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綺華の奇跡

掲載日:2026/01/02

今日は私の学生時代の出来事を書こうと思う。

 話は40年ほど昔の、私の祖母との思い出である。祖母はずいぶんと私をかわいがってくれた。

 祖母の生まれ育ちは東京と聞いており、言葉も身振りも田舎の人間とは違って華やかな印象であった。

 だが私が祖母に故郷の東京の話を聞こうとすると、あまり多くを語りたくない様子が見て取れた。

 祖母は両親や周囲の反対を聞かず、故郷を捨てて祖父についてきたのだとあとで母から聞いた。

 いつも和服を着ており、割烹着も良く似合う人だった。

 祖母の名は「あや」であるが、亡くなってから墓碑に刻まれた文字によって「綺」がその漢字名と知った。

 私は幼い頃からずっと祖母を「あやばあ」と呼んでいた。

 祖母が嫁いだ家、つまり私の祖父鐡蔵てつぞうの家はいわゆる旧家である。

 私の家からさほど遠くはなく、家族で時々祖母に会いに行ったものである。広い庭と畑があり、裏手は山林であった。

 比較的裕福な家に育った祖父は東京の学校に進み、祖母あやと出会ったとのことである。

 だが祖父鐡蔵は私が生まれる前に病で亡くなっていた。

 嫁いだ先に自分の親類が誰もいない祖母は、きっと心細かったに違いない。

 さて、私が中学生時代の初夏、祖母がかわいがっていた犬を連れて二人で裏山を散策したことがあった。

 犬の名前はカイと言い、毛色はグレーの短毛で大柄で細身の大人しい洋犬であった。

 前足を揃えて伏せ、キリリとした目でどこか遠くを見ている姿が印象的な賢そうな犬であった。

 なでると頭を持ち上げ目を細めて私を見た。

 裏山をしばらく歩いて山道を抜けて明るい野原に出たところで、ふと祖母は何かを見つけしゃがんで手を合わせた。

 カイは祖母の横に姿勢良く座り、祖母が立ち上がるまで待っていた。

 祖母が手を合わせていたのは路傍に咲く一輪の花であった。

 そして、この花が咲いているのを見つけた日は良いことがあるのだと私に言った。

 きっと何か願い事をしたのであろうと私は思った。

 その日の夕食後しばらくして、祖母は親類の家に届け物があり一緒に私を連れて出た。眩しいばかりの満月の夜であった。

 祖母は、今おまえとこうして歩いたように鐡蔵さまと満月の夜、月を見上げながら一緒にこの道を歩いたことがあったと言い、満月を見ると鐡蔵さまを思い出すのだと言った。

 そして自分と一緒に見たこの月夜を忘れないでおくれと私に話した。

 私は決して忘れないと答えた。

 うなずく祖母の横顔はほんの少し涙ぐんでいるように思えた。

 それから何年か過ぎた夏に祖母は亡くなった。

 私は大学生であったので、祖母が亡くなった二日後に故郷に戻ったのだが、すでに火葬を終えた後であった。

 遺骨を前にして私はかすれた声で「あやばあ」と祖母の名を呼び、ハラハラと涙を畳に落とした。

 眠れぬその日の明け方、うとうとし始めた時にどこか遠くから犬の鳴き声が聞こえた。

 その声は、昨年亡くなったと聞いたカイの吠える声のように思えた。

 私は外に出てふらふらと歩いていたが、ふと祖母が昔話していた花のことを思い出し裏山の山道を一人歩いた。

 もし花を見つけたら何か願い事をしようと思ったが、頭はぼんやりして何も思いつかなかった。

 だがその場所にたどり着くと、やはり小さな白い花は咲いていた。

 花の前にたたずみ、じっと見つめているうちにその花の姿は、亡くなった祖母の立ち姿に似ているように思えた。

 私は、はっとしてその花が向いている先の空を見上げると、白い夜明けの満月が輝いていた。

 白い花と夜明けの月は互いを見つめ合っているかのようであった。

「ああ、そういうことだったのか。」

 私の体に衝撃が走り、あたりが月光に満ちたかのようであった。

 祖母の魂は今、花として甦り、会いたかった祖父鐵蔵に会えたのだ。

 そして私の願いは、祖母の願いを叶えることだったのだと気がついた。

 私はカイに導かれ、ここに来て祖母に会い、そして祖母の願いが叶ったことを確かに見届けた。

 それから私は家に帰り、眠れなかったことが嘘のようにぐっすり眠った。

 あれから長い年月が過ぎ去り、今となってはあの日のことが本当にあったことなのか自分でも良くわからない。

 そしてあれ以来、私が花を探すことはなく見かけたこともない。けれど満月が輝く夜には祖母を必ず思い出す。

 私は今、懐かしく祖母を想い出すとともに、優しく華やかであった祖母「綺」を思い、私はその花を綺華草あやかそうと呼ぶ。

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