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衝撃の再会


 盃都(はいど)弥生斗(みきと)の家から出てエレベーターを降り、両開きの押しドアを通過してエントランス出口の自動ドアへ向かって歩いていると、外から小学生くらいの女児が走って中へと入ってきた。半透明のビニール素材のバッグを肩にかて、半袖短パンからは日焼けしたであろう薄小麦色の四肢が覗く。目の横には白い線があった。田舎で会った梅澤(うめさわ)のように。


 その女児の髪は僅かに濡れている。ドライヤーで乾かさずに数十分放置したかのように表面が乾き始めていて髪の色がところどころ違うように見える。その女児とすれ違う際、ほのかに塩素の匂いがした。

──夏って感じだな。

 そう思った後に盃都はハッとした。先ほど弥生斗と重い話をしてきた後だと言うのに。こんなにも単純なことで風情を感じられる余裕が自分にあるのだな──と驚き思わず笑ってしまう。

──兄のような親友が殺されて黙っていられないとか自分で言っておいて、実はそんなに落ち込んでいないのか?

 そう、自分を疑い呆れた時だった。

 

「はいどくん?」

 

 後ろから声が聞こえた。幼い子供の声だ。“盃都”という名前はよくある名前ではない。漢字も読み方も。何故、親がこの名前をつけたのかいまだに聞くに聞けない盃都だが、自分の名前と同じ日本人はかの有名なビジュアル系バンドのボーカル以外にそうそういない。まさかそのボーカルがここにいるとは思わない盃都は自分が誰かに声をかけられたのだと疑わなかった。


 盃都は声がした方を振り向くと、先ほどすれ違った女児がエントランスのドアから顔だけ覗かせてこちらを見ていた。盃都は見覚えのない女児に首を傾げ、自分を指差すと、女児は遠慮気味に口を開く。

 

「お兄ちゃんとおともだちの、はいどくんですか?」

「……お兄ちゃんって、誰かな?」

 

 盃都はその場を動かずに言葉を返した。無駄に近寄って不審者扱いされても困るからだ。ロリコンだと勘違いした人間が通報でもしたら盃都の将来は一瞬で終わる。


 女児と盃都はお互いに警戒し、側から見れば不思議な状況だ。女児は盃都の言葉を聞いて一瞬戸惑う様子を見せたが、両開きのドアの取っ手をぎゅっと握って勇気を出して答えた。

 

「私のお兄ちゃん、おうたくんって言うの」

「……っ」

 

 桜太の名前が出てくると思わなかった盃都は息を呑んだ。呼吸は止まったが思考は止まってなどいない。先ほど弥生斗が、嘉乃(よしの)はプールに行っている──と言っていたことを思い出した。そして目の前の女児がプール帰りそのものである状況がすぐにつながった。極めつけは桜太をお兄ちゃんと呼ぶ唯一の人物。

 

「嘉乃ちゃん?」

 

 盃都が名前を呼んだ瞬間、女児は一瞬にして笑顔になり、まっすぐ盃都に駆け寄って抱きついた。

 

「はいどくんだ!」

 

 あらゆる突然のことに驚く盃都。嘉乃と会うことさえ驚きな上、その嘉乃が駆け寄って抱きついてくるとは思わなかった。

─こんなに人懐っこい子だったか?

 記憶を遡るが、いつも桜太や両親の後ろに隠れている嘉乃しか思い出せない。そんな小さい頃の面影がまるで無いかのように園児から人見知りのないかのような小学生に成長している嘉乃。とはいえ盃都からすればまだまだお子様だ。


 盃都は自分の育った環境には小さい子供がいないため、こういう時にどんな反応をすべきなのか分からず挙動が不審者になる。

 

「あ、えと……嘉乃ちゃん、久しぶりだね?元気だった?」

「うん!はいどくんは、元気?どうしてここにいるの?」

 

 純粋な眼差しで見つめられると盃都は目を逸らしたくなった。嘘をつくのは心が痛むが盃都のエゴにまだ幼い嘉乃を巻き込むわけにはいかない。

 

「俺はこの通り元気だよ。えっと──今日はたまたま用事があってね」

「そっか!うちに寄ってく?」

 

 盃都が先ほどまでお邪魔していたことなど夢にも思わない嘉乃。盃都が何故ここにいるのか、盃都の言う“たまたま用事があって”の用事が“自分の家の事“とは全く思っていない嘉乃。その純粋無垢な嘉乃を目の前にたじたじになる盃都。

 

「いや……あの、今日はちょっと、このあと他の用事があって──」

 

 盃都がやんわり断るとあから様にがっくりと肩を落とす嘉乃。ますます心が痛む盃都だが、嘉乃はすぐに何か次の希望を見つけたようだ。

 

「ちょっと待っててね、はいどくん!」

 

 そう言って嘉乃はマンションの奥へと走って行ってしまった。一人取り残された盃都は立ち尽くす。“待っててね”と言われた分、帰るわけにもいかずマンションのエントランスの壁に寄りかかって待つ。


