12
サクヤコノハナノミコトは、明らかに私を避けていたし、私も彼女を避けていた。
所詮、私と彼女の住む世界は違う。たまたま彼女を私が助けて、そのことを彼女が勝手に仮に思って、いついているだけなのだ。
そのうち、借りとやらを返して彼女はいなくなる。ならば、関わるだけ無駄ではないか。
そう思うことで、私は無心で剣を振ることができる。
彼女の黒髪に、心乱されることなく。
庭先で話し込むローザと彼女の姿を最近見る。どこか二人とも楽しげだ。
やはり彼女は教養のある人間らしく、私以上に多くの知識を有している。ローザとも話が合うのだろう。
私の持つ知識など、殺すため、闘うための知識。それは普通の人間が必要とするものではない、非人間的なもの。
そんなものしかない私と比べて、彼女はなんて多くのものを持っているのだろうか。
それが羨ましくもあり、妬ましいと思ってしまう。彼女がそれを選んだわけではない。そして、普通の人生に戻る選択肢があったのに、選ばなかったのは私なのだ。彼女を恨むなど、勘違いもいいところだ。
わかっていても、心は理屈で解決できない。
ああ、なんて、面倒くさい。
私の足元にサレナが寄ってきて、尻尾を振っている。灰色の毛は、成長とともに、黒っぽくなって、今では灰色というより、薄い黒色となっている。
私は彼女を撫でる。嬉しそうに舌を出し甘えてくる。
私は静かに戻っていく。やるべきことは、ここにはない。それに、談笑する二人の姿を、それ以上見ていられなかったのかもしれない。
私は一人、夜の街に繰り出していた。
ラウシルンの夜の中に、深紅のフードを被った私は立っていた。
ローザもサクヤコノハナノミコトにも、何も言わずに出てきたのは、私の存在が彼女たちには不要なのではないか、と思ったからだ。いちいち言う必要はない。
結局、私は独りなのだ。どこまで行っても、人は独りでしかない。どれほど人と寄り添おうとも、心は、精神は孤独。寄り添おうとすればするほど、傷つくならば、近づかなければいい。
私の心は渇いていた。この渇きを潤すことができるとしたら、それは罪人の血だ。
私の剣は、心は、血を求めていた。
数日前、奴隷市場から逃げ出した参加者は、未だこの街にいるようだ。
マクシミリアンは、未だローザの拷問にかかっているのだろう。私はその姿を、あの日から見ていなかった。
だが、あんな奴、今はどうでもいい。
この夜の街は、いつも誰かの助けを求める声がしている。無数のその声全てに耳を傾けられるほど、私は超人ではない。それでも、私はすることをするだけだ。
真紅のマフラーが、夜風に揺らされる。私は屋根の上を跳躍し、夜の街を闊歩する。
足元に倒れる男たち。私は刀の血を払うと、その場を立ち去ろうとした。
救おうと思った命は、力なくその場に倒れ、息を止めていた。間に合わなかった。
小さな少女。私の生きた時の半分も、彼女は生きられなかった。
醜い大人の欲望に奪われた命。私は大人への憤りと、自分の至らなさを感じずにはいられなかった。
少女の開かれた眼を閉じて、安らかな眠りを祈った。
「人形風情が、人のまねごとか?」
突如響いた声に、私はすぐさま刀を構え、殺気を放つ。私を襲う、強い悪寒。その悪寒を、私は知っている。その声を、私は知っている。そして、どれほど、どれほど憎く思ったことだろう。
毎夜思い出す悪夢。私を、私たちの運命を変えた、あの悪魔の声を。
闇夜の中から、その人物は現れた。銀色の長髪を一本に結い、濁った血の色の眼が私を見る。
痩せてこけた頬、表情のない顔。そこにいるのに、いないかのような、だが、強力な威圧感を放つ男。
ヒュドラーの指導者にして、長く裏世界を暗躍する、戦神。
「アンドラス・・・・・・・・・・!!」
