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第三章 両雄対決

(10)信長の苦悩

「おい、わしに対抗して上杉連合が出来たそうな」

「聞いて私も驚きました」明智光秀が答える。頭は切れるが、言葉も態度も丁寧過ぎて、何を考えているかわからぬ奴だ。だが、将軍家との付き合い方や、行儀作法に詳しい。貴族連中とも繫がりがあるようだ。

「信玄が死んで、謙信が死んで、わしの出番と思うたに、これはどういうことだ」信長はずっとイライラしていた。わしが京を、家康が関東を支配下に置くつもりが、関東を一向衆に抑えられ、美濃から北は上杉が、西の四国は長曾我部が、中国は毛利が押さえていて動きがとれない。今までの信長包囲網など何でもなかったが、今は将軍家も反発していて討伐令も思うようにならなくなった。柴田の力押し、明智の知略、羽柴の小細工で勝ってきたが、ここに来てどれもうまくいかなくなったのだ。鉄砲も織田だけのものではなくなった。四面楚歌だ。何とか打開策を打ち出さなくてはならない。誰もが、俺が何とかするものだと考えているようだが、どうしたらいいのだか、分からないからイライラする。手を結ぶか、戦をするか。いや、誰と手を結んで、誰と戦をするかだ。家康は一向衆と戦をしたら根絶やしにするしかなく、消耗して、軍備も少なくなり、兵も疲れている。放って置いても攻めてこないならそうすべきだ。上杉は、攻めていかなければこれも攻めては来ない。なら、京を固めて西をどう攻めるかだ。毛利や長曾我部が上杉と手を組む前に打って出るしかない。そうなるとどちらを先に、いや同時にか。東北の伊達が不気味だ。このままでは武田や今川のようにやがて消滅だ。


信長は今後の指針を話し合うため、岐阜城で評定を行う旨、各武将に伝え集合させた。この閉塞感を破るための対策として、話し合いを始めた。

「一番の原因は、昨年の北陸征伐に大敗したことではないか」羽柴秀吉が、一番に口にした。

「加賀一向衆との戦いに疲れた兵を休ませることなく、深追いさせて躓いたのでは」高山右近が仕方が無いという風に言った。

「奥まで入りすぎて、兵糧などが十分届かなかったのでは」前田利家が柴田勝家を庇うように言った。勝家は後継者問題でも信長の弟を押して失敗している。信長の部下としては年長で無骨な性格は信頼されているが、大事な所でポカをする所もある。豪胆で、真っ直ぐで取っ付きにくいが付き合ってみると憎めない。

