合流
松子が梅澤の家に帰ったのは深夜0時を過ぎたころだった。リビングの扉を開けると梅澤と盃都だけでなく岩城もいることに驚く松子。
「ただいまー──って、なんで岩城ングいるの?」
また変なあだ名をつけたな──と盃都は心の中で呟いた。松子を見ると特に怯えた様子もなく、普段と変わらない。服装も盃都が別れたファミレスにいた時と変わりはない。これから帰る──と言ってからずいぶん経っていたため、三人は心配して松子の帰りを待っていたのだ。そんなことも露知らず。松子はテーブルについて盛大にお腹を鳴らした。
「ねえ、お腹減った!盃都、なんか作って!」
「ファミレスで三人分くらい食べてたじゃないですか……」
「何時間前の話してんの?」
4−5時間といったところだろうか。もし松子が盃都が帰った後も食事を頼んでいたのであれば2−3時間前だろう。お腹が鳴るほど空腹になる時間ではない。だが松子の体はそうでもないらしい。現にお腹が鳴っている。盃都は自分に比べて燃費の悪い松子を不思議に思いながらも、あの場を任せてきた見でもあるため、彼女のために食事を作ろうと立ち上がった時、岩城が手を挙げた。
「じゃ、僕が作ろうか?」
「岩城ング、料理上手?」
「人並みにはできると思う……一人暮らしだし」
「じゃあ食べてみたーい!さっぱりしたやつ、よろしく!」
岩城は松子に親指を立ててキッチンへと消えて行った。梅澤より年下とはいえ松子や盃都にとっては大先輩である。よくタメ口を聞いて馴れ馴れしくしていられるな──と半ば感心、半ば呆れながら松子を見ていた盃都。そんなことよりも、気になることがある。
「芒花菜月と何してたんですか?こんな夜遅くまで」
盃都の質問に思い出したかのようにカバンを漁る松子。唐突な行動はいつものことだが、人が心配して聞いている時に取る行動ではない。そんな松子の行動に若干のイラつきを覚えた盃都。腕を組んでカバンから取り出されたものを見る。
「アッキー、これ、鑑識で指紋取ってよ」
「はあ?……いや、それ俺のや!」
「そう、アッキーの車にあったやつ。まさかアッキーが喫煙者だったとは思わなかったけど、隠してたの?」
「別に隠しとったわけやないけど──」
そう言って盃都の方を見る梅澤。未成年の前で喫煙するのは避けたということだろうか。だがその配慮は盃都にとっては無用であった。
「俺は別に構いません。爺ちゃんは21ミリのピースを毎週カートン買いしてます」
「ヘビースモーカーの割に元気やな、自分の爺ちゃん──。ちゅうか、なんで俺の灰皿持ってきてん?」
ジップロックに入れられた自分の灰皿を受け取り、不思議そうに尋ねる梅澤。松子はニヤけながら答える。
「ここに芒花菜月の指紋があるのです!」
「車に乗せたんですか?」
松子は盃都都の質問に心底嫌そうに答える。
「勝手に乗り込んできたの。私が乗せようとしたわけじゃないから!」
「どういう状況やねん……」
松子は菜月が登場した過程と菜月に言われたことをそのまま話した。梅澤の車にはドライブレコーダーが設置されていたため、音声を聞こうと思えば聞けるだろう。梅澤は松子の話を聞きながら早速ドライブレコーダーのクラウドへアクセスして音声ファイルをダウンロードしていた。そして音声をスマホで流しながら、眉間に皺を寄せる。
「なんやねん、この女」
「ね、ムカつくっしょ?!」
「お前、なんもされへんかったか?」
「特には。でも突然現れたし、車で来てる感じもなかったから気味悪くて。そのままアッキーの家に帰るの気が引けたんだよね〜」
「え、じゃあ巻いてきたってことですか、尾行」
一人でその状況に松子が対処したことに盃都は驚いた。松子はケロッとして答える。
「尾行されてたのかは分からないけど。まぁ、何度か同じ車見たし、一応高速乗ったら消えたから。そのまま夜のドライブして、高速のパーキングにある公園で天体観測してから帰ってきた」
