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私は追いかける。暗い闇の奥深くに光る、一点の星を。
決して掴めないと知りながら、私はそれに手を伸ばし続ける。
そこで、私の意識は覚醒した。すぐさま体を起こし、周りを見る。いまだに、組織にいた時の癖は抜けない。いついかなる時とて、気が抜けない日々。だが、周囲に脅威はないようだ。
目覚めた時、目に入った光景は、木製の天井と質素な部屋であった。
窓から見える緑は朝日に照らされていた。
ここは、あの地獄のような場所ではないのだと、私は安堵し、その心地よいシーツに再び倒れ込む。
その時、部屋の扉が開き、女性が入ってきた。灰色の質素なドレスに身を包んだ、紅い髪の女性。
美しく、聡明であるが、彼女には隙がなかった。
憶測にすぎないが、彼女はどこかに武器を隠し持っている。殺意がないため、飽くまで護身用なのだろうが、それでも彼女は異様であった。
どこか、自分と同じにおいを感じた。
女性は盆に載せた食事を、私の横の机に置くと、自身も近くの椅子に腰を下ろした。
「だいぶ、顔色は良くなったようだね」
そう言い、私の額に手を当てる。そして目を覗き込み、笑った。
「特に病気にもかかっていないようだね」
「・・・・・・・・・・・あの、あなたは?」
私はつい、そう聞いてしまった。見も知らぬ怪しい子供でしかない私を面倒見る彼女が、あまりにも不思議すぎて。
私の問いに、女性はフッと笑った。
「私の名は、そうだな、ローザ・ヴェラスコス、とでも言っておこうか」
「偽名ですか」
私は直感的にそう思い、彼女、ローザに言うと、彼女は苦笑する。
「まあね、いろいろと本名だと名が知れているものでね」
後に知ったことだが、彼女にはいくつもの名があり、そのいずれもが有名であった。
少し話しただけだが、彼女は非常に知恵があり、そして、私たち、裏の世界にも通しているかのような口ぶりであった。
「さて、それでは君の名前を教えてもらおうか、御嬢さん」
彼女の問いに私はしばし沈黙し、答えた。
「名はない」
「そう」
そう言い、私の腕のタトゥーを見る。どうやら、深い説明は不要のようだ。
「では、次の質問。あなたは、何を望む?」
その質問をしてきたとき、彼女の優しげな雰囲気は離散し、その瞳に不敵な光が宿る。
私は全身が総毛立つのを感じた。ローザと名乗る女性の、真の姿、なのだろう。理性的で優しげな女性の裏に潜む、巨大な何か。いまだ感じたことのないそれに、私は威圧された。
かつて、アンドラスと対面した時にも匹敵するほどの恐怖を、感じた。
「私が望むのは・・・・・・・・・・・」
その瞳を見て、私は口を開く。乾いた口から力なく声を絞り出す。
思い浮かばれるのは、一番の親友だったあの子。そして、無残に死んでいった仲間たち。
そして、冷酷にそれを見て、私に手を伸ばす、アンドラスらの姿であった。
「私が望むのは、復讐。私たちを利用した、あいつらを、殺すこと」
私がそう言うと、ローザは不敵に笑うと、私に何かを投げる。
私はそれを掴んだ。それは、紅いフードであった。砂漠であった時、彼女がかぶっていたものなのだろう。彼女はそれを投げると、静かに立ち上がった。
「合格だ。あなたが復讐の炎を絶やさぬ限り、この家を好きに使ってくれて構わないよ」
そう言い、部屋を出ようとした彼女は、ふと足を止めて私を振り向いた。
「名前がないといったね、それはなかなか不便だ。そういうわけで、今日から君はヴェンティだ。太陽の薔薇、と呼ばれる、砂漠地帯にだけ咲く花の名前だ」
そう言い、彼女は私を見た。
「どれくらいの付き合いになるかはわからんが、よろしくな、ヴェンティ」
そう言って、彼女は去っていった。
彼女が去った後、私は食事をとった。寝ている間にも、彼女が食べさせるか何かしていたのだろう、思ったよりは空腹ではなかったし、身体も痩せこけていなかった。
先ほどまでは気づかなかったが、この部屋には精神を穏やかにさせる香が焚かれているらしい。ヒュドラーでの訓練で使われた違法薬物ではないらしい。
あの女性が何者かはわからないが、敵ではないことは確かだ。ならば、身体の調子が戻るまではここにいるのが賢明か、と私は思った。
ふと、彼女が渡してきた深紅のフードを見る。意外と上等な生地を使っているらしく、あらゆる環境下に対応させているらしい。
フードの中には、小さく、文字が書かれていた。かすれて読めないものの、予測するにそこには『VENGEANCE』と書かれていた。
確か、西方の言語で復讐を意味するはず、と思った私は、その言葉を言ったローザを思い出す。
彼女の目は、まるで復讐というものに取りつかれたような眼をしていた。
ある程度、体が慣れてきたため、私は体を寝台から起こし歩き始める。流石に最初はおぼつかないが、次第に感覚を取り戻し、すぐに元に戻った。
脚力の筋肉もそこまで落ちていないことから、あれからそれほど日が経っていないとわかる。
あの砂漠から、どれほどの位置にあるのかはわからないが、彼女が一人で私を運んだとは思えなかった。
ローザは確かに隙がなく、そのような訓練を受けているようだったが、あまりにも華奢だ。
私は身体こそ小さいが、筋力はついているので、そこらの子供よりは重い。ただの成人女性が運ぶには重すぎる。
ローザ・ヴェラスコスについての謎は深まるばかりであった。
謎と言えば、この家もそうだ。
この家は最初は小さな小屋程度かとも思ったが、実態は大きな屋敷であった。
華美にならない程度の装飾、自然にあふれた庭園など、おそらく彼女の趣味なのだろう。いずれも手入れが行き届いている。だが、人気は感じられず、私と彼女以外の人物はどうやら居ないようだった。
歩いているうちに、庭園に出てしまった。庭園には、鮮やかな薔薇が咲き誇っていた。ふと目を向けると、庭園には目立たないが多くの毒草や薬草が生えていた。
自白剤となる独奏や、一般には知られないものなど、多くのものが生えていた。
薔薇園のように見えて、実はそう言うものの栽培所なのかもしれない、と思った彼女は、ひときわ目立つ場所、中心に咲く、変わった薔薇を見た。
ほかの薔薇とは違い、彼女が知らない品種だった。彼女の知る国々では見たことはない。
どこか、深紅の色が、ローザと重なった。
「それはヴェルベット・ローズ。西方の国から持ってきたものでね、ここいらの環境に慣れさせるのに、苦労したわ」
そう言い、ローザが後ろから歩いてくる。まったく気配を感じさせなかった彼女は、警戒する私の隣に立った。
「ヴェンティ、肩に力を入れすぎよ。もっと楽になさい、ここはあなたの家なのだから」
そう言い、彼女は笑った。
「今はまだ、復讐の時ではないのだから」
私は彼女を見上げた。武器があれば、居間にも殺せそうな距離。だが、恐らく私は殺せないだろう。
灰色のドレスの下にある少なくとも一本の刃物が、その前に私を殺すであろうから。
得体の知れない彼女だったが、なぜか私は彼女を信頼していた。
燃えるような瞳の奥には、優しさが垣間見えたから。
アンドラスや、組織の大人とは違い、人の感情を持つ彼女は、私が初めてみる種の人間の大人だった。
風が私の髪を揺らした。
揺れる灰色の髪が鬱陶しいので、私はなんとなくフードをかぶった。
深い紅のフードを。