「あれから躓いたなら、あそこからやり直すのは如何であろうか」秀吉が強気で言う。

「それも一理があるが、本願寺と手を組むというのはどうであろう」丹羽長秀がぼそっと言った。

「手を組むなら、将軍家ともっと近しい関係を築くべきかと」明智光秀が皆を見回して言った。

「将軍はもういらぬ。何の役にも立たぬ。最近は信長包囲網とか、あちこちに手紙を出して、織田を潰したがっておる」信長が、上段で寝転がって言った。

筒井順慶が言い難そうに言った。

「いっそのこと、将軍家をやめて、直接天皇家と繋がるのはどうかのう」

「何を馬鹿な、天皇家にどうやって近づくのか。そんな伝がどこにある。人の苦労も知らないで」光秀が叫んだ。

「沢山貢物をした方に向いてくれるだけであろう。何の役にも立たぬ」秀吉が嘯いた。

「話は簡単だ。どこと和合して、どこと戦をするかだ」信長が言った。

「戦うのは上杉と。それまでは毛利と手を組む」勝家が言った。

「誰が行く」

「私にもう一度再戦の機会を」

「では柴田勝家を総大将に、羽柴秀吉、丹羽長秀、前田利家、佐々成政でどうだ」

「有難き幸せ。何が何でも、春日山城を落としてきます」勝家は平伏しながら言った。

「では会議はこれまで」と言って信長は立ち上がって奥に行った。


「では実際にどう攻めるかだが」勝家が口火を切る。

朝倉氏を滅ぼした後、同地に本願寺派の一向一揆が勢力を張ったため、大規模な軍勢を派遣して鎮圧。これにより北陸進出の基盤を固めた。

「能登の七尾城の畠山から攻めましょう。七尾城を落とした後、越中から越後に攻め上がるというのが筋でしょう」秀吉が言った。

「能登、江中、越後には海と陸から攻めましょう」

「七尾城は前田殿にお願いする。畠山勢は多くて三千、こちらは一万で大丈夫でしょう。私と丹羽長秀殿ははこの辺りの北陸連合に相対します。これも一万程いれば問題ないでしょう。残りは柴田殿が率いて手取川を超えて、上杉を討ってください。上杉も出られる兵は二万がいいとこ、へまをしなければ三万もいればいけるでしょう。」秀吉が笑みを浮かべながら言った。

「大筋としては良かろう。後は臨機応変に」会議は終わり、北陸征伐の準備を始めた。


能登の領主畠山氏は七尾城に籠城する。椎名 康胤の兵と神保 長職の兵はここにいた。総勢一万の兵で守る七尾城は堅城だった。

一方の織田信長は、奥州の伊達輝宗及びその家臣遠藤基信に、越後の本庄繁長と謀り、上杉を討つことを図っていた。

柴田勝家率いる織田軍は進軍を続け、梯川・手取川を越えて、村を焼き払った。一方、織田軍接近を知った上杉軍は、直ちに手取川付近にあった松任城に入った。対して、柴田勝家は全軍が手取川の渡河を終えた所で、待ち伏せに気が付き即座に撤退を下命したが、その途上、川を渡る途中を鉄砲隊に襲われて上杉軍に追撃された。結果、織田軍は、鯰江貞利をはじめ千人余りの戦死傷者、さらに増水した手取川で多数の溺死者を出す大敗を喫した。しかし、その途中の水島(加賀郡)で、以前から勝家と不仲だった羽柴秀吉が離陣していたのも、敗因の一つだ。この離陣は無届けの離脱であったため、信長の逆鱗に触れる。しかし小松村などは、手取川の南方に位置しており、秀吉が勝手に離陣した表向きの理由は

「勝家がわざと秀吉を後軍に回して手柄を立てさせないようにしたこと」

「畿内で松永久秀が不穏な動きを見せていたのを秀吉が察して、退却を進言したのに勝家が聞き入れなかったこと」

だが秀吉の退却の本当の理由は異様な雰囲気を感じたからである。秀吉は妙に危険を察する才能がある。七尾城を攻めた利家も敵兵力が思いもしない多数であった。城を攻める時の兵力は三倍が常識である。なのに敵はおよそ同数、ならば秀吉は誰と戦っているのか。背筋が凍る一向衆、五万である。本能的に、秀吉も利家も身震いをした。戦が無理なら致命傷を負う前に引き上げるしかない。

上杉軍は七尾城に帰陣し前田の兵を追い散らし、普請に着手した。この時、城に登った景勝は、眺望は噂に聞いたとおりの名地で、加賀・能登・越中の扇の要にあり、要害は海と一体となっていて、島々のありさまは絵に写すことの出来ない景色であると思った。

