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プロローグ

プロローグ

 シャツが体に張り付き、机と前腕の間に敷かれている再生用紙は腕を上げるとくっついてきた。その紙には夏休みに入る生徒へ向けた注意事項が書かれていた。長々と書かれているが、要するに、非行はするな、ハメを外すな、勉強しろ、ということ。よく校長先生が夏休み前の集会で喋ることだ。

 高校3年生の菊地盃都(きくちはいど)はうんざりした目でそのプリント用紙を眺め、角と角を合わせて丁寧に折ってクリアファイルへと入れた。いつもより少し長めのホームルームが終わり、教室からは一斉に生徒が出ていく。盃都もみんなと同様に教室を出ると、寄り道するでもなく真っ直ぐ帰宅する。家に帰るまでの途中、何人か男子生徒に声をかけられていたが、片手をあげて軽く流していた。ただ挨拶をした訳ではない。

 “夏休み勉強会するけど、お前も来る?”と聞かれたのだ。盃都の答えは“考えとくよ”という、まるでいく気のない保留だ。

 高校三年生だ。進むべき進路へ向けて受験勉強やら就活やらしなければならない時期。高校三年生にとっての夏休みとは名ばかりで、本来は全く休みではないのだ。だが、盃都は迷っていた。就職か、受験か、そもそも自分は何をしたいのか。高校三年生の夏になっても進路は決まっていなかった。だから余計に、大学進学という目標を持った同級生が集まる場所に行くのは気後れするのだ。

 

 家に帰ると盃都の母親が出迎えた。彼女は江戸川区の病院に勤める看護師だ。

「あら、早いのね?おかえり」

「ただいま。母さんは今日、夜勤じゃなかったの?」

「休み。明日の日勤が足りないからって今日休まされたの」

「そっか、予定が狂わされて大変だね」

 盃都は玄関で靴を脱いで揃えて脇に寄せると、そのまま洗面所へ行き手洗いうがいをする。その間も盃都についてくる母親を不審に思った盃都は尋ねる。

「何?何かして欲しいことでもあるわけ?」

「バレた?」

「で?何?頼みづらいこと?」

「んー、受験生にこんな頼み事するのもどうかなーと思って」

 母親は自分の息子が受験をするものだと信じて疑わないらしい。この間の三者面談でも、一応、希望校の欄に三つの大学名を書いて提出したのは盃都なのだから。それを疑う母親はいない。盃都は今更言えないのだ。考えるのが面倒くさくて模試の点数からいけそうな大学を適当に書いた、なんて。盃都は母親に合わせる。

「受験生の勉強時間を奪うほどの価値があること?」

「それを言われると世の中大抵の物事は無価値だわ」

「大丈夫、今のところ志望校は全部射程圏内。なんでも頼んで」

「さすがお父さんの子だわ!私と違って頭良かったのが救い!」

 盃都の父親は今、NASAに行っている。来月打ちげるスペースシャトルに乗るらしい。

 (まさか、父さんが隔離される前に会いに行くとか?)

 打ち上げ前は宇宙飛行士たちは隔離される。家族が直接会えるのはその前までだ。前に会いに行ったのは2年前だった。物心ついた頃には父親は宇宙飛行士だった。それがすごいことなのかどうかは、まだ実感がない。だが、父親とはほとんど会わない生活をしているため、なかなか大変な仕事だという認識はしている。その父に会いにアメリカに行くのだろうか、と半ば期待、半ば面倒だなと思いながら、含んだ笑顔を貼り付ける母親を見た。



 進路に迷える高校生が夏休みを迎えようとしている中、とある女子大学生は夏休みのサークル活動を決めるミーティングに参加していた。

 大学の角の一室。古くもなければ真新しいわけでもなく、床と壁にはいつできたのかわからない傷があちこちにあった。だが掃除はされているようで、ゴミの類は落ちていない。10人ほどがコの字に並べられた長テーブ席につき、中央にホワイトボードが置かれている。書記の3年が3年の部長の司会に合わせて黒いペンで板書していく。

「次、鶴前松子(つるさきしょうこ)

