どうしましょう? 猫ちゃんに気を取られて殿下のお話をぜんぜん聞いてなかったわ
あら、こんな所に猫ちゃん。ふふふっ、どこからか迷い込んだのかしら?
可愛い茶トラちゃんね。まあ、私と目が合っちゃってビックリしてる。大丈夫よ、怖がらないで。
「エリザ―――貴様が――令嬢――――にし――調べが――――」
壁際を誰にも見つからないように歩いていたのかもですけど残念。私、近くにいる猫ちゃんは決して見逃さないの。
……でもよくこの大ホールまで来れましたわね。今日は学園の卒業パーティーで大勢の方が出入りしてますのに。
「取り巻――――陰――イジ―――」
もしかして職員のどなたかの飼い猫ちゃんかしら?
首輪を付けてるのでしたらわかるのだけれども……無いわね。ならアナタは野良猫ちゃんかな?
「彼女―――形見――――ントを――盗――」
あらあら、そんなにお目々をまんまるにして。背中も反っちゃってるじゃない。
どうして猫ちゃんって警戒しているポーズも愛おしく見えちゃうのかしらね?
ゆっくり動いて、どこに逃げようか考えているの?
「―――階段――突き―――――悪――所業――」
ええっ!? そっちのテーブルは、この後いらっしゃっるご予定の国王王妃両陛下がお座りになる席よ!
その下に隠れるというの、猫ちゃん!?
お二人に粗相をしたら処刑台行きになっちゃうのよ!?
「クク――顔色が悪―――自――罪が――――」
ああ……隠れちゃったわ……。
何事もなければ良いのだけれども……。
「貴様―――悪女―――王妃は――――」
そうだわっ!
両陛下がご到着される前に私が猫ちゃんを逃してあげるのはどうかしら?
でも、どうやってテーブルに近づきましょう?
私、基本的に婚約者であるアレックス殿下のお側にいないといけないのよね。
「真に――妃にふさわ―――心優し――――だ!」
この会場に入る時もエスコートをしてくださらないような困ったお方ですけど、我が国の次代の国王陛下ですもの。私も未来の妻としてしっかりと務めを果たさないといけないわ。
……控え室で待ちぼうけを食わされた挙句、一人で会場入りさせられた恨みはしっかりと覚えておきますけどね。
将来生まれるであろう我が子には、そこのところをキッチリ教育しておかないといけないわ。
「よって貴―――約を破棄する! わかったかエリザベート!」
「は、はいっ!?」
……驚いて声が裏返ってしまいましたわ。皆様の前で恥ずかしい……。
はいはい、私がエリザベートでございますわ。ブロイ侯爵家の長女で、貴方様の婚約者です。
すぐ横にいるのですから、そんな大声で呼ばなくともいいじゃないですか……ってあら? 殿下が遠い?
猫ちゃんに気を取られているうちに離れちゃったのかしら?
大失態だわ。自分でも、殿下のお隣に侍るのが将来の王妃の務めだなんて偉そうな事を考えていたのに。
もう5メートルは離れているじゃない。
それで殿下が大声で私をお呼びになったのかしら?
でも、お顔を真っ赤にして睨んでまで怒鳴ることはないわよね。
まったく小さい頃から短気なんだから。それがレディに向ける表情なの?
う〜ん……腹は立つけど、ここは申し訳なさそうにしないといけないわね。ボーッとしてミスを犯したのは私なのだから。
少々お待ちください。いま参りますわよ。
「大変失礼いたしました。只今お側に」
「おい、なぜ近づく? それ以上私たちの側によるな!」
「はい……?」
はて、殿下は何故「近づくな」とおっしゃっているのかしら?
……そういえば会場がなんだか騒ついているわね。生徒の皆さんの視線もこちらに集まっているし……もしやトラブルが……?
どうしましょう、なんにもわからないわ。
これはマズいわね。
猫ちゃんの事で頭が一杯で、殿下の言葉を聞いていなかったなんてバレたら、お父様やお母様に叱責されてしまうわ。
普通に大問題だし、次期王妃の自覚無しとして婚約も解消されちゃうかも。なんとか誤魔化さないと。
動揺はダメ。冷静に対処しましょう。
今こそ頭脳をフル回転させて、このピンチを乗り切るのよ、エリザベート!
まずは状況を推測して、ちゃんと話を聞いていた風にしないと……。
さっき殿下はなんとおっしゃっていたかしら?
私の名前は聞き取れたけど、その前はあやふやなのよね。
確か――「ヤクヲハキスル」とか言っていたような?
やく……役を? はきする……破棄……吐き気?
――吐き気がする!
そうだわ、吐き気がするとおっしゃったのだわ!
よく見れば殿下は、眉間に皺を寄せて顔を顰めていらっしゃる。あれは私に怒っているのではなくて、具合が悪いからなのね。だから会場もざわめいているのだわ!
そうとわかれば!
