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FLEE  作者: 宮谷内 更
1/3

はじまり


その男は、どん底の私を

更に深い闇の底に突き落として去っていった。


「なんか面白い事ないかなぁ?」

学校での口癖はいつもそう。

具体的に何かが起きて欲しいなんて

本気で思ってるわけじゃない。

二年生に進級して気が付いたら、あっという間に秋が来ていた。

着替えたての冬服が少しだけ暑い。

毎日学校に来て

家に帰って、ただそれだけの毎日

当然そんなセリフが出てくる。


「晴香っていっつもそればっかじゃ~ん」

友達の愛子もつまらなそうに言う。

友達かどうかも良く分からない、薄っぺらい関係の私達。

独りでいるのが嫌だから一緒にいる。

それだけの理由。

自分だってそう思ってるくせに。

つまらない毎日。

それが私の日常。


そう、この日までは―


学校で愛子に「また、明日」と言ったのが遠い昔の事のようだった。

帰宅した私の目の前に現れたのは


血の海に倒れたママ。


現実味のない映像。何が起きているのか理解出来ない。

カバンがドサリと音を立てて手から滑り落ちて

その音に反応したママがうめいた。

「ママっ!!」そのうめき声が私を現実に引き戻し

救急車を呼ぶだけの力を取り戻させた。

その後の事は、ほとんど記憶に無い。

救急隊員のおじさんに言われるがままに家を出て

待合室で待たされたような記憶がボンヤリとある

今、私は蒼白い顔のママと病室にいる。

管がいっぱいついて線みたいのを身体中から生やした見たこともないママ。先生がやって来て

「ご家族の方ですか?他に家族の方はいらっしゃいますか?」

他に…?

私はゆっくりと首を振った。

「そうですか…君は中学生?

 ならお母さんの病気の事を君に話しても大丈夫ですか?」

他に家族なんていないんだから私が聞かなくちゃ。

なんか少し大人になった気がした。


「お母さんは進行性の胃癌です。」


お医者さんが言ったことが、なかなか頭の中に浸透してこなかった。

「大丈夫ですか?まだ早かったかな?」

まだ理解してなかった私はとっさに首を振った。

「本当に他にご家族とか親戚の方はいらっしゃらない?」


家族…私が生まれる前からお祖父ちゃんもお祖母ちゃんもいなかった。

そして、パパは私を保育園に送った帰りに車に引かれて死んじゃった…

今はもう面影すら思い出せない。

叔父さん、叔母さん、イトコのことすら聞いたことが無い。

多分いないんだと思う。

「祖父母も父も親戚もいませんから…」

口に出したとたんに、さっきの「癌」という言葉が染み込んで来た

脳みそと言うスポンジに、どす黒い墨汁がしみこんだみたいに…

手が震え、

足に力が入らない

背筋に誰かが氷を入れて去って行ったみたいだ。

それを、スカートの裾を握り締めて唇を噛み締めて耐えた

「そうですか。」

お医者さんが答えたのは、すぐだったはずなのに時間がとても長く感じた

「手術するには、お母さんの体力が落ちている今は出来ません。」

(だってママ、いっぱいいっぱい血を吐いたもん…)

部屋でのママを思い出す。

背筋の冷たさは、段々なんだか痛くなってきていた。

「望みはあまり無いですが、抗がん剤で癌を縮小させましょう」


(望みは無いって何…?)


もう手は痺れて感覚を無くしていた。


「君は未成年だからお母さんにも病状は知らせます。」

ダメと言いたかったけど

もう喉が言葉を出すことを拒否するように

引き絞られて苦しいだけだった。


気遣わしげな目を向けてお医者さんは出て行った。

私は平然としているつもりだった。

手に汗が落ちてくる。

汗…?

汗だけじゃなかった。

お医者さんが出て行って、一人になった気の緩みから

涙がこぼれてた。

(泣くな!泣くな!これじゃママが助からないみたいじゃない!)

歩きながら手を握り締めておでこをたたき続けた。

気がつくと病室のすぐ前まで来ている。

看護婦さんが白いタオルを抱えて出て行く。

その隅に血みたいな赤いものを見つけて

涙は気がつかない間に引いていた

怖くて足が踏み出せない。

でも、確認せずにはいられない。

(ママは無事なの…?)