私は目を見開いて、アンドラスを見る。
私の刀を持つ手は震えて、脚はすくんでしまっていた。
まさか、アンドラスがこのような場所にいるとは思ってもいなかった。
「どうした、私を殺すために、あの女狐の下にいるのだろう?」
アンドラスは薄笑いをして、両手を広げる。腰にある刀は抜いていない。銀色の長髪を靡かせ、隙だらけであった。だが、彼は知っているのだ。それでも、私は彼を殺せないであろうことを。
私の足は動かない、動かせない。
「くそ」
私は呪詛を吐いた。自分が憎たらしい。
なぜ今まで生きてきた?復讐のためだろう?彼女を殺し、私たちを使い捨てたアンドラスたちに復讐するためだ。
覚悟はあったはずだ。だが、身体は言うことを聞かない。
恐怖が、内側から拡散し、私の身体をマヒさせる。
「詰まらんな。少しは使えるものになったかと思ったのだが・・・・・・・」
そう呟くと、銀髪の暗殺者は腰の刀を抜くと、それを揺らしだした。
「どうした、その刀で私を斬らないのか?やらぬなら、私から行くぞ」
そして、銀髪の男は私に向かってくる。
男の速さは、私以上であり、何とかその攻撃を回避できたのも、運が良かったとしか言いようがない。
私は二撃目以降の攻撃を、黙視することなく、ただ勘だけで避けていた。そのため、完全によけきることはできず、徐々に傷を負っていく。
これでも、アンドラスが本気でないことがわかる。アンドラスならば、私など、私が意識するよりも前に、首を斬り落とせるのだから。
彼女を殺した時のように。
「どうした、お前の復讐とやらはそんなものか?」
アンドラスは笑って言った。彼にとって、刀を振ることなど、準備運動にもならないのだろう。私はただ、息をついて、攻撃を回避することに必死だというのに。
「それはそうだろうな。お前はいつだって人形でしかなかったのだから。自分の意思もなく、我らに忠実であり続けたのだから。ほかの子どもたちよりも」
「!」
「あの女はお前に何を吹き込んだ?人間らしさか、感情か?だとしたら、愚かなことだ。お前にはそもそも持つべき感情も人間性もないのだからな。お前は模倣し、ただ命令を繰り返すだけの人形なのだから」
「私は、人形じゃない・・・・・・・・・!」
私は、低い声で反論する。アンドラスは、その血の色の瞳で私を見る。
「お前は人形だ。どれほど人間のまねをしようとも。だから、お前が受け入れられるわけがない。お前は人形。お前は歯車。我ら、ヒュドラーという偉大なる竜の一部に過ぎないのだ」
「お前の言っていることなど、信じない」
私はそう言い、アンドラスの言葉を、外へと押し出そうとする。だが、私の中でアンドラスの言葉は反駁し続ける。
今の私は、ローザの生き方を模倣しただけなのかもしれない。そこに「私」という存在はなく、ただ彼女の影があるだけ。
私は「何者」にもなれない。ただ役割を与えられ、演じるだけの「人形」。
そうやって、生き続けてきた。
誰よりも、組織の命令に忠実であり、絶対的であった。そうすることが、一番楽であったから。
殺して、殺して、殺して、殺した。ただ、彼らの言うとおりに。
私の行動に、私の意思などない。あるのは「命令」だけ。意志は、ない。
私の手から刀が滑り落ちる。そして、私は両膝を地につき、アンドラスに許しを請うように、手をついた。
「そうだ、そうして人形らしくいれば、今まで通り生かしておいてやろう。我らヒュドラーの大願のために」
そう言い、アンドラスは刀を戻した。
「お前は、ほかの使えなかったものとは違い期待しているのだぞ。命令さえ聞くことのできない、価値のない人形などより、な」
そう言い、アンドラスは、まるで彼らの死をどうとも思っていない無表情で言い放った。
無価値。こいつはそう言ったか?