柴田勝家らは、御幸塚の城塞に佐久間盛政、大聖寺城に柴田勝家の手勢を残し、加賀から帰還した。


一方信長は義昭を奉じて上洛すると顕如に対して天皇の御所を修理することを名目に銭五千貫を要求する。顕如はこれに仕方なく応じた。

信長はさらに石山本願寺の退去や別な名目での銭の要求などをしてきたため、ついに顕如は足利義昭の信長包囲網に加わり信長と真っ向から対立する道を選んだ。

ちなみに同じ頃、信長は商業都市である堺にも銭二万貫を要求している。利に敏い堺の商人たちはこれに応じて信長に従属することで、さらなる発展を遂げられると考えていた。

本願寺の強みは何といっても各地に広がる末寺の繫がりだ。この頃一向宗が勢力を張っていた地域は加賀を中心とした北陸地方と伊勢である。

この当時北陸はまだ信長の支配が及ぶ地域ではなかったが、伊勢は信長の出身地である尾張に近い場所だ。

顕如は石山本願寺で反信長の兵を挙げると、この繫がりを活用して伊勢長島でも兵を挙げさせた。

これに対して信長は朝廷を動かして勅書を出させ、顕如とは和睦を図る。一方伊勢長島の一向一揆に対しては自ら兵を率いて武力鎮圧を図った。

長島の一向一揆衆はまず信長の弟を攻め殺し、気勢を上げる。これに怒った信長は佐久間信盛、柴田勝家、稲葉一鉄、氏家卜全といった主力を率いて鎮圧に向かう。

しかし一揆衆はこれを巧みに防ぎ、さらに氏家卜全を討ち取り柴田勝家を負傷させるなど、信長は大敗北を喫する。

一揆衆はその多くが戦闘専門の武士ではない。またその装備も織田軍に比べれば劣る。自ら兵を進めて正面から相手と戦うことは必ずしも得手ではない。

しかし夜襲や奇襲と防御戦という、武士があまり好まない戦法では無類の力を発揮した。また「死んだら極楽浄土に行ける」という信仰心は一揆衆を統制のとれた勇敢な兵士にした。

結局和睦が成立するが、敗北からすぐさま信長は再び長島一向一揆を潰すべく兵を動かす。こうして和睦が破れると信長は再び長島に遠征するが、この時も一揆衆の攻略に失敗する。さらに一揆衆は退却する信長に鉄砲を浴びせかけるなど、大きな戦果を挙げる。

信長はその後、三度長島に兵を向ける。羽柴秀吉、明智光秀を除く一線級の武将をことごとくつぎ込み、その兵数は十万近い大規模であった。

そして一揆の本拠地長島城を取り囲むと降伏を許さず、攻め潰した。またいくつかの支城も取り囲んで脱出ができないようにしたうえで火攻めにするなど、一揆衆を根絶やしにするような残酷な攻撃を推し進める。

こうして信長はやっと長島一向一揆を鎮圧した。一揆衆の死者は二万を超えるといわれており、また攻撃側も信長の一門の武将などが数多く落命している。

信長に京都を追放された足利義昭は、西国の毛利氏に身を寄せ、なおも打倒信長に執念を燃やしていた。

義昭は毛利氏と一向宗との間で同盟を結ぶよう働きかけ、さらに一向宗と対立関係にあった上杉景勝と一向宗の間をとりもち和解させ、景勝に信長打倒を決意させる。

一方、家康は駿河から相模を通り、三国峠を抜け、上杉を後ろから攻める予定であったが、相模で関東一向衆と対立した。一向衆と戦っていない徳川勢は始めの内は、たかが農民と軽く見ていたが、数で押され始めて初めて敵の脅威を感じ始めた。その上一向衆の中に、武勝の命を受けた三千の兵が先頭に立ち、夜襲、奇襲の指導をしている。ついには被害の多さに驚いた家康は、駿河に逃げかえるというていたらくであった。

