16
私はアイリーンと向き合って、傷の状況を見られている。
あの後、ローザは無言で私を残して家を出ていった。彼女の顔は、言葉にできない、何か後悔や苦しみに満ちていたように見えた。
そんなローザの後姿を見るアイリーンの顔にも、同じような感情の色が見え隠れした。
私は彼女とローザの間のことを尋ねはしなかった。
彼女は無言で、私の腕と手を見ながら薬をつけて、記録をつける。
そんな時間がしばらく続いて、ふと彼女は口を開いた。
「あんたも、辛いところをシルク、いや、ローザに助けられたクチだろう?」
「・・・・・・・・」
私は頷く。すると、彼女は少し明るく顔をほころばせる。
「あの人は何時だって、手を差し伸べてくれる。弱者に対して。助けを求め、でも、手を差し伸べられなかったものに対して」
そう言った彼女の琥珀色の瞳は、少しの悲しみが溢れていた。
「それが彼女の魅力。でも、そんなあの人に、心の弱い人たちは、それ以上のものを求めてしまう」
アイリーンが、静かに言った。心の中の言葉を、紡ぐ。私に聞かせるわけではなく、自分に言うように。
「だから過度に期待してしまう。彼女は、私だけを見てくれる。そんな風に勝手に思い込んで、それで、彼女がそうでないことを知って、勝手に怒って、裏切られた、なんて思って」
「・・・・・・・・・・・」
「ホント、馬鹿みたいよね」
アイリーンの言葉に、返す言葉を私は思い浮かばなかった。
夜になり、私はアイリーンの家を辞した。アイリーンの家は、人が泊まれる環境ではなかったし、ローザはおそらく戻っては来ないであろうことはわかっていた。
アイリーンは寂しげに笑って、私に手を振った。
「私はあなたが羨ましい」
アイリーンは私が家を出る前、そう言った。
「なまじ、彼女と年齢が近かったから、なおさら私は・・・・・・・・・」
そう言った彼女の本心を、私はわからなかった。
適当な宿をとった私は、寝台に寝転ぶも眠れなかった。
なぜか、アイリーンの哀しげな顔が浮かんだ。美女と言っていい彼女が、未だに独り身なのは、きっと、未だにローザを愛しているのだろう。
女性であるアイリーンの願い。だが、ローザにはそれを叶えることはできない。
それが、彼女がアイリーンと会いたくなかった理由なのだ。
彼女が、アイリーンを嫌っているわけではないことはなんとなくわかっていた。
本当に嫌いなら、ローザは私に場所を教えればいいだけなのだ。自分で来る必要はない。
それに、それ以外にも、ローザはアイリーンに対して、何か負い目がありそうだった。
ローザの一通りの過去は知っている。だが、飽くまで一通りでしかない。彼女の人生のすべてを知ることなんて無理だし、二人の思い出に干渉する気もない。
それでも、二人の様子を見ていると、なぜか、落ち着かない。
私の目は冴えていた。眠りにつくことはできなさそうだ。
私は刀を手に取ると、宿の窓から夜の街に出て行った。
夜は門が閉まっているため、壁を伝い、門の外に出た。そして近くの森で、私は刀を振る。
右手はまだ全快ではないが、訓練を欠かすことはない。
私は迷わない。アンドラスを討つ。それだけ。それだけを、私は望んでいた。
私の腕は振るえている。情けないことに、負傷した腕では、満足に振ることもできないようだ。
「駄目だな」
「そうでもないわ」
私の独り言に答える声があった。私は振り返った。
そこには、灰色のマントを羽織ったローザが立っていた。
「ローザ」
「傷があっても、狙いはよかったわ。今までよりもね」
そう言い、近づいてきて、私の頭を撫でた。
「強くなったわね」
私は甘んじて撫でられる。
親と子供。私たちの関係はそう言っていいだろう。
ふと、アイリーンの言葉が蘇る。
「ねえ、ローザ」
「何?」
「アイリーンと、ローザ。なにがあったの?」
私の問いに、ローザは沈黙した。
だが、私の強い視線に見つめられてか、彼女はため息をついて、私を見る。
「わかったわ。話すわ」
そう言い、彼女は近くの倒れた木の幹に座る。私もそれにならって岩の上に座った。
