お姉さんの証言
“怪しい人なら知ってる”。ハッキリそう言った葵は食後のコーヒーを追加注文してから話し始めた。
「牡丹はグレててね。私のせいでもあるんだけど、でもあそこまでグレるとは思ってもみなかったの。まさか、私の元彼と関係を持つとは…しかも犯罪者よ?」
「色々聞きたいんですけど、私のせいでって、どういう意味ですか?」
盃都はすかさず質問した。桜太と比較して荒れに荒れている噂しか出てこない洞牡丹が如何にしてああなってしまったのか。気にならないはずがなかった。葵はやや気まずい表情をして答える。
「なんて言うか、あの子が犯罪者と付き合ってたのは私のせいなの。私があんな奴と付き合わなかったら接点すらなかっただろうし、あの子が非行に走ったのも私がちょうど一人暮らしを始めた頃だから。思春期に家であの子を一人にさせちゃった私の責任なの…」
「……お母さんもいるじゃないですか」
母親のようなことを言う葵に疑問を抱いた松子は本当の母親を話題に出してみるが、さらに気まずい表情へと変わっていく葵。母親とは心の距離も遠いらしい。なんでも聞いて、と言ったため答えないわけにいかない葵は渋々、母親について口にする。
「…美緒さんはあの子から聞いてるかもしれないけど、私は母とうまくいってないの。母は反抗期って言うけど、そうやってなんでも反抗期のせいにして私のことわかろうとしない感じも嫌いだし、何より水商売やってるってのが……私は無理。わかるよ?母子家庭だから母親が稼がなきゃいけないっていうのは。おかげで高校を卒業させてもらえたし…でも、いくら美人だからって言っても男に媚び売る仕事だけはやって欲しくなかった。私も牡丹もそこまで成績は悪くなかったから、授業料がかからない枠を選んで進学したし。……なのにこんな田舎でそんな商売やったら、絶対噂になるもの、悪い意味で」
この田舎の惨状を知っている二人は葵の意見に頷くしなかった。隣近所に誰が住んでいるのかさえ分からないような東京では、どんな仕事をしようが何をしようが話題にさえならない。人も物もイベントも多すぎて他人にイチイチ構っていられないのだ。だが田舎は違う。誰が何をしたのかSNSより早く情報が回り、たいていの噂は尾鰭背鰭がつき、悪意がある下手くそな伝言ゲームのようになってしまう。ゴシップしか楽しみのない、暇な田舎の老人の餌食となるような母親から距離を取りたいと思うのは不思議ではない。二人は葵に同情せざるを得なかった。
「確かに…この田舎だと尚更そうですよね……」
盃都は自分の祖父や桜太の遺族が村八分に遭ったことを思い出して、思わず噛み締めながら言葉が出た。
松子はさらに気になることを聞く。
「牡丹が付き合ってたっていうお姉さんの元彼、今はどこにいるんですか?」
「言ったでしょ?犯罪者だって。塀の中よ」
「罪状は?」
「麻薬密売」
洞牡丹と麻薬が繋がった。そして新たな疑問が浮かんできた盃都は葵に尋ねる。
「その人が捕まったのはいつですか?」
「確か、牡丹が亡くなったすぐ後かな…逮捕されたって聞いた時は、アイツが牡丹を殺したのかと思ってたけど」
当然のように牡丹殺害容疑をかけられる薬の売人である元恋人。一体どんな人物だろうか。二人は同時に同じことを疑問に思った。尋ねる間も無く葵はうんざりした様子で言葉を続けた。
「アイツ、榊原将吾っていうんだけど、私と同い年。私が高専の時にアイツは工業高校で、当時はまだ犯罪に手を染めてはいなかった。不良が多い学校だから、いつかは影響されるかもって思ってたけどね。すぐに不良集団と連みだして…高2で付き合ったけど、一年もしないうちに別れたわ。何度かうちに来て、牡丹のことも可愛がってくれてたから、本来は悪い人じゃないんだろうけど……突然暴力っぽくなって。夜に呼び出して来ることも増えて」
「夜?この町って夜に遊ぶ場所なんてありましたっけ?」
盃都はこの町の地図を頭上に思い浮かべるが、高校生が夜に遊びにいくような場所は思い当たらない。
「夜に呼び出しって、どこに呼び出されるんですか?」
「スタンドバーよ。若い人たちが飲みにいく場所。店内は激しい音楽と照明に、もうほとんどクラブみたいなものだけどね」
