と同じほど。だが、私は彼を知らない。
「お前は誰だ、なぜ、私を見張っていた?」
「・・・・・・・・・・」
少年は沈黙を貫く。目先に刀を突きつけられても、動じない。
「応える気はない、か。ならば」
私が刀を振り上げようとした瞬間、彼は言った。
「俺は君の敵じゃない」
私の刀が、彼の首のすんでのところで止まる。
「敵じゃない?」
「そうだ」
「お前はヒュドラーの人間だろう?」
少年はこくりとうなずく。
「ならば、私の敵だ」
「忘れたのか、俺のことを」
「・・・・・・・・!?」
「あの日の、約束のことも」
あの日の約束?何を言っている。私は混乱した。私は彼を知らない。だが、彼は私を知っている。
「私を殺しに来たのではないか?」
「君が生きていることを、俺は知らなかった。俺の任務は、あるものを賊から取り戻すこと」
「お前は、誰だ?」
そう言うと、彼は静かに笑った。その時、初めて感情が見えた。哀しい瞳であった。
深海のような瞳を、いつか見たことがあった気がした。
いつか、そう、身近にいたのだ。遠い昔、まだ、私たちが子どもだったころに。
記憶の中を、辿る。
『独りじゃないよ』
黒髪の彼女がいう。違う、それよりも前に、私は彼と会っている。
紺色に近い黒髪が、目に映る。
昔から、私の隣には彼女がいたと、私は思っていた。いや、違う。
最初に私の隣にいたのは、彼女ではない。
彼だったのだ。
『遅すぎるなんてことはない。生きている限り、ね』
彼は、別れ際にそう言った。
一人、その才能を認められ、アンドラスらに特殊な訓練を受けさせられるために、引き離されることになった少年は。
私は泣いていた。大人たちに見つからないように、二人だけの秘密の場所で。
彼が好きで、ずっと追いかけてきた。もっと、一緒にいたかった。自分の気持ちに気づいた時には、もう遅すぎた。
自由のない私たちは、過酷な運命を受け入れるしかない。幼いながらに、私たちは理解していたのだ。
泣きじゃくる私の言葉を聞いて、彼は言ったのだ。
『じゃあ約束しよう。いつか、きっと迎えに来る。強くなって、君を。だから、その時は一緒に行こう』
そう言って、彼は笑った。
『外の世界へ』
泣きやんだ私は、彼の瞳を覗き込む。
『約束・・・・・・・・・』
『ああ、約束だ』
「・・・・・・・・!!」
「思い出してくれたかい?」
彼はそう言い、私を見る。だが、私は刀を構え、彼を牽制する。
「来ないで!」
「何故?」
彼の問いに、私は返す。
「あなたはヒュドラーにいる!あなたは、敵だ!」
「なぜ、ヒュドラーを嫌うんだ?君だって、組織の一員だろうに。何の任務かは知らないけど、こうしてまた会えたんだ。なぜ・・・・・・・・・・・?」
困惑した少年。私は彼を見る。
彼の中には、組織に対する疑問など、何もないのだ。私や、死んだ仲間たちとは違う『教育』を受けたエリートなのだ。彼には、組織への疑問などない。ただ、組織のために戦うだけなのだ。
「私は、ヒュドラーじゃない。私の名前は、『VENGEANCE』だ」
そう言った私に、彼は目を細める。
「我らに仇名す敵の名前か」
彼はそう言うと、私に手を差し伸べる。
「なあ、君だってわかっているはずだ。ヒュドラーには、誰も、神でさえ敵わぬことは。悪いことは言わない。僕とともに戻るんだ。アンドラス様も許してくれる。一緒に、外の世界を見ることだってできるんだ」
彼はそう言った。
彼の目は、狂信的な光を放っていた。ヒュドラ-の、絶対的な教育。
私を助けるような真似も、私を見ていたのも、すべては幼いころの「約束」故なのだろう。
彼はその約束さえなければ、私に手を差し伸べはしないだろう。
異常だ。私は組織の異常さを改めて実感する。
遠い昔、隣にいた優しい少年の姿は、そこにない。
「お前なんて、知らない」
話し合うことは不可能。私と彼には、闘う以外の道はない。
刀を構え、敵意を隠さない私を見て、彼は言う。
「そうか、君がそのつもりなら、無理やりにでも連れて行くよ」
そう言うと、彼は刀を持った私の身体に接近する。急激な動きに、反応できない私。そんな私の懐に手を入れる。そして、私の繰り出した剣戟を回避し、後退する。
二本のナイフを手に、彼は私を見る。
「私は、戻らない。ヒュドラ-は、帰るべき場所じゃない!」
「いいさ、わからないなら教えてやる。ヒュドラーの偉大さを、もう一度」
どちらともなく、走り出す。互いの武器が交差する。
斬撃が火花を散らした。