「私が彼女と出会ったのは、数年前。ちょうど私が、依然話した男性と出会ったころね」
そう言い、彼女は遠い昔の記憶を思い出すように呟いた。
「彼女は私の友であり、私自身だった。私が『復讐』の道を離れた時、アイリーンが『VENGEANCE』の名を継いでいた」
そして、彼女は過去の話を語る。月明かりに照らされながら。
私は一人の男性、サラディン・ヴェラスコスとの逢瀬を重ねていた。
夜は『VENGEANCE』として、昼は仕立て屋の職人として働きながら。
当初はサラディンとの付き合いは、夜の顔を隠すためのものでしかなかったのに、いつしか私の心は彼に魅かれていた。私は次第に腕の衰えと復讐という意思が薄れていることを感じていた。
女としての自分。それはとうに捨てたはずだったのに、私の中に残っていた。
そんな時に、私はアイリーン・ヴォルテークと出会った。
アイリーンはその時、ある用があって、アンバーンから私の住んでいた場所に来ていた。
彼女は魅力的な容姿であったから、彼女に男たちが目を付けたのも不思議ではなかった。
今よりも若く、今ほど明るくもなかった彼女は暴漢に襲われ、彼女の自由を奪われようとしていた。
そこを、私が助けた。
「大丈夫か?」
「え、あ、はい」
怯えながら私を見上げる彼女。私は手を差し伸べて、力なく座る彼女を立たせた。
しばらく私たちの街に滞在するという彼女は、ろくに金もなくて宿がとれなかった。薬師としての修業のために来た彼女は、途方に暮れていた。
私は彼女に私の家に上げ、ともに過ごすことになった。
当初は薬学の修業に専念していたが、そのうちに私の夜の活動にも興味を持ち始めた。
彼女は男性には興味がないらしく、私に好意を隠さなかった。私のためになりたい、という彼女に、私は強い言葉で断ることはできなかった。
数か月間、彼女とともに、街に巣食う悪党や奴隷商人といった犯罪者と戦った私たち。お互いに最高のパートナーとさえ思っていた。
彼女は私に自身の思いを伝えることはなかった。私にはサラディンがいたことを知っていたし、彼女も自分が世間で見れば異常なのだ、と認識していたから。
彼女の気持ちを知っていたけど、私は答えることができない。私は彼女の好意を利用し続けた。
私はある日、サラディンから結婚の申し出を受けた。私はその言葉を一度は断った。私には『VENGEANCE』という使命があるから。彼も、私の裏の顔は知っていた。彼は悲しそうな顔をしながら、婚約指輪をしまった。
その様子を偶然見ていたアイリーンは、私に言った。
「シルク、いいの?彼のこと、愛しているんでしょう?」
「ええ」
「なら、どうして」
「私にはやるべきことがある。この世界には、まだ『VENGEANCE』が必要なのよ。私が、辞めるわけにはいかないわ」
そう言った私、アイリーンは顔を伏せる。そして、何かを決意したように、顔を上げた。
「わかったわ、シルク、いいえ、ヴェルベット。なら、ほかに『VENGEANCE』がいればいいのね?あなたに代わる」
「・・・・・・・・まさか、アイリーン」
「ええ、私が『VENGEANCE』になる」
アイリーンはそう言うと、ニコリと笑った。
「大好きなヴェルベット。私はあなたが好きだし、愛している。だからこそ、あなたには幸せになってほしい。たとえ、それが私の隣でなくとも」
「アイリーン・・・・・・・・・」
「もう、休んでもいいんだよ、ヴェルベット」
アイリーンは、私に代わる『VENGEANCE』となった。彼女は薬学の知識や人体への知識が豊富であったし、身体的な能力も決して悪くはなかった。武器の扱いはそれほどではないが、徒手空拳では私に勝るとも劣らない腕だった。
アイリーンは真紅のシルクハットとマントのいでたちの『VENGEANCE』として活動し始めた。
そして、精力的に活動した。私に代わってヒュドラーを負うことも彼女はしていた。
一方の私は、久方ぶりの休息と安息の中、幸せに暮らしていた。彼との生活を。
そんな時だった。街で暴動がおこったのは。




