紛失
晴れやかな心地で梅澤の家に帰宅した盃都。玄関を開けると、神妙な面持ちの梅澤が腕を組んで岩城と会話をしている姿が見えた。玄関口から廊下を抜けてガラスの扉を隔てた先にあるリビングで二人は会話している。
岩城は時折頭を掻いたり、腰に手を当てて肩を落とす動作が見える。何か問題が発生したのだろうか。盃都はリビングよりも手前にある洗面台へ行き手を洗う。何やら話し声が聞こえてくるが、二人の声に怒気はない。穏やかというわけではないが、特に焦った様子もない。ただ、先ほどから見える梅澤の顔は真顔で、よく見ると岩城の顔には眉間に皺が刻まれていた。
恐る恐るリビングに近づいた盃都が横開きの扉を開けると、盃都の気配に気づいていなかった二人が同時に身構えた。梅澤は右腰に手がいき、岩城は腰を低くして半身になった。盃都は二人が警察官であることを実感した瞬間でもあった。だが、そんなことよりも気になることがある。
「何話してたんですか?二人で」
突然の人の登場に驚きつつ、その人が盃都だと認識した瞬間、二人は一気に脱力した。
「驚かせんなや…」
「びっくりしたー…」
岩城はともかく、自分の家にも関わらず警戒している梅澤が気になった盃都。先ほども真顔で岩城と会話をしていた。梅澤が真顔になる瞬間など、今ままで数日とはいえ見たことがなかった盃都は違和感でしかなかった。
「どうしたんですか?何か問題でもあったんですか?」
盃都の言葉に岩城は一瞬固まる。梅澤は特に変わった様子がなく、“唐突に何を言っている?”という顔をして盃都を見た。梅澤の反応は岩城に比べて普通過ぎた。盃都にとってはそれが強烈な違和感だった。そして、“何かを隠されている”という実感だけが増す。
今までであればそれでもよかっただろう。警察が市民を巻き込まないためにも、業務上の守秘義務という規則に従っての行動だと納得しただろう。だが、先ほど父親との電話で周囲の人間、特に松子や梅澤・岩城との関係性を明確に“仲間である”と捉え直した盃都にとっては、梅澤の反応は悔しいものだった。
「梅澤さん、何があったのか教えてください。きっと悪いことですよね?」
「…俺らは警察官や。お前は一般市民。教えられへんこともあるの、わかっとるやろ…」
「わかってます。でも、俺ら一緒にこの事件を追ってるじゃないですか。少なくとも俺と松子さんは梅澤さんが頼りなんです。それはあなたが警察官だからじゃない。梅澤さんだからです。その梅澤さんが連れてきた岩城さん。だから俺らはあなた達を信用して、知り得た情報を共有してきたんです」
盃都の言葉を嬉しく思うが、二人は言葉を返すことができない。それは警察官として正しい姿だった。しかしそれでは納得がいかない盃都。今までであれば聞き分けのいい子供として立ち振る舞ってきたであろう。そうすれば安全圏で無意味な被害を被ることなく生きていけるからだ。世の中には知らなくていいこと、知らない方がいいことがある。
桜太を亡くした盃都。そして父親から先ほど電話で“自分たちの子供らしい”と言われた盃都。感情的に行動してしまうことがそれほど悪い物ではないという認識に変わった盃都にとって、今、梅澤たちを困らせる振る舞いをすることは“迷惑であるから遠慮しよう“とは全く思わなくなっていた。ずるいとは思いつつ、最後の一押しをする。
「特に松子さんは一度は命の危険さえ感じた身です。それでも引くことなく、再びこの田舎に来た。それは何としてでもこの事件を解決したいからです。俺らは2年間犯人どころか手がかりさえ掴めない警察を当てにしてるんじゃない。梅澤さんと岩城さんだから、俺と松子さんはこうして今も調べ回っているんです。あなた達だって事件を解決したいのは一緒でしょう?目的は一緒なんですよ?警察は2年間動かなかったのか動けなかったのか知りませんが、そんな組織よりも今、現在進行形で新情報を入手している俺らを信用してもらうことはできないんですか?」
実に青臭い演説だ。言っていて恥ずかしくなってきた盃都だが、今はそんな羞恥心などどうでもいい。梅澤が岩城の他に何人の警官とともに動いているのか不明だが、盃都は今この場で4人がチームとしてまとまるべきだと確信していた。