 目の前の自動ドアが何度か開いて、おそらくこのマンションの住人だろうと思われる人たちが出入りする。住人からすれば、見知らぬ男がエントランスに突っ立っていれば警戒して当然だ。盃都はチラチラと向けられる不審者を見る視線が痛くなってきた頃、ようやく嘉乃が戻ってきた。嘉乃は紺色のカバーのスマホを盃都に手渡す。

 

「これ、はいどくんに渡したくて!」

「何?これ?」

「お兄ちゃんの!」

 

 突然、重要証拠になりうる物を手渡されて固まる盃都。

 

「えっと……、これ、なんで俺に渡したかったの?」

「お兄ちゃん、殺されたんでしょ?お母さんが言ってた」

「え」

 

 弥生斗の話を聞いて嘉乃がこの話題を理解しているとは思わなかった盃都は驚きを隠せない。どう言葉を返すのが正解なのか分からず言葉を探していると、嘉乃が力強い眼差しで盃都を見つめた。

 

「お母さんがずっと探してたの。お兄ちゃんを殺した人を。でも、お母さん悲しくて死んじゃったんだって。お父さんが言ってた」

「……」

「もう誰もお兄ちゃんのこと調べてくれないから、はいどくんに頼みたくて」

「そっか──、でも、なんで俺に頼むの?」

「お兄ちゃんが、はいどくんは頭がいいって言ってたから!はいどくんなら、お兄ちゃんを殺した人を見つけられるでしょ?」

「どうだろう──見つけたいけど……」

 

 桜太にそんな風に思われていたとは全く思わなかった盃都は驚く。

──桜太に成績のことを話したこともないし、なんなら成績は中の上くらいだぞ?間違っても頭が良いとは言えん。

 ひどく悪いわけではないが、桜太は何を勘違いしたのか盃都について嘉乃に間違った情報を与えていたらしい。桜太のことも盃都のことも疑わない嘉乃は期待の色を浮かべた瞳で盃都を見る。

 

「見つけたら教えてね!約束だよ?」

「──犯人を教えたら、嘉乃ちゃんはどうするの?」

「警察に突き出す」

 

 可愛らしい見た目にそぐわない強い言葉を口にする嘉乃に驚き、リアクションを見つけられないでいた盃都。嘉乃はそんな盃都をよそに続ける。

 

「お母さんが言ってたの。犯人を見つけて警察に突き出すって。だけどお母さんもういないから──私は何もできないし。お父さんはお兄ちゃんとお母さんの話をすると悲しむから言えないし……とにかく今は、はいどくんにしかお願いできないの」

 

 拙い話し方をするが思考は盃都や弥生斗が思うよりしっかりしている嘉乃。嘉乃を侮っていた盃都は感服する。まだ8歳の女児が父親を気遣い、当時自分たちの家族に降りかかった出来事を受け止めている。盃都も弥生斗に成長という変化を驚かれていたが、嘉乃も成長しているのだ。

 

「これ、お母さんがずっと見てたから、何か大事なことがあるのかも。でもパスワードがかかって私は見れないの。私が持ってても、お母さんみたいに調べられないの」

「でも、これは嘉乃ちゃんにとって、大事なものなんじゃない?俺が持っててもいいの?」

「うん!大事なものだから、はいどくんに貸してあげる。絶対犯人を見つけて、私に教えてね!その時にそれを返しに来てね!待ってる!」

 

 そう言って嘉乃は走って行ってしまった。


 

 盃都は嘉乃に手渡された桜太のスマホを持ったまま、そのスマホを見つめる。大事なものだから──と嘉乃は言っていた。

 

「……大事なものを俺に渡していいのか?」

 

 思わず溢れる独り言。嘉乃にとっては自分の兄の形見にもなるかもしれない大事なものを、交流があったとはいえ自分が持っていてもいいものなのか悩んでしまう。とは言え、貴重な情報源であることは確かだ。盃都は桜太のスマホを鞄の中に入れた。

 

 最初は反対する姿勢を見せつつも、茜が調べていた桜太の友人らしき三人がいるという情報を帰り際に盃都に投げた弥生斗。


 母親が見ていたからおそらく兄の事件の重要な情報が入っているだろう──と察して盃都に託した嘉乃。特に嘉乃からは、犯人を見つけたら教えてくれ──という重要な任務を頼まれた。実際に教えるかはともかく、嘉乃と生前の茜の願いである“犯人逮捕”を実現するためにも盃都はもう引き返せな口なった。


 田舎から帰るあの日、新幹線の中で決意をしたとはいえ改めて身が引き締まる思いの盃都。早速家に帰って桜太のスマホのロックを解除するところから始めようとマンションのエントランスを出た時だった。


 マンション前にある植木の影から突然、人が飛び出してきて盃都にカメラを向けてシャッターを切る。フラッシュがたかれており片腕で目元を防護するが漏れてきた光で目が眩む盃都。全く予期しない出来事に焦っていると、聞き覚えのある声で目の前のカメラを持った人間が笑っている。


