証言
盃都が清鳳と必死に会話をして時間を稼いでいる中、松子はいくつかある部屋のドアに耳を寄せて中の音を確認する。手前の二つの部屋は無音。そもそも防音になっているのだろうか──と半ば盗み聞きを諦めた時、一番奥の部屋のドアの前に立つと男女の話し声が聞こえた。
トイレに向かう人が時折廊下を通るため、不審に思われないようにその一つ手前の部屋に入って壁に耳を当てた。モゴモゴと濁った音が聞こえ、うまく聞き取れない。だが同時に窓の方からはクリアな声がわずかに聞こえてくる。この部屋の窓が開いているのだろうか。カーテンが時折揺れて波打つ。まさかカーテンの中に人がいるというのだろうか。
松子は気になってカーテンをそっと捲ると、ベランダとなっていた窓の向こう側に燕大が立っていた。突然現れたそこにいるはずのない松子に驚いて燕大は右手に持っていた紙タバコをベランダの床に落とした。燕大は焦って床に落ちたタバコを拾い上げ灰皿に押し付けている。その様子がなんともおかしくて松子は逃げる気を失い、カーテンを閉じて声を殺して笑った。
燕大はベランダから部屋の中に戻ってくると、困惑した様子で松子に尋ねる。問い詰める様子はない。明らかに不審者が侵入しているというのに。
「なんで君がここにいるの?」
「トイレに行こうとしたら、迷っちゃって」
最もらしい言い訳をする松子。燕大は松子の言葉にホッとしたようなため息をついてトイレのある方向を指差す。
「トイレはあっち。突き当たり左」
「そう。ありがとう…」
「…………?」
部屋を出て行こうとしない松子に首を傾げる燕大。
「どうしたの?トイレ行くんじゃないの?」
「ああ、行く。ごめん、勝手に入っちゃって」
「…たまに間違う人がいるから、別にいいよ…鍵かけてなかった僕も悪いし」
怒ったり疑うような様子がないのを確認して松子はその場を後にした。トイレに行くと言ってしまった以上、トイレに行かずに他の部屋を彷徨くわけにもいかない。松子は3分ほどトイレの便座の上に腰掛けてどうするか思案する。この後は一階に降りて清鳳と合流するか、燕大を探してさっきのことを謝って話を聞くか。どちらにするか考えながら個室から出て手を洗い廊下に出ると、先ほどの部屋のドアに寄りかかり腕を組んでいる燕大がいた。
燕大はトイレから出てきた松子に手招きをする。一瞬、警戒をする松子。だが、先に燕大が部屋に入ってドアを開けたままになっている。そんなことをされては、好奇心を抑えることができないのが松子である。たとえ罠だとしてもわかっていて飛び込むのが松子だ。
部屋に入って後ろ手でドアを閉めた松子。燕大は小さいテーブルにカップを二つ出して茶葉をポットに入れてお湯を注いでいる。今度は燕大の行動の意図が読めない松子が首を傾げた。
「これからお茶会でもするつもり?」
「そう。不法侵入者とは言え美緒さんは今夜、我が家にとってはゲストだからね。おもてなししようかな、と」
そう言った燕大は二つあるうちの一つの椅子を引いて松子に座るように促す。議員と霜月の会話を聞くことができなくなった今、燕大の誘いを断る理由がない松子は大人しく席につく。燕大はポットの中身を二つのカップに注いだ。ダージリンのいい香りがした。燕大は自分のカップにシュガーらしきものを入れてかき混ぜてから口にする。甘党なのだろうか。松子も真似をしてシュガーを入れてから飲んでみる。
「美味しい。お店で出される紅茶みたい」
「僕、紅茶好きなんだ。美緒さんも好き?」
「うん。コーヒーより断然紅茶派」
「それはよかった。この茶葉はね」
燕大は本当に紅茶が好きなのだろう。茶葉について熱く語っている。松子はそれに耳を傾けつつ、隣の部屋が気になってしょうがない。すると突然、先ほどまで楽しそうに紅茶談義をしていた燕大が別の話題を口にした。
「美緒さん、2年前の事件を調べてるんだって?」
紅茶の話からその話になるとは思わず驚く松子。だが、その焦りを相手に悟られてはいけない。否定するのを忘れてどう返事をするべきか悩んだ松子。カップに口をつけて時間を稼ぎ燕大の表情を見た。眉尻が下がっている。あのfacebookに載っていた写真のように何かに怯えている感じもある。どういう反応だろうか。松子はわからず、昨日菜月にやったようにとぼけてみる。