私の中で、何かはそう言った。怒りの声、強い憤怒。憎悪。
ざわり、と背筋に何かが奔る。だがそれは悪寒ではない。もっと、恐ろしいものであった。
『ねえ、いつか』
遠い記憶の中で、私は彼女や仲間たちと夜の星を見ていた。私の隣で、夜空のような髪を揺らして、彼女は囁きかけた。
『いつか、私たち、自由になれるかな』
私は、静かに頷く。それが、嘘だと、わかっていたのに。
彼女は笑った。
『そうだよね、そうじゃなきゃ、私たちが生まれた意味なんか、無くなっちゃうもんね』
寂しげに笑って彼女は星を見た。
『もし、私が先に死んでも、あなただけは、私を覚えていてね』
そう言い、彼女の手が私の手を握る。私は、何も答えられなかったが、強く握り返した。
その瞬間、星空の海を、閃光がよぎった。
『流れ星・・・・・・・』
彼女はそう言った。
『意味がないなんて、言わせない』
『え?』
『価値がないなんて、言わせない。私たちは、確かに生きている。人形じゃない』
私はそう言い、星の海を睨んだ。
神が、世界が私たちの生きる意味を認めないなら、認めさせてやろう。
私たちの生きる意味を、絶対に。
「お前が・・・・・・・・・・・うな」
「?」
アンドラスが私を見る。何か言ったか、と彼の目が私を見る。
「お前が、彼女たちの命の意味を、知った風に言うな!!」
私は落ちていた刀を拾い、アンドラスへと向かっていく。
アンドラスは、表情を変えることなく、刀を抜くと、私の攻撃を受け止める。
私は刀を捨てると、懐から取り出した苦無を投げつけ、両袖から抜き出した短剣で、斬撃の雨を降らせる。
「なんだ、人形風情がこの期に及んで私に刃向う気か?」
アンドラスは、苦も無く私の攻撃を避ける。彼の髪の毛一本すら、触れることはできない。
それでも、私は攻撃の手を緩めない。私は私のため、そして、死んでいった仲間のために、認めるわけにはいかないのだ。
彼らの命が無駄であったなどとは。
圧倒的な体格差のある相手。リーチの短い武器では、あたりはしない。
武器が弾き飛ばされる。だが、それに執着はしない。武器ならある。そこらかしこに。
私は武器を捨て次の武器で切りかかる。
「何がお前をそうまでさせる?理解できないな」
アンドラスはそう言う。無表情で、何の色もうつさない瞳で私を見る。
「私は決して屈しない。お前にだけは、絶対に」
「人形風情が、我らに刃向うか?」
アンドラスはそう言って、刀を一閃させ、私の服を切り裂き、中にあった武器をすべて破壊した。
私は落ちていた刀に手を伸ばす。そこに、アンドラスは無慈悲に刀を突き立てる。
私の右手の甲を、アンドラスの刀が貫く。骨が断たれ、肉が斬られ、血が大地を濡らす。
痛みに呻きながらも、私はなおも反抗の意思を隠さずに、アンドラスを見た。
「私は、人形なんかじゃない・・・・・・・・・・!!」
「ならば、お前はなんだ?」
銀髪の男が問う。
私は何か、それに対する答えが、私にあるのだろうか?何者にも慣れない私に。模倣し続ける私に。
『復讐を』
忙しなく、ただただ怨念のように、同じ言葉をそれは繰り返す。
そうだ、簡単なことじゃないか。私が何者かだって?決まっている。
彼女と出会った時から、私は・・・・・・・・・・・・・
「私は『VENGEANCE』だ!!」
そして、私は突き立てられた手を、動かしその呪縛から逃れる。右手はもう、使い物にならない状態だ。手は血まみれで、ちぎれてしまいそうだった。
だが、アンドラスは初めてその顔を動かした。私の行動が予想外だったのか、動くことができなかった。
私の左手の刀は、ようやく動いたアンドラスの痩せこけた頬に、一筋の切り傷をつけた。
「・・・・・・・・・・・・・!!」
アンドラスの驚愕の表情。
見たか、クソッタレ。
私は心の中で毒づく。そんな私を、アンドラスが蹴り上げる。
骨が砕ける。吹き飛ばされた私は、立ち上がろうとしても、できないほどであった。
それでも、私は決して、アンドラスに屈しはしない。
「なんという、なんという愚かな」
アンドラスはそう言い、私を見る。冷たい瞳。
「黙って従っていれば、我らの秩序の下で過ごせるというのに」
アンドラスの血に染まった刀が、私の首の上に閃く。
「いいだろう、それほど死にたいのなら、冥土に送ってやろう。役立たずどものいる、な」
「言ってろ、くそ野郎」
私は嗤って毒づいた。アンドラスの顔は、憤怒に溢れた。
この男でも、こんな顔をするのか。
ザマァ見ろ。
そして、私は目を閉じる。
ごめん、皆。私は死ぬようだ。でも、私は奴に傷を負わせた。決して忘れることのできない傷を。これで、私たちの生きた意味、刻めたよね?
そして、ローザ。あなたがいなければ、私がこういうふうにアンドラスに傷もつけられずに、ただあの砂漠で死んでいただろう。ありがとう。
サレナと、我儘お嬢様を、よろしく。
そして、アンドラスの刀は無慈悲に私に振り下ろされた。