「はーい、え〜っと、今回は2年前に起きた高校生失踪事件について調べてみようと思います」

「2年前?新しいとすぐ情報が出てくるから調べ甲斐がないだろ。もう少し古い事件はないのか?」

「先輩、これ、未解決なんすよ!」

「……尚更だめ、却下」

「え、なんで!?」

 やたらと軽いノリの女子。大学2年生の彼女はミステリー研究サークルに所属している。松子は提案した事件を却下されたことが不服のようだ。思わず立ち上がったものの、部長が思ったよりも冷めた反応をしたため渋々着席した。

「なんでって、俺たちはミステリー研究サークルだぞ?お前が持ってきたのはミステリーじゃなくて歴とした殺人事件だろ。死体も出てるし」

 松子から資料を受け取った部長は一応目を通した。だが、その事件について新聞の切り抜きを読んで部長は尚更、研究テーマとして承認する訳にはいかなかった。松子はそれが不服らしい。

「けど!この被害者がなぜ失踪してなぜ殺されたのか、誰が殺したのか、今だに何ひとつわかってないんですよ!?ミステリーじゃないですか!」

「実際の被害者がいる。そして2年前なら世間の記憶もまだ新鮮だ。おそらく遺族はまだご存命。不意に掻き乱していい事件じゃない。下手に触れたら炎上案件だ。こんな特級呪物は却下。異論は認めない。次!」

 サークルの部長は最後まで松子の意見を認めなかった。来週のミーティングまでに新しい題材を決めるように言われたが、松子は今更テーマを変えるつもりはなかった。サークル解散後、部長は彼女に一瞥もくれず部屋を出て行った。彼女も一人で大学を出ようとしていた。その時、同じサークルに所属している同期の三橋から声をかけられる。

「鶴前、お前、なんであの事件調べたいんだ?部長も言ってたけど、リスクしかねえぞ、あれ」

「知ってるの?あの事件について」

「多少はな。だって、俺らと同い年じゃん?その被害者たち。同じ東北ってのもあって、高三の時に学校側から注意喚起きたし。受験勉強してる時にニュース見てた記憶もあるよ」

「私も、今だに頭から離れない」

「知り合いなのか?その被害者」

「知り合いってほどでもないけど、喋ったことがある人だった」

「お前東北の人間じゃねえだろ?接点なくね?」

「……一時期甲子園のスター選手追っかけてて、それで、桜太(おうた)くんとは何度か会ったことが」

「マジかよ…」

 三橋は言葉をなくした。自分が予想していた状況とは違ったからだ。松子は被害者と関係があった上に、いつもより真剣な声色だからだ。三橋は松子に“軽い気持ちで調べるのはやめた方がいい“と言えば引くと思っていたのだ。彼女はいつも軽いノリでなんでも余計に首を突っ込みたがる。サークルでも少し浮いてしまうのはそういう理由だ。

「知り合いってなら、調べたい気持ちもわかるけど、これは諦めるべきだと思う。マジで、オカルトだけにしとけって。ここ、そういうサークルじゃん?」

「…でも、このミステリーは解けたら結構すごいよ?犯人だって捕まえられたら社会貢献だよ?遺族だっていつまでも未解決の方が嫌でしょ」

 自分が作成した資料を眺めながら言う松子に、三橋は複雑な感情を抱く。

「……お前さ、前から思ってたけど、探偵ごっこしたいだけだろ?」

「いや…そういう訳じゃないけど…でも、このサークル、ミステリー研究とか言いながら、ただあれこれこじつけてるだけで証拠が全然…陰謀論もいいとこよ」

「っは、陰謀論で遊ぶのがミステリーサークルだろ?」

「それはそうだけど…」

「お前は謎を解きたいだけだよ。探偵サークルじゃないところで探偵やるから、毎回部長たちに白い目で見られるんだよ」

 三橋はそう、釘を刺して去っていった。だが松子は自分がおかしいのかな、とは微塵にも思わなかった。すぐに家に帰り、事件を調べるために現地入りする準備をしたのだった。



 

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