「殿下、すぐに控え室へ。お医者様もお呼びしましょう」
「どういう意味だ!?」
「大丈夫、お腹の中のものを全て出せば楽になりますわ」
「充分ぶちまけたつもりだが!?」
「いえ、まだ残っているかもしれませんわ」
「言われたりないとでも!?」
いつの間にかお戻しになっていたのね。全然気が付かなかったわ。だから私に近づくなと。緊急事態だから匂いなんて気にしませんのに。
婚約者の嘔吐にも気づかないなんて、猫ちゃんの魅力は恐ろしいわね。
でも微妙に話が噛み合わないような……? 推測した発言が間違っていたかしら?
いえ、待って。殿下は痩せ我慢をしていらっしゃるのだわ。
心配ですけど、王太子の不調は他国に付け入れられる隙となる。容体がそこまで悪くないのであれば、少々無理をしてでも臣下たちに気丈な姿を見せた方がいいとお考えなのですね。ご立派ですわ、殿下!
でも、せめてお体を支えしてあげたいのだけど……ああ、ちょうどよく殿下の隣にあの娘がいるわね。殿下がご執心されている、地方男爵家の一人娘であるマリアさんが。
ぴったり寄り添っているし、そのままお支えしてもらいましょう。
殿下はきっと将来、あの娘を私の侍女としてお召し抱えになるのでしょうね。それで時折息抜きに逢瀬をなされるのだわ。
……正妻としては面白くありませんが、よくある話ですし、どこの馬の骨ともしれない平民に手を出されるよりよほどマシですわ。それくらいは大目に見て差し上げます。
それよりも、今はしっかりと殿下のお体を支えるようアイコンタクトをしておきましょう。
「……チラッ(マリアさん、殿下のことを頼んだわよ)」
「キッ!(エリザベート、アンタは今日でお終いよ!)」
……意志の強い瞳で見つめ返してきましたわ。私の気持ちはきちんと伝わりましたわね! なかなか聡い子のようですし、侍女としても頼りになりそうだわ。
それにしても殿下はなぜご不調になったのかしら?
悪いものを食べた?
いえ、王族である殿下がそのようなものを口にするとは……はっ、そうよ殿下は「吐き気がする」の前にも何か言っていたわ!
ヤクヲ……厄を、薬を!
毒薬を!!
そうか、殿下は「毒薬を(飲まされた)、吐き気がする」とおっしゃっていたのね!
おそらくワインに混ぜられていて、僅かに口に含んだところでお気付きになったのだわ。
ん? 殿下が衛兵たちに指示を出しているわね。
「ええい、訳のわからないことを……! 衛兵、早くその罪人を引っ捕えろ!」
なんと、殿下はもう犯人に目星をつけていらっしゃったのね。
そうよ、早く極悪人を捕まえるのです!
……あら?
衛兵たちがみな私の方へと参りますわね。どうしてでしょう?
……あっ、殿下の婚約者である私の護衛ですか!
確かに大事な任務かもしれませんが、全員で来てどうするというのです。犯人に逃げられてしまうではありませんか。
ここはピシッと言わないといけませんわ!
「止まりなさい! 私の元へと来てどうするというのです。それよりも、この騒動を起こした犯人を早く捕まえなさい! それがあなた方の仕事でしょう!」
……何故でしょう?
衛兵たちが困った顔で動きを止めましたわ。いいから早く犯人の所へと行きなさいな。
「エリザベート様……その、犯人とおっしゃいますと……?」
衛兵の一人が聞くまでもないことを尋ねてきましたわ。
そんなもの分かりきっているでしょう。
「アレックス殿下がああなられてしまった原因です。誰のせいであるか、あなたがたはわかっているのでしょう?」
「そ、それは……」
衛兵たちが複雑そうな表情で互いに顔を見合わせてますわね。
いやだから早く動きなさいって。
それとも彼らは犯人が誰か知らないのでしょうか?
だから私に犯人は誰だと尋ねたとか?
(衛兵の皆さんは私の護衛をすべく駆け寄ってきたのではなく、指示を仰ぐために?)
もしやそうなのではと考えていたら、殿下とマリアさんがそれを裏付けるような事を言ってきました。
「エリザベート、貴様しらばっくれているのか!」
「そうです! エリザベート様、ご自身の責任から逃げないでください!」
お二人とも……それはつまり私が殿下の名代として衛兵を率いて犯人を確保せよということですわね。
確かに殿下が具合を悪くされている今、婚約者である私が代わりに動くべきなのかもしれません。
……ですが、私、お話を何も聞いてなかったから犯人がどなたかサッパリなんですよ?
困りましたわ……。
ああ、衛兵の皆さん、そんな目で私を見ないでくださいな。
(ここまで……ですわね……。殿下に毒を盛った賊を逃すわけにはまいりません。正直に話を聞いてなかったと白状しましょう。我が身の恥より国家の大事を優先すべきですわ……)
もう正直に白状してしまおうという決意が私の頭をよぎった矢先、まさに天の助けというべきお声が聞こえてきました。
「そこまでだ。皆のもの控えよ」
低くて重々しい威厳のあるお声。国王陛下が、王妃様を伴って会場にお姿を表されましたわ。
その場にいる全員で片膝をつき、陛下へと敬意を表します。
「アレックス、そなたには失望したぞ」
「ち、父上、それはどういう意味ですか!?」
……はて?
