父と息子
松子は手招きされて燕大の元へと恐る恐る歩いていくと、優しく手を取られてベランダの外へと出る。燕大は口元に人差し指を当てて隣の部屋の窓を見つめていた。松子もつられて同じ方向を見ていると、声が聴こてきた。
「その人物がこの町に再び入っていないのか、なぜこの町に来たのか調べろ」
「はい……ですが、どこにいるのか分からない別地域の人探しは、交番勤務の私よりも、オービスや警察の検索エンジンにアクセスできる県警の人間の方が……」
「口ごたえするな。お前の考える程度のことは既にこっちで手配済みだ。お前はお前のやるべきことをやれ」
「はい…………」
霜月紅葉だろう女性の声は消え入りそうだ。何か失態を犯して叱責されていたのだろうか。何についての会話なのかは不明確だが、この一部だけでもパワーバランスが分かる様な会話だ。霜月紅葉が柳田雨竜の駒であることは明白だった。そしてこの後、決定的な言葉が聞こえてくる。
「お前と俺に接点があるとバレれば、俺が余計に勘繰られる。こちらからコンタクトを取る時以外は俺とは面識のない人間として生きろ」
「はい…………」
「お前が今日ここまで来るとはとんだ誤算だよ。大勢に目撃されて。どうしてくれる」
「あ、あの、すみませ……」
「もう二度と俺の前に現れるな、命が惜しければな」
「は、はい……」
「ハァー……、今日は俺以外の人間に会う目的で来たことにしておけ。俺の名前は出すなよ」
「はい…………」
「さっさと消えろ」
しばらくして扉の開閉音が聞こえた。霜月紅葉が部屋から出て行ったのだろう。松子は脱力してその場にしゃがみ込んだ。
燕大にとっても聞いてるだけでストレス負荷の強い会話だったのだろう。落ち着かせるかの様にタバコに火をつけた。煙を燻らせて上を見上げていると隣の部屋の窓が開く音がした。そしてバルコニーに刺すような声が響いた。
「燕大…………聞いていたのか?」
「……何を、ですか?」
燕大はしれっと惚ける。父親であるはずの雨竜が燕大を見る目は親が子へ向ける目ではない。隠してはいるが、燕大の手は小刻みに震えている。それを誤魔化す様にタバコを口にする燕大。
雨竜は息子をじっと観察して短く言葉を紡ぐ。
「……女か?」
燕大も松子も焦る。今バルコニーで燕大の足元にしゃがみ込んでいる松子がバレたのかと二人の背中に嫌な汗が伝う。
燕大がどう動くのか。それを注意深く観察しているのは雨竜だけではなく松子も同様だった。ここで雨竜に松子を突き出すのか、庇うのか。雨竜の手下なのか、ただの被害者なのか。松子の中でハッキリしない燕大の立ち位置を明確にするには、緊張感は高まるが、いい機会だった。
二人に見つめられながら燕大は肺いっぱいに煙を吸い込んで一気に吐き出してから口を開く。
「やっとこれからお楽しみってところなので、しばらく下に降りないと思います」
そう言ってフッと妖艶に薄く笑う燕大。
こんな顔もできるのだな──と、松子は意外なものを見た気がした。
雨竜は表情を変えないまま、燕大を見据えて呆れたようにため息をついた。
「遊ぶのはいいが、芒花のご令嬢の機嫌だけは損ねるなよ」
「父さんの指示で好きでもない女性と結婚しなきゃならないんですから、彼女がいない時くらい、僕の好きにさせてもらいますよ」
「……問題だけは起こすなよ」
「問題って?」
「彼女はこの後遅れてくる様だ。さっさと済ませろ」
そう言って雨竜は部屋の中へと消えていった。そしてすぐに扉が開閉する音が聞こえた。雨竜は隣の部屋を出て行ったのだろう。
一気に張り詰めた緊張の糸が途切れたのか、燕大はズルズルとその場にしゃがみ込んで松子の隣に横並びになる。二人して数秒沈黙した後、松子がつぶやいた。
「ありがとう」
「え?」
「アンタのお父さんに黙っててくれて、ありがとう」
「……プハっ……クク」
突拍子もなくいきなり笑い出した燕大に松子は困惑する。気持ち悪いものを見る目で燕大を見ていると、燕大はひとしきり笑った後で松子に向き直る。
「これで証明できたかな?」
「何を?」
「僕は二人を殺害した容疑者じゃないってこと」
「ハッキリとした死亡推定時刻が分からないからアリバイはないし、第一容疑者の親族であり被害者に最も近い人物の一人ってのは、変わりないからね?」
松子がそう言うと、燕大は困ったように笑った。先ほど父親と対峙していた時に見せた笑みとは全くの別物だ。父親と芒花菜月とそれ以外で顔を使い分けることができる人物──と言う意味では、要警戒対象だ。だが、それ以上にわかったことがある。
「アンタが父親に協力したい訳じゃないことは、わかったから」
震える手を握りしめて松子の存在を隠してくれたことは事実だ。松子のための演技、父親のための演技。いずれであったとしても、燕大にとってはリスクある行為を取ったことには変わりないのだ。
松子は勢いよく立ち上がり背伸びをする。燕大も釣られて立ち上がると、二人はどちらが声をかけるでもなく自然と部屋を出る。しかし二人で一階へと繋がる階段を降りていくには人目がありすぎる。芒花菜月が来るとの情報を雨竜が話していたため、先に燕大が降りていくことになり、松子はニ階のトイレに再び立ち寄ることにした。
そこですぐにSDカードの件と柳田雨竜に関する新情報が入ったことをグループに共有した。5人いるグループで既読がついたのは3人。おそらく盃都以外は連絡を確認したのだろう──と、松子は踏んだ。
よく見ると、松子がメッセージを送る前に誰かがやり取りをしている形跡がある。上にスクロールして辿った先にあったのは盃都の投げかけた話題だった。時間的には松子がニ階に行って燕大に聞き取りをしている間の時間帯だ。松子が盃都に投げた秋林宗佑と桐生清鳳の二人の会話から何か情報を得たと言うことだろう。