まっすぐな目で、飾らない言葉でぶつかってきた盃都に最初に折れたのは岩城だった。微動だにしない梅澤を気にしつつも、岩城は恐る恐る口を開く。
「……実は、その松子ちゃんを脅した犯人がわかっ」
「岩城!」
岩城の言葉に被せるように声を上げた梅澤。ただ名前を呼んだだけだが、怒気を含んだ声が何を言わんとしているのか全てを物語っていた。大先輩である梅澤の制止を無視して岩城は盃都に告げる。
「松子ちゃんを脅した犯人がわかった」
そんな大事なことについて話していたとは思いもしなかった盃都。驚きを隠せない。そしてそんな重要なことを隠し通すつもりだった梅澤にがっかりした。だが今はそんなことは気にしてられない。
「誰ですか?」
「……」
ここまで言っておいて言い淀む岩城にイラつきを隠せない盃都。声を荒げそうになるが、グッと堪えて冷静に岩城に尋ねる。
「俺らは命をかけてるんです。危険が迫っているのであれば、敵が誰なのか分かっているのでれば、教えてください」
まっすぐ岩城を捉える盃都の瞳。岩城はその視線を受け止めて一度頷き、梅澤の方へ向き直る。そして頭を下げた。
「梅澤さん、お願いします。盃都くんたちに情報を共有して、警察ではなく個人として捜査をしてください」
「…それがどういう意味かわかっとるんか?」
「はい……。僕は首をかける覚悟です」
盃都は驚いた。自分からお願いしておいて驚くのは変なことなのだが、自分が思っていたよりも岩城のこの事件に対する熱量や自分たちを信じてくれている思いが強かったからだ。もわず岩城を見る表情に戸惑いが生じた。その盃都を見た岩城はふっと微笑んだ。
岩城は盃都に自分の行動が意外なこととして写っていることは分かっていた。だが、このまま事件を有耶無耶にしては岩城が鑑識を目指した意味がなくなるのだ。岩城は秘密の捜査をするために鑑識を目指したと言っても過言ではないのだから。梅澤の非公式な捜査協力要請に応じてきたのもそれが狙いだ。民間から公務員に移ったばかりの身あるが、指揮系統を逸脱した独自捜査による懲戒処分で首が飛ぼうが、せっかく勝ち取ったポジションで憧れてやまない秘密の捜査を目の前に黙っていられないのだ。そんな狂った理由など知る由もない二人から異様なものを見る目を向けられようが、岩城は一向に構わないのである。元々それなりに狂気を持っていなければ、海外ドラマに憧れて鑑識を目指したり、そもそも梅澤に協力などしていないのだから。
梅澤は後輩であり仲間である岩城の狂った一面を見せられ、それをどう受け止めていいのかわからなくなった。だが、元はと言えば岩城に声をかけてこの山に乗るように仕向けたのは自分だ。道を踏み外そうと誘った張本人が、やっぱり辞めたなどと引っ込むことは許されないのである。岩城も盃都もおそらく松子も、自分の周りには無茶をする人間ばかりが集まっていることを改めて自覚した。梅澤がこの田舎に飛ばされてきた理由こそ、彼らのような無茶な行動力が招いた結果だった。それなのに自分は仲間を同じ道に引き摺り込もうとしている。そのことに今更ながら気づいた梅澤は盛大なため息をついた。そして天井を仰いで笑った。
「お前の首程度でどないかなることちゃうねんで?盃都と松子を巻き込んで独自捜査をするっちゅうことは」
「……じゃあ、梅澤さんの首をかけてもらって」
そう冗談混じりに言った岩城。だが、梅澤の返答に岩城は焦った。
「せやな〜、首は当たり前やけど、豚箱行きは覚悟やな」
「で、でも、警察内で犯人側に内通している者がいることはほぼ確じゃないっすか!これは不可抗力というか、情状酌量の余地ありの違法行為っすよ!」
岩城の言葉に耳を疑った盃都。前々からうっすらそんな気はしていた。だが、岩城と梅澤のような警察官本人たちが自分たちの仲間を疑っている。口ぶりからしておそらく決定的な証拠があるのだろう。尚更聞かずにはいられない。
「梅澤さん、何があったんですか?」
梅澤は全てを覚悟し、諦めたように話し始めた。
「松子を脅した奴が誰なんか、あのホテルの監視カメラ映像をチェックしとったんやけど…そこに信じられへん人物が写っとったちゅうか」