陛下がおいでになられて助かったと胸を撫で下ろしていたら、唐突に殿下への叱責が始まりましたわ。
殿下ったら何をなさったのかしら?
口を挟むわけにもまいりませんので、とりあえず様子見をしましょう。
「小娘の色仕掛けにまんまと乗せられおって。つまらぬ讒言を信じたばかりか、侯爵家との約定まで破棄しようとするとは言語道断である。両家の合意を貴様の一存で、しかも事実無根の罪でどうこうできるなどと思い上がりも甚だしい!」
殿下……どこかの侯爵家との取り決めを反故にしようとしたのかしら?
陛下のお言葉だと女性の色仕掛けでコロッと騙されたとか?
それはダメでしょう。婚約者として恥ずかしいですわ……。
「父上、確かに俺は先走りました! しかし事実無根とは聞き捨てなりません!」
「そうです! 私は本当にエリ――」
ああいけませんわ、マリアさん。殿下をフォローするおつもりなのかもしれませんが、あなたのように身分の低い方がお二人のお話に割り込んでは怒られてしまいますよ。
ほら、陛下のお顔が憤怒の形相に。
「黙れっ! 学園には親の目が無いと油断したか! 我が手の者が狂言の裏を全て取ってあるわ!」
会場を震わすような陛下の怒声。
あまりの大声にビックリしたのか、両陛下がお座りになる予定のテーブルの下から先程の猫ちゃんが飛び出してきましたわ。
「フニャーーーッ!」
「きゃっ!?」
大変、猫ちゃんに驚いたマリアさんがバランスを崩して尻餅をつかれてしまいましたわ。
お怪我がないといいのですけど……あら?
マリアさんが着ているドレスのポケットから何かが転がり出てきましたわね。
あれは……指輪かしら?
王妃様がそれを見て目の色を変えてますわね。
あっ、猫ちゃんはどこへ行ったのでしょう?
「あなた……その指輪は私がアレックスに渡したものではありませんか。なぜあなたが持っているのですか?」
「これはアレックス様から頂きました!」
「……その指輪は、歴代の王妃が受け継いでいる由緒ある指輪です。私はこの卒業パーティーの場で、正妻となるエリザベートさんに婚約指輪として渡すように言って渡したのですよ。あなたが持っていて良いものではありません」
「母上、俺の正妻はマリア以外あり得ません! この指輪は彼女が持っているべきものです!」
「アレックス様……!」
「……呆れて物も言えません。アレックス、母はあなたを見限りました」
ああ、なんてこと……。
パニックになった猫ちゃんを捕まえようとした給仕係の人たちに怪我人が出てしまったわ……。
猫ちゃんの爪は鋭いのだから危ないわ。無理に掴もうとしないで、出口に誘導しないと。
あっ、良かった。ちゃんと会場の外に出れたわ。このまま迷子にならずにお家に帰れるといいわね。さよなら、猫ちゃん。可愛かったわ。
……はっ!
私ったらまた猫ちゃんに気を取られてお話を聞いてなかったわ!
本当に悪い癖ね。気をつけないと……。
ええと、今はどんな状況かしら?
「もはやそなたにこの国は任せられん! アレックス、貴様の王位継承権を剥奪する!」
と、とんでもない事態になっておりますわ!
陛下をここまで怒らせるなんて、殿下はいったい何をしてしまったのでしょう?
……あら?
殿下が継承権を剥奪されたということは私との婚約はどうなるのでしょうか?
気になりますけど、聞ける雰囲気ではありませんね。殿下もひどく狼狽されておりますし。
「ち、父上なぜです! 俺はただ真実の愛を――」
「問答無用! 衛兵、こやつらを早く連れて行け!」
衛兵の皆さんが、陛下の命令で殿下とマリアさんをお連れしようとしておりますわ。
お二人とも抵抗しておられますが、数人がかりで掴まれて引き摺られていきます。
仮にも王子と貴族令嬢への扱いではないのですが、お優しい王妃様も目を伏せて沈黙していて、陛下を止めようとされません。
「くっ、放せ! 俺はまだ父上と話がある!」
「きゃあ、なんで私まで!? イヤーーーッ、こんなはずじゃなかったのにーーーっ!」
殿下、落ち着いていられないのは理解できますが、ご体調が優れないのですから暴れない方がよろしいですわよ。
マリアさんも、かなり取り乱しておられますけど、私が猫ちゃんに気を取られている間に何があったのかしら?
今日ほど訳がわからない日はないですわ。
「フン、熱に浮かされおって」
陛下は連れて行かれる殿下を見て、そう呟いておられましたわ。
……はて、お熱ではなく、吐き気だったはずでは?
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