牡丹の同級生が言っていた“牡丹と腕にタトゥーがいっぱい入った男の人が出てきたクラブ”のことだろうか。そう思った二人が次に聞きたいことは同じだった。二人同時に声が被り、松子が盃都に質問権を譲る。
「その元彼って、もしかして、腕にタトゥーが入った人ですか?」
「そう。腕も首もタトゥーだらけ」
腕だけでなく首も。盃都はラーメン屋で梅澤たちが追っていた男を思い出した。
「髪は短い金髪ですか?」
「そう」
「よく、タイトなアンダーシャツの上にTシャツを切るようなファッションをしていましたか?」
「アイツ野球部だったからかな、そういう格好をよくしてた。建設業で働いてたから。よくそんな格好で現場にいるのを見たことあるわ」
「…車は黒のマジェスタですか?」
「マジェスタ?」
「黒いトヨタのセダンに乗っていましたか?榊原将吾は」
「……アイツ、先輩から中古の車譲ってもらったって黒いセダン乗ってた。2年前もよくあの車で町を走るのを見たよ。でも、なんで大輝くんがアイツの車も見た目も知ってるの?」
この葵の発言によって、ラーメン屋で見た男と洞姉妹の元彼“榊原将吾”がほとんど一致した。ということは、その薬の売人は今は釈放されていることになる。そのことを知らないだろう洞葵。さきほど榊原将吾は塀の中にいる犯罪者だと言っていた。このことを聞いたら驚くだろうが、一応知らせたほうがよさそうだと思った盃都は気をつけてほしいという意味を込めて葵に伝える。
「おそらくその榊原将吾と思われる男は、今は出所してこの町で生活しています」
「え??アイツ、刑期5年だよ?まだ2年しか経ってないのよ?そんなはずはない」
「見たんです、この前、国道沿いのラーメン屋で」
「嘘でしょ…なんで?誰が出したの?まさか組織が動いたとか…?」
組織とは何の組織だろうか?麻薬密売の組織だろうか?梅澤から聞いた情報によると、あのラーメン屋にいた男は暴力団関係者らしい。もしあの男が最近出所したとなると、なぜあの男が梅澤たちにマークされていたのか説明がつく。藤田建設絡みの事件の容疑者があの男だったとすると、あのラーメン屋にいた榊原将吾であろう男は薬の売人どころか暴力団関係者ということになる。そして、榊原将吾を出所させるのに動いた組織があるとするならばそれは暴力団ということになる。盃都は声のボリュームを抑えて小声で葵に尋ねる。
「もしかして、その組織って暴力団のこと言ってます?」
「いえ、彼はただの薬の売人。売人グループに出資している人がこの町で有名な権力者だってアイツ言ってた。暴力団みたいな戒律が厳しい集団に入るような度胸はないよ、アイツは。薬売るチンピラがせいぜいよ。野球部でさえ小中高と途中で全部ドロップアウトしてるんだから」
葵曰く、榊原将吾は小物の悪党らしい。だが、小物をわざわざ梅澤たちが追尾するだろうか。出所早々、何かやらかしたのだろうか。それとも…。盃都の脳内は榊原将吾が何者なのかあらゆる可能性が出てきて渋滞している。いつものように顎に片手を当てて熟考モードに入った盃都を横目で確認した松子は葵に尋ねる。
「その榊原将吾がよく薬を売ってる場所は分かりますか?」
「以前はそのスタンドバーとか。逮捕されたのはこの町の唯一大きいイオンの立体駐車場で現行犯逮捕だったみたいだけど…」
「誰に売ってるんですか?」
「分かんないけど、先輩たちとよく連んでたよ?一回り以上も上の先輩とかもいたかな?」
「高校生相手に商売してたとか聞いたことあります?」
「いいえ、学生と一緒にいるのはあまり見たことないの。グレる前も犯罪者になった後も」
「……牡丹に売ってたりしませんでした?」
松子の質問に驚きを隠せない葵。何に驚いているのだろうか。榊原将吾が自分の妹に薬を売ったこと?それが他人にバレてたこと?それとも、自分が知らないところで妹が薬に関係していたこと?松子は下手に言葉を口に出すことができなかった。葵は何かを察すると黙るタイプだろう。きっとそうやって元彼がグレた時も周りに助けを求めずに自分でなんとかしてきたのだろう。唯一の親である母親に頼ることはしないだろうから。松子が黙って葵を見ていると、焦燥感に駆られた様子で葵が口を開いた。
「……やっぱりやってたのね、あの子」
