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田舎に渦巻く

田舎に渦巻く

盃都(はいど)は考えていた。昨日寝る前に祖父の春如(はるゆき)がとんでもない情報を与えていったからだ。“縞桜太(しまおうた)が亡くなった。それも2年前に。”こんな情報を落としてさっさと寝てしまった春如は盃都が一晩どれだけ悩んだのかなんて知る由もない。何故ならあの事件は全国的に騒がれたニュースだったからだ。盃都も2年前といえば高校一年生。ニュースくらい理解できる年齢だ。中学の頃、毎朝のホームルームで今日の時事ネタについてスピーチするのが日直の役目だった。そのおかげで毎日ニュースをチェックする癖がついた盃都が、そんな大きい事件を見逃すはずがない。

 朝起きると春如はいなかった。おそらく朝の畑に出かけたのであろう。品種によっては朝のうちに摘まないとおいしくなくなる野菜がある。それよりも何よりも、朝の時間帯を逃すと昨今は田舎でさえ熱中症警戒アラートが発表される時代だ。時刻は8時。そろそろ帰ってくる頃だろうと、盃都は簡単な朝食を作って待っていた。と言っても、米はタイマーでセットしてあり、味噌汁は昨日の残りがあった。納豆も田舎らしい漬物もある。盃都が準備したのは卵焼きくらいだが、無いよりマシだろう。

 一通り準備を終えた盃都は春如が帰ってくるまでタブレットで例の事件の記事を片っ端から読んでいた。それでも桜太がもうこの世にはいないという実感が湧かない。今もどこかで野球をしているような気がしてしょうがない。なぜ桜太が殺されなければならなかったのか、犯人の動機となりうる明確な情報を載せている記事は一つもなかった。むしろ、桜太が殺害に関与していると推測している記事が複数ある。桜太が巻き込まれたでろう事件の被害者は桜太を含めて2人なのだ。同じ高校に通っていた同じ学年の女子、洞牡丹(ほらぼたん)。2人は付き合っていたとかいないとか、痴情のもつれで取っ組み合いとなった末に桜太が牡丹を殺してしまっただとか。結局犯人が捕まらずに迷宮入りしている事件について、警察発表でもないのに好き勝手書かれている記事を読んで盃都は怒りを覚えた。タブレットを握る手の指先は白く、画面がやや凹んでいくようにも見えた時だった。

「壊れるど?そんなに強く握って、どした?」

 春如が帰ってきた。画面に吸い込まれそうになっていた盃都は一気に冷静さを取り戻す。先ほど用意したご飯はまだ生暖かい。それほど時間が経っている訳ではなかった。冷めないうちにと、2人は朝食を摂った。食後のお茶を飲みながら、盃都は春如に聞く。

「桜太ってさ、彼女いたの?」

「……さあ…年寄りには若い者のことは分からねよ。んだばって、畑の帰りに何度か、駅前の通りで綺麗な嬢ちゃんと一緒にいるとこは見たことある」

「……この、洞牡丹って人?」

 盃都はタブレットの記事に掲載されている被害女性の写真を指さす。春如はその写真を見ながら首を傾げる。

「んー…この娘だが?違う気もするけど、この娘って言われればそんな気もするな」

 全く頼りにならない返答だった。春如ももういい歳だ。目もそれほど良い訳ではない。現に今このタブレットを見ている時だって、メガネを額にずらしてタブレットを遠ざけ細い目で見ている。2年も前のことだし、老人に聞いても当てにならないか、と盃都は思った。桜太のことは盃都が田舎にくるたびにお世話になって交流もあるだろうが、牡丹に関してはおそらく交流どころか事件以前に見たことすらないだろう。この地域の名士の娘であれば別だが。

「この牡丹って人の家、ここら辺じゃ有名な家か何かなの?」

「いや?この辺で有名って言えば、国会議員の柳田(やなぎだ)さん家と、先生家系の桐生(きりゅう)さん家と、あと、あれだ、農協の芒花(おばな)さん家だな」

「農協?農協って田舎だとそんなに名誉なの?」

「農協の先なってる人だ。それよりも、地主だんてあの家。田んぼも何アールも持ってるし。田んぼやるって人雇ってる家だもの。昔から金持ちで有名だ」

「じいちゃんも田んぼやってるし、昔東京の人たちここに住み込みで雇ってたじゃん」

「なんも俺じゃ話にならね。婆さんも死んで田んぼ何枚か人さお願いしたし。もう住み込みも辞めたった」

 春如は毎年健康診断で病気が見つからずまだまだ元気とは言え、体の衰えには抗えず田んぼ仕事が大変だということだろう。盃都は田んぼがどれだけ大変かはなんとなく分かっている。田舎に来た際に農業体験で小さい頃に何度も春如の田んぼへ行った。知らない大人たちと一緒に農作業をしてこの家で寝泊まりした。もうそれができないとなると、少し寂しい気もしたが無理をして春如に倒れられても困る。自分の祖父も歳を取ったということを受け入れるしかないのだ。