信長は石山本願寺を包囲し、経済的に孤立させる。一向衆は毛利輝元に兵糧や武器弾薬の援助を乞い、輝元はそれに応じて村上水軍を中心とした海軍を動かし大坂に向かわせる。

信長にも九鬼くき水軍という精鋭の海軍がある。しかし瀬戸内海を自分の庭とする毛利水軍は倍以上の船を動員して、これを圧倒する。

また毛利水軍は焙烙火矢ほうろくひやといわれる火薬を使った兵器を用いて九鬼水軍に潰滅的な打撃を与えて、石山本願寺への輸送を無事完了した。

敗れた信長は水軍の長である九鬼嘉隆くきよしたかに燃えない船の建造を厳命する。そして嘉隆が思案の末、たどりついたのが、船の外側を鉄で装甲する鉄甲船だ。

当然、この船の建造には莫大な財力が必要だ。しかし信長本願寺を下すためには、毛利からの補給を絶たねばならず、そのためには毛利水軍を叩ける戦力が絶対に必要だ。

信長は金に糸目を付けず、この鉄甲船を六隻造らせた。

翌年再び補給のために毛利水軍が現れる。しかし今度はこの鉄甲船が活躍し、九鬼水軍が毛利水軍を撃破した。

こうした動きに呼応するかのように上杉景勝がついに動き始めた。景勝は領国越後から越中に出兵し、手取川の戦いで柴田勝家率いる織田軍を打ち破った。

信長は天下統一を急ぐために和睦という形を取り、実を取りながら相手の顔を立て一向一揆の無力化を図った。

またこの和睦に奔走した女性がいる。この女性は妙向尼といい、信長の小姓である森蘭丸の母である。

妙向尼は信長に直訴して、和睦の成立と石山本願寺への総攻撃を止めさせた。

信長は秀吉の妻であるおねに心優しい手紙を送るなど、家臣の妻や母などの女性には大変紳士的に接している。ちょっと意外な感じもするが、場合によっては誰からの意見も聞くというのは信長の長所だ。

しかし、一向衆は抑え込めても上杉勢との戦いは不利に終わる。

徳川も関東の一向衆が出て来る度に兵を送らねばならず、織田との共闘がうまく働かず、甲斐の地を取り戻す力を得られない。


(11)織田との和議

「光秀、挽回する手を考えよ」信長は機嫌が悪かった。いや、この頃一向宗門徒徒との戦いを始めてから、全てが悪い方に転がっていく。

「今の危機を乗り越えるためには、将軍家、一向宗、上杉同盟の三者と和睦を結ぶしかありません。将軍家とは私が動きましょう。一向宗には羽柴殿、上杉は柴田殿が的確かと存じます」