 間も無くしてフラッシュの残像が消えた頃、恐る恐る目を開けて確認すると、カメラを首にかけ、両手を腰に当てて立っている松子(しょうこ)がいた。全く状況が読めない盃都は一言文句でも言ってやりたかったが言葉が出てこなかった。何かを言おうと口を開けたはいいが未だ混乱して眉間に皺がよったまま固まる。ようやく出てきた言葉は自分でも情けないものだった。

 

「ない……あり得ない」

 

 首を振りながらつぶやく盃都は今目の前にある光景を拒絶する。何も見なかったことにして立ち去ろうとした時、いつぞやの図書館の時のように腕を掴まれた。

 

「ちょっと!なんで無視すんの??相棒との感動の再会じゃない!」

「相棒?誰が?誰の?」

「アンタは私の相棒でしょ?窮地を救ってくれたの忘れたの?」

「窮地に陥ってる自覚あったんですね。てっきり、脅されてる自覚なく悠長に朝シャワーしてる鈍感女かと思いました」

「アンタねえ──まあいいわ、とりあえずこっち来て」

 

 そう言われ松子に案内されて盃都が連れてこられたのはこのマンションの来客用の駐車場。赤いスズキのスウィフトが停まっている。今度は“わ”ナンバーではない。


 その車の運転席に松子は乗り込んで、助手席に乗るようにジェスチャーで促される盃都。さっさと家に帰りたい反面、盃都は松子に聞きたいことがあったため、渋々助手席に乗り込んだ。


 車内は熱気を閉じ込めたサウナのように暑く、松子がそれなりの時間、車のエンジンを停めていたことがわかる。後部座席にはボストンバッグが一つ置かれていた。盃都は旅行に行く時以外にボストンバッグを使ったことがない。どこにでも行くようなフッ軽女の松子が普段から荷物を多く持ち歩くようには見えなかった盃都は、会って数分で松子に聞きたいことがどんどん増えていく。


 松子はエンジンをかけ冷房を入れるがサイドブレーキは上がり、ギアもどこにも入っておらず発進する気配がない。今時そう多くはないマニュアルの車に乗っているあたり、松子は運転が好きなのだろうと推測する盃都。盃都がマニュアル車を見るのは、田舎で春如(はるゆき)の軽トラに乗せてもらう時くらいだ。盃都が何から尋ねようか迷っていると、松子が先に口を開いた。

 

「アンタがまさかロリコンだったとわねー」


──何言ってんだコイツは……。

 とんでもないことを口にした松子に思わず心底嫌そうな顔で目を向ける盃都。あからさま過ぎる盃都のリアクションに手を叩いて笑う松子だが、盃都にとっては死活問題であるため、全力で否定する。

 

「俺がロリコン?つまらない冗談やめてください。この炎天下に俺を尾行して暑さで頭やられましたか?」

「そんなムキになるなって〜。それより、なんで私が尾行してたってわかったの?偶然居合わせただけかもしれないじゃん」

「偶然、このマンション(こんなところ)で出会う方が無理あります。それに、顔真っ赤ですよ、鶴前(つるさき)さん。そうなるまで炎天下に長い間いなきゃいけなかった理由は、このマンションからいつ出てくるか分からない誰かを待っていたから。この駐車場からではマンションのエントランスは見えませんから」

「相変わらず洞察力が素晴らしいね〜、さすが私の相棒!」

「だから相棒じゃないですって」

 

 松子のウザ絡みに嫌気がさしながらも、盃都はしょうがなく松子に尋ねる。

 

「なんで俺の居場所わかったんですか?まさか本物のストーカーですか?」

 

 松子はニヤニヤしている。本当に後をつけられたのかと盃都は鳥肌が立ってくるのを感じた。

──まさか、家までバレていないよな?

 盃都の心の声をまたしても読んでくる松子。

 

「もちろん、はいどの家がどこなのかもわかるよ?都内に一軒家って、結構お金持ちなんだね?」

 

 信じられないものを見る目で目の前の松子を見る盃都。目の前の女子大生がガチのストーカーなのか、犯罪じみた行為をしたアホな女子大生なのか見分けがつかず困惑する。


 そもそも何故、松子はこんなことをするのか。自分が松子につけられる理由が見当たらずに松子を横目で見ながら考える盃都。その様子を楽しそうに見ている松子は盃都の鞄を突然漁り始めた。

 

「ちょっと、やめてくださいよ。人のものを勝手に──」

 

 盃都が松子の行動を止めようとした時、松子は盃都の鞄の中から白く丸いものを取り出した。見覚えのない盃都はさらに困惑する。だが運転席側のダッシュボードに付けられているスマホスタンドに刺さっているスマホの画面に映る青い点を見て、盃都は座席にもたれかかって天井を見る。盛大なため息をついた盃都はらしくもない声をあげた。

 

「もーーーー!何してんスか?マジで」

「いやー、いつ気づかれるかなーと思ったけど案外いけるもんだね〜。まさか、どこに行くにもこの鞄を持ち歩くとは思わなかったけど。この鞄はおばさんのエコバッグみたいでダサいからやめた方がいいよ?」

 

 余計なお世話とも言える最後の一言には呆れてものも言えない盃都。怒りよりも言葉を失うしかなかった。

 

 

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