 そういえば、田んぼ仕事の時もたまに桜太や桜太の家族が手伝ってくれてたな、と思い出した盃都は、何の他意もなく純粋な疑問として春如に問う。

「そういえば、毎年桜太の家に米あげてたけど、まだやってるの?」

「……もうやってねよ」

「そっか…俺、桜太の家に行って水あげてこうようかな」

「無理だ」

 即答されると思っておらず、驚いて春如の顔を見ると、春如は悲しそうな顔をしていた。祖母が亡くなったときの顔に似ていた。お世話になった家、交流があった家の孫とはいえ、春如がそこまで暗い顔になる理由がわからなかった盃都は首を傾げた。

「おめ、本当に何も知らねったが?なして、仲良かったべ…ああ、おめ、あの時、アメリカさ行ってたもんな」

 春如のいう通り、当時盃都はアメリカのNASAを訪れていた。これから宇宙へと出発する父に会うために。1ヶ月ほど滞在したため、ちょうどその頃に日本で起きていた出来事はすっぽり記憶から抜けているのである。2年前のあの頃はアメリカでの慣れないながらも異文化を楽しんだ記憶しかない盃都は、知らなければならない重要なことを自分だけが知らないでいる気がした。深く聞いてはならないのだろう雰囲気が漂う中、盃都は春如に問う。

「何があったの、2年前。もしかして、桜太だけじゃなくて、桜太の家族にも何かあったの?」

 春如は気まずそうに、目線を盃都から外した。しばらく無言の後、ようやく口を開く。

「あの事件、ここら辺では桜太がその娘を殺したんでねが?って騒がれてな。桜太はそんなことする子じゃね。当然、警察が調べたばって、それらしい証拠も出てこねがった。んだけど、田舎で一度疑われれば終わりだった。その娘もここら辺の名士の孫たちと仲良かったのもあったんだべ。桜太が悪者にされて、自分の息子も死んでるのに嫌がらせされて、桜太の母さん、あの後すぐに自殺したった」

「……え?」

「醜いべ?これが田舎だった。んだもの若い人出ていくじゃ。亡くなるちょっと前、桜太の家さ強盗入って。うちさ避難させたった」

「え、そんなに酷いことする人たちがこの町にいるのに、じいちゃんは平気なの?何もされてない?」

「俺はただじゃやられねよ!桜太の家にはお世話になったった。匿うくらい当然だ。んだばってそれも悪いように噂されて、俺も何枚か田んぼ取られて」

 衝撃の事実を初めて聞き、盃都は呆然とする。自分が勝手に思っていた穏やかな田舎の家。それは春如が耐えて障害を見えないようにしてくれていたおかげだった。春如が言うには、田んぼの上に勝手に家が建てられたとのこと。土地を譲った覚えも売った覚えもない春如だったが、土地の権利書を相手側が持っていたため何も言えなかったらしい。東京から住み込みでバイトに来ていた人たちにも嫌がらせがあり、人を雇うのをやめ、1人で管理できる範囲までに田んぼを手放したとのこと。

 盃都は春如に起こったことを聞き、怒りに震えると同時に、なぜここまで酷いことができるのか理解に苦しんだ。自分が祖父の代わりに復讐してやりたい、と思うほどだ。何もしていない善人が被害を被るなど、やられっぱなしなど納得いかない盃都。普段は何事にも無気力で拘りもなく優柔不断だが、喧嘩が強くないわりに正義感だけは一丁前にあるため、精神的にこのまま見過ごすのは気持ち悪い。だが、歯向かうことは非現実的だ。何故なら。

「盃都、おめは何もするなよ?おめまで巻き込まれたら、俺は婆さんに顔向けできね。おめの母さんにもしこたま怒られる」

「でも、」

「人が殺されてんだ。自殺とはいえ。命も取ってくるような死神が動いてる。だから俺もおめたちに知らせなかった。桜太が亡くなったことはニュースでいつかは知るだろうと思ってあったけどよ。町でおかしいことが起きてるのは知らね方がいい。そのまま知らねフリしとけ、おめはあの時アメリカさいたんだから、知らぬ存ぜぬでこの田舎に囚われなくて済むった」

 春如はそう言って立ち上がり、再び田んぼへ行く準備を始めた。盃都も手伝おうとしたところ、熱中症になるから家の中にいろと言われる始末。自分はどうなのか?と問い正したかった盃都だが、春如が頑なに譲らなかったため諦めるしかなかった。去り際に春如は盃都に言った。

「いいが?あの事件はネットの記事見て終われ。桜太の家族は家も墓も引き上げて、もうここさ誰も居ね。それだけ危ない力が動いてるった」

 

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