「2年前って?」
「……美緒さんに心当たりがないのなら、また菜月の早とちりかな」
“また”とはどういう意味だろうか。松子はすかさず尋ねる。
「また?菜月って芒花菜月のことだよね?同窓会の時に私に喧嘩越しだった」
燕大は盛大にため息をついた。テーブルに肩肘をつい他その手を額に当てて、随分と困った様子だ。状況が読めない松子は燕大に問うことしかできない。
「なんで菜月は私に攻撃的なの?」
「なんて言えばいいか……美緒さんだけじゃないんだ……」
「どういうこと?全員にあんな感じでツンケンしてるの?」
「全員ってわけじゃないけど、女性には酷くて」
「なんで?」
「──多分だけど、僕たちを取られると思ってるのかなって……自惚れに聞こえるかもしれないけど」
全く噂を知らない人からすれば、この燕大という男が自意識過剰の自惚れ屋だと思うだろう。だが同窓会の時に盃都が同級生たちから言質をとってきたあのボイスレコーダーにはそういったことを言っている人の声が録音されていた。それも一人や二人ではない。おそらく、燕大が言っていることは間違いではないのだろう。これは本人から3人の関係性について聞くことができる機会だ。そう思った松子は菜月と二人の関係性について尋ねる。
「僕たちって、あなたと清鳳のことでしょ?あなたたちって、菜月とはどういう関係なの?恋人?それとも家同士が仲がいいだけ?」
燕大は言いづらそうに答える。
「最初は家同士の関係だった──と思う。僕らも小さくて邪心もなかったし、ただ仲がいい幼馴染──みたいな。でも、僕の父さんが政治家として市長選に出始めた頃からちょっとおかしいっていうか」
「おかしい?どうおかしいの?」
「──子供の意思とは関係なく、大人の事情で仲良くしなきゃならなくなって……」
まるで二人とは仲良くしたくなかったかのような言い方に聞こえた松子。
「ねえ、あなたは二人のことが嫌いなの?」
「そういうわけじゃないさ!でも……、これを純粋な友情と言うには、打算的すぎると思う」
打算的な友情とはどういうことだろうか。松子が燕大を見つめていると、燕大はバツが悪そうに視線を逸らして口を開いた。
「桐生家と芒花家はこの辺じゃ旧家であり名家だろう?僕の家は父さんが政治家になってから権力を有するようになった新しい家なんだ。君もこの田舎で暮らしたことがあるならわかるだろう?ここは家紋や権力がものを言う小さい世界なんだ。そんな世界で一般家庭出身の人間が政治家になるのは厳しい。だから父さんは桐生家と芒花家に近づくために、僕らを利用したんだ」
「清鳳や菜月と仲良くするように、お父さんから言われたの?」
「……そう。幼稚園の頃から。いや、僕が生まれる前から父さんの戦略は始まってたんだ」
「生まれる前って?お母さんも何か、二人と関係があるの?」
「母さんは芒花家分家の人なんだ」
芒花家のような地主の分家。分家とはいえ相当な資産は有しているのだろう。わざわざ結婚相手として選ぶくらいなのだから。
だが、父親のシナリオの中で自分が生まれたと知った場合、本人はどう思うだろうか。松子は同情することもできずにただ燕大をみ見る。
「母さんも僕も、父さんにとっては駒でしかない。僕なんか、本当は清鳳たちより1学年下だって言うのに」
「え?」
「僕は4月1日生まれって言われてるけど、本当は4月2日に生まれたんだ」
「……は?」
衝撃の告白に流石の松子も混乱する。
「なんで?て言うか、どうやって偽装するの?無理じゃない?病院の人たちに見られてるでしょ???」
燕大は唐突に立ち上がるとドアにロックをかけて戻ってくる。意味がわからず燕大を見て警戒する松子に困ったように燕大が笑う。
「誰にも聞かれちゃいけないことだから。別に君をどうこうしようとは思わない。安心してって言うのもなんだけど──、僕は君があの事件を調べてるって聞いてから、君にある希望を抱いてるんだ」
「希望?」
「僕は今まで父さんの駒として生きてきた。それを疑問に思ったこともそれほどなかった。あの時までは」
「あの時って?」
「牡丹だよ。彼女が現れてから、僕の世界は変わった。僕の家が、父さんが、この田舎が異常だってことに気づいたんだ」
「……どうして気づいたの?」