「警察関係者ですか?」
「関係者もなにも、警察官や。ほんでその監視カメラ映像、ホテルからもらった原本が鑑識課のラボ内で誰かにデータ消されとるし」
「え…その監視カメラに写っていた警官がやったんですか?」
「その警官、交番勤務やねん」
「……つまり、警察署内にその警官の協力者か仲間がいるってことですか?」
「そういうことになるな……どっちが協力者かなんかはわからへんけど」
警察内に犯罪に通じる者がいると分かったとはいえ、複数となると、流石に梅澤たちは困っていたのである。盃都は先ほどの梅澤の真顔と、自分たちを巻き込むまいと最後まで隠そうとしていた理由がわかった。だが、逆にいえば、岩城も言っていたが警察としてではなく、個人として捜査をした方が内通者の妨害を避けることはできる。内通者が他に誰なのか、誰の指示で動いているのか分かっていない限り、警察内で堂々と捜査するのは危険である。これ以上捜査情報を消されては困るのだ。ふと盃都は気になった。梅澤に託した重要な情報であり遺品。あれはどうなったのだろうか。渡して数日になるが、まさかそれまで壊されたり盗まれたりしていないだろうか。盃都は尋ねずにはいられなかった。
「あの、梅澤さんに渡した桜太のスマホ、どうなりました?」
「…………」
梅澤は盃都を見て口を一文字に結んだ。嫌な予感がした盃都。
「まさか、それも……」
「俺のデスクで保管してたんやけど……今日、消えとった」
「…僕が鑑識課のラボに保存しておいたデータもね」
そのスマホは嘉乃から託されたものだ。事件を解決したら返さなければならないもの。大事なものだから貸してあげると言われて託されたもの。犯人逮捕は必ずやり遂げなければならないミッションだが、あのスマホを無事に嘉乃に返すことも盃都に課されたものだった。重要な情報の他にも、兄との思い出が詰まっていたであろう。茜はそのスマホを元に例の三人を調べ、亡くなった。犯人につながる情報が入っていたに違いない。
そんな事件につながる情報源をみすみす失くしてしまった梅澤に、盃都は言い表せない怒りを覚えた。岩城がバックアップをとっていたものまで。だが、梅澤に感情をぶつけても何も解決しない。梅澤も厳重に注意した上でのことだろう。それでも盗まれたのだろう。そもそも、警察署内で窃盗が起こるなど誰が予想するだろうか。行き場のない気持ちをどう処理していいのかわからなくなっている盃都は拳を握りしめるしかできなかった。その様子を見た梅澤は盃都に謝る。
「せっかく見つけてきてくれた情報やのに、こんなことになってすまん。まさか身内に犯罪者がおるとは思わなんだ。データは全て岩城のとは別でコピー取っとるけど、ハードは戻ってくるか怪しい。もちろん全力で探すけど、盗んだんが誰なのかもわかっとらんから…」
「……梅澤さんのデスクってことは、刑事課の部屋に入れる人物ですよね?」
「ああ」
「じゃあ、梅澤さんと同じ刑事が事件の容疑者になるってことですか?」
「そうとは限らん…あの警察署は生活安全課と刑事課が一緒になっとる。田舎やからな、人で不足も避ける予算も少ないんや」
「どちらにせよ、警察内部に犯人につながる人物がいるってことですよね?」
「せやな……」
梅澤自身が中の情報はコピーを取ってあると言っていたことからすると、スマホが消えたところでそれほど騒ぐことではないと言えばそうだろう。だが、遺留品が紛失するというのは警察への信頼が揺らぐのと同時に、遺族にとっては失望だろう。犯人検挙もまだと言うならば尚更。2年前もこうして事件の捜査を邪魔した者がいるのだろうか。茜はだからこそ、あのスマホを警察に届け出ずに自ら調べていたのだろうか。そう思われても仕方のない事態が起こっていた。スマホが紛失したことは惜しいが、まずは犯人につながる情報があるのかどうか確認することが先決である。盃都は気持ちを切り替えて梅澤に尋ねる。
「その梅澤さんのデータのコピーまで壊されたりしてませんよね?」
心配そうに尋ねる盃都に、梅澤は今度こそ自信を持って答えた。
「それは絶対に大丈夫や。最悪の事態を想定して、データを外部の人間に送っといたからな」