「わしらの敵対者に頭を下げよと」

「今ある危機を避けるためにはそれを先延ばしにして、その間に倒す準備をするのでございます。それしか手はありません」

「一向宗は越前、加賀、長島、関東、それに本願寺。顕如を抑えただけでは何ともならぬだろう」

「一つ策がございます」

「ほう、策とな」

「お市殿に景勝殿へ御輿入れをお願いします」

「市にか。それでどうなる」

「織田が上杉と結んだとなれば、顕如は後ろ盾を失ったと思うでしょう。そうなれば、強気ではいられないでしょう」

「将軍家はどうする」

「義昭様を将軍に後ろ盾として再度押すことを約束する。ある程度の動きを許可する。将軍自体は兵を持ちませんから、それ程脅威にはならないかと」

「阿奴は放って置くと何を企むか分からぬ奴だぞ」

「悪戯っ子位に思っていらしたらどうですか」

「分かった、任せよう。後は市の事か」

「大名家に生まれた姫の運命にございます」

「一度輿入れさせて、そこを攻め滅ぼしておるからの」

「分かっております。他に手はございません」

「市にはわしから話そう」


「殿、織田が和議を申し込んできました」兼続が部屋に入って来るなり、言った。

「一向宗との戦いが苦しいのだろう」景勝が笑みを浮かべながら答えた。

「門徒との戦いは地獄でございますからなあ」兼続も笑った。

「戦休みにちょうど良い。どうせ長くは持たぬ」

「長島が収まるまででしょう」

「こちらもその間に伊達、毛利、長曾我部と連絡を取りたい」

「宜しゅうございます。人選はどうしましょう」

「伊達の若造にはお主が出向いてくれ」

「良いでしょう。他は」

「毛利、長曾我部は武勝に頼もう。どうせ武勝の計画の内だろうから」と、高笑いをした。

「それと殿に婚姻の申し入れがありました」

「わしにか」

「そうでございます」

「相手は誰じゃあ」

「信長の妹君のお市様です」

「おお年増ではないか」

「その上、娘が三人御座います」

「娘の方ではないのか」

「いえ、間違いございません」

「どうする、断るか」

「断れません。戦になります」

「そうか、分かった。では、武勝を呼べ」


「景勝様、御用は何でござろう」

「今度婚姻を結ぶことになった。信長の妹じゃ」

「信長に年頃の娘が居りましたか」

「娘ではない、妹、お市じゃあ。」

「御冗談を、お市殿は三十路前かと、それに娘が居ります」

「そのお市が、輿入れだそうな」

「ホントのお話のようで、お目出度いというか 、ご愁傷というか」

「そこでそれまでにやってもらいたいことがある」

「何でございましょう」

「中国、四国へ行って毛利と長曾我部に会って来い」

「私がでございますか」

「そうだ、お前は機転が利くし、正直そうな人相をしている。だからお前になら会ってくれそうだ」景勝は笑いながら言った。景勝は笑っている時が怖い。

「私より兼続殿の方が良いのでは」

「兼続は伊達に会ってきてもらう」

「分かりました。織田との戦に睨みを利かせようと」

「上杉連合に参加してくれれば良し、駄目でも織田には付かないと、確約をもらってくれれば良い」

「そろそろ本格的にやることになりそうですか」

「近々そうなるだろう」

「では急がなくては」

「いや、急ぐ必要はない。どうせ信長の耳に入るだろうが、牽制にはなるだろう」

「信長もちょっかい出してくるのでは」

「三人とも天下を狙っておる。さすれば簡単に話には乗るまい。両てんびんにかけて、様子を見るだろう。だが天秤が傾いた時には遅いのだ。今、中央に出て来ぬ奴は天下は取れぬ。後で、遅かったと後悔するのよ」

「その辺の見分けをつけて来いと」

「お前は話が早くて助かる。では頼んだぞ」景勝は大声で笑った。



(12)長曾我部と毛利

武勝はまず四国に向かった。

長宗我部元親は、色白でおとなしい子だったので「姫若子」(ひめわこ)と呼ばれていた。これは褒め言葉ではなく、本を読んでばかりで物静かだから、武将としては使い物にならないだろうという嘲笑の意味があった。

家臣からも期待をされていなかった姫若子が一転するのは、長宗我部元親の初陣「長浜の戦い」の時だ。

当時は十五歳で初陣を飾る武将が多い中、長宗我部元親は二十二歳という遅い初陣にであったが、周囲の予想に反して自ら槍を持って突撃し大活躍する。この戦いにおいて、当時土佐で最大の勢力を誇っていた本山氏に勝利。獅子奮迅の活躍を見せた長宗我部元親は「鬼若子」(おにわこ)と称されるようになった。

そして、長浜の戦いの後、間もなくして長宗我部国親が急死。長宗我部元親は家督を継ぎ、四国統一に向けて歩み始める。

永禄十一年、長年土佐を巡り競ってきた本山氏を本山城にまで追い詰めて降伏させたことで、長宗我部元親は土佐中部を制圧することに成功した。

永禄十二年、長宗我部元親は土佐東部を支配していた「安芸国虎」と衝突します。「八流れの戦い」と言われるこの戦いで、長宗我部元親は安芸国虎を自害に追い込んで勝利。土佐平定の最後の障害は、土佐西部を支配している一条氏のみである。