盃都は葵の今の言葉で察した。洞牡丹は姉に隠し事をしている、と。葵も逆に牡丹が危ないことをしているとわかっていて見て見ぬフリをしてきた、と。事件につながる重要な情報をこの洞葵は持っていない可能性高い。せいぜい薬とパパ活という、同級生が噂していた程度のことだろう。そう思った盃都は葵から情報を引っ張ることを半ば諦めた。だが、松子は違った。なんでもいいから情報を引き出そうと必死だ。
「やっぱりって、どういうことですか?」
「あの子が消えた日、警察に聞かれたの。“妹さんは薬をやってませんか?”って」
「じゃあ警察は、薬絡みの事件に巻き込まれたと踏んで捜査してたってことですか?」
「わからない。あの子の恋人はいるのか聞かれて、私、その時警察に“知らない”って言ったの」
「え、でも、榊原将吾と付き合ってたんですよね?」
「それも定かかはわからない。ただ、あのバーから出てくるあの子とアイツを見たことがあって。町でも何度か一緒にいるのを見かけたことがあったから…まさか、私の元カレと付き合ってる?なんて妹に聞けないじゃない…本人も姉の元カレとそういう関係だなんてわざわざ言いたくないだろうし」
「二人が関係を持ってること、警察に言いましたか?」
「いいえ、余計なこと言ってあの子に疑いの目が向けられるのが嫌で…その時はまさか自分の妹と元彼がそういう関係だなんて思わなかったの。いえ、思いたくなかったの。ましてや、アイツは犯罪者よ?そんな人間とあの子が一緒にいるんなんて、想像しただけでも……やっぱり私のせいだわ…あの子が死んだのは」
洞葵は現実から目を逸らし続けてきたのだ。わかっていてそうした。盃都は“やっぱり“と言ったあの言葉からそのことを察したのだ。結局、妹を心配するフリをしているだけで自分だけが可愛いのだろう、この洞葵という女性は。無意識に妹と関わるのを避けていただろう。深く関わるほど見たくないものが見えてきてしまうことがわかっていたから。知ってしまえば自分も非行少女のお姉さんになってしまうから。何も知らない可哀想なお姉さんでいられなくなるから。
盃都はあの時の松子の気持ちが少しわかったような気がした。サービスエリアでひたすら菜月についてボロクソに言っていた松子。今の盃都はその時の松子と似ていると自分で思った。盃都が嫌いなタイプなのだ。今、目の前で泣きながら話す女性が。自己肯定感が低いわりにプライドが高く、汚くずるい本心は決して誰にも話さない。被害者のフリをして他者をコントロールしようとする人間。
本当に妹を心配していたのであれば、怪しい人間の名前を警察に伝えて片っ端から捜査して貰えばよかっただけだ。榊原将吾が薬を売っていたことも、その薬をどこで捌いていたかも、妹と会っていたことも知っていた。その上で妹が行方不明になった時、死体で発見された時、この情報を警察に与えなかった。この女性は洞牡丹を助ける気も、死んだことに対する罪悪感もないだろう。口では“自分が悪い”と言ってるものの、本心では思っていないだろう。
一人しかいない姉妹だというのに、なぜそんなに愛情がないのか。一人っ子の盃都は尚更わからなかった。ましてや、桜太を実の兄のように慕っていた盃都にとっては理解し難い人種だった。
洞葵が全て情報を警察に伝えていれば、もしかしたら桜太は生きて発見されていたかもしれない。犯人はとっくに捕まっていたかもしれない。この女性のせいで桜太が犠牲になったかもしれない。一度そう思ってしまうと感情は止められない。普段感情的になることなどほとんどない盃都だが、この時ばかりは我慢ならなかった。もしかしたら葵が何か情報を持っているかもしれないが、感情をコントロールできず酷い言葉をぶつけて松子の情報収集を台無しにしてはいけないと思い、盃都は平常心を装って中座することにした。あとは相棒に任せて。
「すみません、ちょっと大事な電話が入ったので、俺はここで失礼します」
「え?」
突然のことに驚く松子。だが盃都は自分が抜けることが当たり前かのように話す。
「美緒さんはそのまま続けててください。女性同士の方が話しやすいこともあるでしょうし」
「…帰るの?どうやって?」
「梅澤さんに迎えにきてもらいます。葵さん、貴重なお時間ありがとうございました」
「いいの。気をつけてね、大輝くん」
盃都は葵に軽く一礼し、松子にお金を渡して先にファミレスを出た。