「せやから遅かったんか」
「おかげで腹減リーヌだよ」
「なんやねんハラへリーヌて」
梅澤は危機の中に置かれたにも関わらずふざけているかのような松子の独特な言葉に呆れる。そこに丁度よく出来上がった夜食を持ってきた岩城。目の前に出された冷やし中華を啜る松子。男のように潔い啜り方。見事な食いっぷりと言おうか。ふざけた喋り方で平静を装ってはいるが、松子は一人で菜月や尾行されてるかもしれないという恐怖とこの数時間戦っただろうと想像すると何も言えなくなった盃都。
相棒に託したとはいえ、やはり一人にすべきではなかったか。盃都は今更ながら後悔の念が押し寄せてくる。その様子を察したのか、松子は口にまだ冷やし中華が残っている状態でモゴモゴと話す。
「大体ねえ!盃都が突然消えるから悪いのよ!一人で捜査するの別にいいんだけどさ!事前に教えてくれる???アンタが質問すると思って私、大した質問考えてなかったんだからね!」
堂々と言えるようなことではない事をこうも自信満々に言われてしまうと、盃都が全面的に悪いような雰囲気が漂う。横で聞いていた岩城は腕を組みながら、うんうんと頷いている。何もわかっていないだろうに松子に加勢する岩城。盃都はバツが悪くなってきたが、改めてチームとしてまとまらなければならないような気がした。
「さっき梅澤さん達とも話していたんですけど、どうやらこの事件を捜査するには、正攻法ではいかないようです。なので、俺ら4人が全面的に協力し合って調べましょう」
「どういうことよ?」
以前、松子を脅した犯人が交番の警官であったこと、桜太のスマホとコピーデータが紛失したことを松子に伝えた盃都。梅澤は複雑な顔をしている一方、警察身内の不祥事であるというのに岩城はケロッとしているどころか、夏休みが始まる直前の小学生のような顔をしている。これから暴く警察を巻き込んだ闇を目の前に胸を躍らせているかのようだ。
そんな岩城の様子を見逃さなかった盃都は、今後何か調べて欲しいことがあったら岩城に頼もう──と思ったのである。梅澤はそんな岩城と盃都を横目に、松子に忠告するような形で口を開く。
「ええか?俺らはお前らの捜査に協力するだけやで?俺ら二人が堂々と警察に刃向かうみたいなことやないからな?あくまで、非公式に一緒に捜査するだけやで?」
「それ今までと何が違うの?ていうか、コピーも本体も消されて何やってんのよ!?アッキーだから預けたのよ、私たち!こんなことになるって分かってたら他のツテ探したわよ!」
「他ってなんやねん?自分ら俺に泣きついてきたやろ?ロックかかっちゃいました〜助けて〜って」
「あのさ、総合大学の学生舐めないでよ?ハッカーの一人や二人、工学部に行けばすぐ見つかるんだから!アンタ達警察のネットワークだって覗けちゃうんだから!」
「……違法行為を匂わす発言は警官が聞いてへんとこでやってくれへんかな?」
「大体、非公式に調べる時点で違法捜査っしょ?もう別になんだっていいじゃんここまできたら。モタモタしてる警察が悪いんだからね?意地でも犯人取っ捕まえるわよ」
「いいね!松子ちゃんのそういう勝気なとこ!心強いよ、ね、梅澤さん。そろそろコピーデータを送った警視庁の人、紹介してくれませんか?僕も気になってるんですよ!」
岩城が梅澤に話を振ると、梅澤は微妙な顔をした。岩城にデータをその人に送信するように指示したのは梅澤だ。当初はバックアプ機能として万が一に備えてのことで実際に使うとは思ってもみなかっただろう。岩城の言う“警視庁の人”というワードに盃都と松子は反応する。
「梅澤さん、警視庁にお知り合いがいたんですか?もっと早く言ってくださいよ」