天正三年、長宗我部元親は土佐西部に流れる四万十川で「一条兼定」と土佐の覇権をかけた戦いを繰り広げた。この「四万十川の戦い」は、元親軍の兵力による有利と地の利を活かした戦術、そして寄せ集めで統率がうまく取れなかった一条軍の軍略的な不利が重なり、元親軍が圧勝。本戦は、わずか数刻で決着した。

土佐統一後、「織田信長」から四国での勢力拡大を容認されたことで、織田信長と長宗我部元親は、それぞれの正室が共に斎藤家の出身であることから同盟を結んだ。その後、阿波国へと侵攻して有力な勢力を次々と降伏させていった。

そんな中、天正九年、長宗我部元親にとって予期しない出来事が起きました。

織田信長が長宗我部元親との同盟を反故にし、「三好康長」と同盟を結んで四国征伐を決定した。

その後、長宗我部元親は四国侵攻を継続し、天正十年には阿波国のほとんどを掌握しました。二年後の天正十二年には、讃岐国の大部分を制覇。さらに伊予国にも侵攻し、四国の殆どを手中に収めた。

そこに反織田の上杉から使いが来たのである。

上杉からだから一緒に織田を攻めようと言ってきたのだろうが、四国を統一してから間もない元親には、四国を出て戦をするだけの余力が無いのが本音だ。

「上杉連合の菊池武勝と申します。上杉景勝様の命で参った者でございます」

「よう来られた。こんな田舎故、碌な持て成しもできませぬが、ゆっくりと休まれよ」

「有難うございます。今回参ったのはお願いがありまして」

「いやいや、聞いてからではお断りが出来ませぬゆえ、今回は遊びに来たという事でお願いしたい」

「あははは、勘違いされておいでかと。今は四国が収まるかどうかの大切な時期かと思います。我々としても協力できることがあればと。これから大切なお付き合いをさせて頂きたいですから。」

「別に困ったことも無いですし、田舎者はのんびりやっていくだけですので」

「それが良い。何事も急激の変化は争いの元ですから。それにしても、この魚は旨いですな」

「土佐の名物、鰹でござるよ」

「こんな旨い物、食べたことがござらん。今度は嫁を連れてきたい」

「それは良い、その時はしっかりお持て成し致しましょうぞ」

「それまで、織田をけん制しておきますゆえ、しっかり四国を納めてくだされ。」

「そうしましょう。あははは」元親は安心したのと、武勝の人の好さを感じていた。

「では私はこの後、毛利に行きますので、お世話になりました。お元気で」

武勝は毛利の中国に伊予から船に乗った。


「毛利輝元」は、中国地方を制覇した「毛利元就」の長男「毛利隆元」の跡取り息子として、天文二十二年、安芸国にある吉田郡山城で誕生した。幼名は、「幸鶴丸」。

幼少時代から毛利家の跡取り息子として誕生を喜ばれ、期待されたことが分かるのです。

しかし実際には、毛利輝元が生まれる前に、すでに毛利元就は隠居して家督を長男・毛利隆元に譲り、実権はそのまま握っているという状態。次男の毛利元春は、天文十六年に吉川家の養嗣子となり「吉川元春」に。三男の毛利隆景も天文十九年に小早川家の養子となり、「小早川隆景」となっていた。

永禄六年、毛利輝元(幸鶴丸)が十一歳の時、父・毛利隆元は何者かに毒を盛られて突然死んた。

実権は元々毛利元就が握っていたので、しばらくは毛利元就が当主に復活。

二年後の永禄八年に、毛利輝元が元服した。室町幕府十三代将軍「足利義輝」よりいみなを貰い、「輝元」と改名した。

この毛利輝元の元服を機に、すでに六十九歳の高齢だった祖父・毛利元就は、隠居を宣言。

しかし、まだわずか十三歳だった毛利輝元は、「父には四十一歳まで指導していたのに、私を見捨てるのですか!」と祖父に泣き付きます。

この結果、毛利元就は孫のために、しばらく実権を握り続けることになったのだが、毛利元就はかなり高齢だ。仕方がないので、毛利輝元にとっては叔父にあたる吉川元春(毛利元春)と小早川隆景(毛利隆景)が、後見人続投となった。