燕大はまた席を立ち、壁際にある机の下にあったゴミ箱の底から何かを外してこちらのテーブルに持ってきた。ケースに入れられたマイクロSDカードだ。それを机の上から持ってきたラップトップに差し込んだ。
表示されたフォルダには何やら音声ファイルや動画ファイルが並んでいる。燕大はそのうちの一つを開いて再生する。動画だ。画面には牡丹であろう女性と燕大が写っている。
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『録画してるけど、本当にいい?』
『うん。いいよ。燕大のためだもん。あと、燕大のお母さんのためにも。二人が何かしたい時、私が証言する。まあ、私の証言なんて、なかったことにされて私もこの世から消されちゃうかもしれないけど』
『怖いこと言うなよ』
『不良娘にされた私には、こんなことしかでしか社会に貢献できないから』
『いや、そんなことない。頼むから、諦めずに前向いてくれ。僕も牡丹を救うために父さんを何とかするから。牡丹も諦めないでくれ』
第三者が見たらよく笑からない話をしているあ、そう言われた牡丹は先ほどの燕大のように困ったように笑っている。そして画面を見て真剣な顔で話し始める。
『私、洞牡丹は証言します。私は柳田雨竜議員にレイプされました。そして、家族を人質に取られて、脅されてます……売人から薬を買って売るように指示され、売春もするように強要されました……。議員の目的は、薬や未成年との淫行で相手の弱みを握るためです……。私には抗う方法がありません。何をしても証言者を探しても買収され、証拠を消されます。議員の家族である燕大も燕大のお母さんも、議員の被害者です』
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そこまで見て松子は映像を一度止めた。衝撃の情報が乱立している。燕大の瞳には大粒の涙が溢れており、今にも目からこぼれ落ちそうだ。口元は歪み、一時停止された画面の中にいる牡丹を見つめている。松子は止めたのが忍びなくなり、再び再生した。
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『議員は燕大に菜月と寝るように指示をして自分の息子を代償に芒花家から金銭的支援を得られるようにしています。だよね、燕大?芒花菜月とは、本当は付き合いたくないんだよね?』
『……うん。嫌だ。菜月とは友達でいたい。でも、父さんはパーティーがあるたびにホテルに部屋を取って僕らをそこに入れようとしてくる。でもそんな事情を知らない菜月に辞めてくれとは言えない。もし言ったら、僕の意見に応じた菜月が芒花家の誰かにそれを言おうとしたら、菜月は殺されてしまうかもしれない。だから言えない。父さんは菜月に“僕が菜月を好きだ、将来結婚を考えているようだ“と言っている。それを聞いた彼女は特に嫌がってる様子はないし、満更でもないんだと思う。多分、僕のことが好きだと思うから…そんな彼女に、面と向かって事実は言えない。僕が父さんの指示に従わないと、今度は母さんが──母さんに別の人と寝ろと指示を出す。もう母さんが泣きながら父さんに謝る姿を見たくありません……。その状況をボイスレコーダーで録音した音声をこのファイルと一緒に保存する予定です。この動画を見てくれた人はそれを探して聞いて欲しい』
『興味半分で自分から近づいた私はともかく、燕大や燕大のお母さんは完全に被害者です』
『僕と母さんだけじゃない。みんな被害者だ。牡丹は父さんにレイプされた日、通報した。でも駆けつけた警官に結果的に揉み消された。父さんがその警官を買収したから……聴取を全て書き換えさせて。その警官の名前は、霜月紅葉。彼女も被害者です。おそらく父に何か弱みを握られています』
『どうか、いつか柳田雨竜議員の犯罪が、正しく裁かれる日が来ますように』
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信じられない動画を見終わって松子は放心状態になった。燕大は天を仰いで声を殺して泣いていた。この動画を見て、この事件を解かなければならないという正義感と共に、洞牡丹がハマった沼に自分も引き摺り込まれるのかもしれないという恐怖が同時に松子を襲った。