「そうよ!何もったいぶってんのよ!アッキーが動けないなら動ける警官貸しなさいよ!私たちがわざわざ他人に成りすまして情報収集する必要もなかったかもしれないじゃん」
皆に一斉に責められているように感じた梅澤。それでも手札のカードをバラすには抵抗があるらしい。何故なら。
「そう言われてもな……。アイツ、警視庁におるだけで、警視庁の人間ちゃうからな……」
「どういうことっすか?僕は確かに警視庁のメールサーバーにデータ送りましたよ?あのサーバーは警視庁の人間だけしか使えないんじゃないんですか?」
「警視庁のお客さんやねん、アイツ。使わせてもろてるだけや。いや、アイツのことやから、使えるように無理矢理にでも手を回したんやないか?裏ルートで……」
「裏ルートなんてあるんすか?警視庁に」
「公調の人間やからな、アイツ」
公安調査庁。法務省の傘下にある組織である。そんな人間がなぜ警視庁にいるのか。その場にいる人間は皆頭上にクエスチョンマークを並べた。ただ一人を除いて。
「法務省からの出向みたいなものですか?」
「……お前ほんまに高校生か?そうや、人事交流という名の人質交換や」
「ということは、警視庁からも公安調査庁に出向している人間がいるってことですよね?」
「ああ。いつ帰って来るかはわからへんけどな。まあ、確かに、送った時点であのデータは全て閲覧済みやろ。アイツなら。何か情報出てきてるんちゃうん?」
そう言って梅澤はスマホを取り出してどこかへと電話をかけている。1コールだった。すぐに電話に出た相手に顔を歪ませた梅澤。
「お前キモいねん。電話来るの待っとったんか?今、夜中やで?」
『ひどいな〜。放置プレイしといて。で、私に何をして欲しいんだ?』
梅澤は相手の言葉につい眉間に皺を寄せるも、スマホをスピーカーにして話を続ける。
「俺の調べとる事件わかるか?2年前の」
『高校生が二人失踪して変死体で見つかった、東北の事件だろ?被害者はプロ注目選手だった縞桜太くん18歳と非行少女洞牡丹さん17歳』
「もう調べたんか?」
『そりゃあね、あんな個人のスマホデータだけ送られたら気になって、ついね。でも電話をかけてきたってことは、何か問題が発生したんだろ?私は君のバックアップでしかないというのに』
「バックアップは普通自分から調べへんねん」
電話の相手は男のようだ。声だけ聞くと物腰柔らかく丁寧な印象がする。勝手に紳士を想像する梅澤以外の3人。どんな人なのか気になった盃都はつい電話の向こうにいる初対面の謎の紳士に声をかける。
「あの、梅澤さんと一緒に事件を調べている菊地盃都と申します」
「おや?声が若い。珍しい名前ですね、盃都さん、初めまして、私、梅澤明宣の大親友の、大鳥眞凰と申します。』
「誰が大親友やねん……」
梅澤がすかさずツッコミを入れるも華麗にスルーして続ける大鳥と名乗った電話の向こうにいる人物。
「明宣から聞いていると思いますけどね、私、今出向で警視庁にいまして。本来は公安調査庁調査第一部第三課の人間です。まあ、いずれにせよ裏であれこれ調べるのは私の十八番です。にもかかわらず、梅澤はそれを知った上で私に情報だけ与えて、いつも事件に関与することだけはさせてくれないんです。酷いでしょう?飼い殺しにされてる気分です。ですので、もしよろしければ盃都さん、私に何か、仕事をいただけませんか?」
盃都が口を挟む余裕がないほどに一気に捲し立てた大鳥眞凰という男。協力を申し出ているこの男に、そのまま依頼してもいいのだろうか。盃都は梅澤の方を見る。梅澤は顔を片手で覆ってソファにもたれかかっていた。何故梅澤がバックアップに使えど、捜査協力を依頼しないのか、なんとなくわかる気がした。この前のめりの捜査意欲。いや、何にでも首を突っ込みたがるこの姿勢。既視感があった。盃都は思わず横にいる松子を見てしまった。