祖父・毛利元就が亡くなった時、毛利輝元は十九歳だったが、叔父達はまだ三十代。叔父達から見れば毛利輝元は、まだまだハナタレ小僧に見えた。小早川隆景は、皆が見ている前では毛利輝元に対して、当主としてのかかわり方をしていたようだが、毛利輝元が何か失敗すると、陰で折檻した。


毛利輝元が二十四歳となった天正四年)、突如、室町幕府十五代将軍「足利義昭」が毛利輝元を頼って訪れた。

足利義昭は、あの「織田信長」の庇護を受けて、やっと将軍になれたお方。天下布武を目指していた織田信長にとっては、京への道筋を付けるために利用しただけの人物だ。

織田信長に邪険に扱われて、足利義昭は面白い訳もなく、織田信長のもとから毛利輝元のもとへ泣き付いてきた。

このようにして、毛利家という力強い後ろ盾を得た足利義昭は、あちらこちらの有力大名に向け、織田信長討伐と幕府再建の手紙を出し、動きはじめる。

そのような時に訪れた武勝の扱いに困ってしまう。毛利家としてはあまり信長と対立したくない。そうでなくても石山本願寺を助けるために兵糧を送ったり戦っているので、これ以上険悪にならないようにしたい。だが、義昭は当然上杉にも織田討伐の手紙を送っている。そこに景勝の手の者が来訪したというのだ。自分の為に足利幕府再興に力を貸したいと思っているのだと思ったが、武勝は義昭がここにいる事さえ知らなかったのである。

全く悪い時に来たと思って苦笑いをした。と言って、無下にはできない。

「まさか義昭様がこちらにいらっしゃるとは思いもしませんでした」

「いやもっともじゃ。居場所を知らせてしまうと、いつ襲われるか知れたものではない故な。それより、景勝殿は信長をどう思っているかじゃ」

「景勝様は余り天下に興味を持たれません。しかし、信長のように弱者いじめをする、力で押さえこみ、言う事を聞かぬ者は無下に殺してしまうという恐ろしい方、そういうことをする者を我慢できない方なのです。」

「そうじゃそうじゃ、信長はそういう奴なのじゃ、利用するだけ利用して、用が無くなったら捨てる、そういう冷酷な奴なのじゃ」

「ただ、景勝様は正義感は強いのですが」

「ですが何じゃ」

「人と会うのが嫌い、外に出るのが苦手、困ったものです」

「そち達に甘えておるのであろう」

「先代の謙信様が偉大過ぎて、比較されないよう、なるべく人に合わないようしているようです」

「それは困ったものじゃ」

「その上顔が怖い癖、小心者で、我々は京に行って顔を売ってはどうかと言うと、わしはそのようなことはしたくないと」

「よって、上杉を脅かさない限り、織田とも事を構える事は無いと」

「そんな意気地のないことでどうする」

「まあ、代が変わるまでとあきらめております」

「頼りになると思うた、わしの見当違いか。まあしょうがないか。他をあたろう。ではわしは奥に行く。ああ、時間を無駄にした」

武勝は平伏したまま、義昭を見送った。

「義昭様にも困ったものだ。わしも足利幕府再興に動くつもりはないのだ。それゆえ、義昭様はせっせと手紙を書いておる。わしも好きなようにさせておる」輝元は苦笑いをしている。

「まあ、輝元殿も、まずはしっかり中国を納めることに集中するのが良いと思います。要らぬおせっかいですが」武勝も笑った。

「中央に信長がいますからなあ」

「上杉との対応でそれどころではないかと。何んと言っても一向衆が手強いですからなあ」

「それを操っているのが景勝様ですかな」

「本願寺の顕如様です。仏のとか言いながら、権力に固執しておられる。」

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