気持ちは急いでいるのに

身体は夢の中のようにスローにしか動けなかった。


ママは私が先生に呼ばれて病室を出て行った時と変わらないように見えた。

恐る恐る顔を覗き込む。

相変わらず顔色は悪いけれど

気持ちよさそうに寝ている。

安心して大きな溜息が出る。

同時に力が抜けて丸椅子の上に崩れ落ちた。


ガタッ…


その音にママがうっすらと目を開ける

「ママ…?」

ママの目が空を彷徨う

不安で心臓が小さく縮んだみたいに苦しい

「ママ…?」

その声に反応して私を見つめる

「晴香…?」

声の弱さに今度は心臓が大きくなったように脈打った

「病院…?」

「そう、私が帰ったらママ倒れてたんだよ。」

「倒れて…ああ、そっか…」

「大丈夫?痛いトコない?」

「うん。大丈夫。痛くない。」

ママは笑おうとした。

でも、ちょっと引きつっただけで痛みを堪えてるみたいな顔だった。

「無理しないでね。また倒れたら大変だから。」

「そうだよね…ごめんね…。」

「いいよ。謝らないでよ。」

「うん。ごめんね…。」

「ほら、またぁ。」

「あ、本当だ…すぐ元気になるから、許してね。」

「うん。早く元気になってね。」

私は笑った。笑えたと思う。けど…わかんない。

「家の事は心配しないでね。家事やったことないけどね。」

ママは今度は本当にクスッと笑った。

「やるだけやってみるし。わかんなかったら聞きに来るからさ。」

「そうね…女の子だもんね。これを期に家事覚えなきゃね。」

「うん。将来結婚した時困っちゃうもんね。」

「旦那さんにさせるわけには、いかないものね。」


将来の事を話して未来があると思いたかった。


「じゃぁ、面会時間終わっちゃうから帰るね?」

「うん。遅くまでごめんね。気をつけて帰ってね。」

「大丈夫。また明日も来るから。」

「待ってる。」

「じゃぁね。」

手を振って笑顔で病室から出た。

病室を離れて行けば行くほど

歩く早さは早くなって

最後には走っていた。

トイレに駆け込む

今まで我慢していた物をすべて出すように

お腹の中のものを全部出した。

涙も鼻水もヨダレも何もかも出てきた

声にならない声も出た。

吐いて吐いて

もう吐くものが無くなっても出てくる。

怖い。

怖い。

怖い。怖い。怖い。


吐き気が落ち着いた頃に体が震えてきた

口を拭こうとトイレットペーパーを取ろうとして

手が震えて細かくちぎるのが精一杯だった。

ちぎってちぎってトイレ中に撒き散らして

その上に座り込んだ。

トイレの中だって事も忘れて。

ペーパーホルダーの中の紙が無くなって予備の紙を手にして

もう、面倒臭くなって

そのまま直接紙に口をつけて拭いた。

震えと恐怖がこみ上げてくる中に

笑いがこみ上げてきた

怖いのか悲しいのかおかしいのか

もう自分でも良くわからない。

「はははははは」

声が出た瞬間に

悲しみが襲ってきた

(一人になったらどうしよう…)

せっかく拭いた顔が汚れる。

上を向いたけど

そんなの関係なく涙がこぼれてきた。

悲鳴のようなかすれた小さな声が喉から出てくる。

喉の奥が熱い

目の奥も頭の芯も。

ぐちゃぐちゃのトイレットペーパーを握り締めて叫んだ。


「一人に・・・しないでぇ・・・・・・・」


もう声にもなっていない。

喉から空気が押し出されたような音。

でも、私の精一杯だった。


かろうじて顔だけは洗えた

でも、顔を拭くことも

トイレットペーパーを撒き散らした

トイレを片付けることも出来なかった。

家に帰るという本能だけで動いていた。


いつも見慣れた街なのに

やけに暗い。

家に帰りたいのに

帰りたくない。

足は全然前に進まない

それどころかどんどん遅くなっている。

誰も家にいない恐怖。


一人で家に居るということは

誰かの帰りを待ちながら

一人で留守番するのと

誰も帰ってこない家に

一人で家に居るのとでは

意味が違う。

もう天と地ほどの差がある。

いつもは仕事帰りのママを待って

お腹が空いたと言えばいいだけだったのに

そのママはしばらく帰ってこない

本当はもう帰ってこないのかもしれない。

怖い。

誰も居ない家が怖い。

カバンの肩にかかる部分を握り締めて

自分の靴先だけを見て歩いた。

もう何も考えない。

考える事がもう怖かった。


いつの間にか自分のマンションについていた

普段あまり帰宅しない時間だからか

マンションさえもどす黒く見える

階段を上がる音がやけに響く。

いつもは気にならない家の鍵のキーホルダーの音でさえ

耳につく。

鍵を回しながら思う。

(あ、ママが吐いた血…なんとかしなきゃ…)

一度目をつぶって覚悟を決めて

扉を開いた。


「はい。タッチ。」


腕を掴んで

その男は家の中に入って来ていた

「え…?」

「はいこれ。ルール。よく読んでね。」

淡い色の髪の毛と

長いまつげのキレイな男から渡された

一通の封筒。

「え…?」

「もう僕には見えないけど、外にいるから気をつけてね。」

「え?何が?」

「それ読めば分かるから。」

男はニコニコとしながら部屋から出て

軽い足取りで出て行った。


「なに?え?なに?どういうこと?」

特に何をされたわけでもない。

しいて言うなら掴まれた?

でも、それも腕だし。

渡されたのは一通の封筒。

(読めばわかるって言ってたけど…)

とりあえず鍵を閉めて

靴を脱いで部屋に上がる。

封筒はテーブルの上に置いて

まずはママの血を拭きはじめた。

時間がたっているからかなかなか拭き取れない。

変な男の登場で悲しさは混乱とともに少しだけ薄れて

大変だなと思うだけで

掃除を終わらせることが出来た。

もしあのまま掃除していたら

また泣いていたかもしれないし

吐いていたかもしれない。

床の血はバスタオル二枚が血だらけになって

ようやく消えた

洗濯して使う気にもならない。

そのままゴミ箱へとなげこむ

投げ入れたバスタオルがうまく入らなくて

床に落ちる

それを拾い上げて今度は外さないように

ゴミ箱まで歩いていって捨てた


なんだかすごく疲れた。

今日一日で色々あり過ぎた

フラフラとリビングのソファに向かう

そのまま倒れこむように寝っ転がって目を閉じた

深い溜息。

毎週見ているドラマの時間になったけれど

テレビをつける気が起きない。

機械の作動音だけが部屋中に響いて

嫌でも一人だということを実感させる

このままではまた怖い想像をしてしまいそうなので

寝返りをうって天上を見た―


「・・・・・・っ!!!」


目につく範囲にありえないものが写っている

天上

電気

カーテン


・・・窓?


「わぁあああああああああああああ!」


あまりの出来事に

ソファから転げ落ちる

そのまま尻餅をつく形で

窓とは反対側の壁に後ずさる。

もう下がれる場所は無いのに

それでも後ずさりを辞められない。


「・・・!・・・・!・・・・!」


あまりのことに声も出ない

しばらく口が開いたまま

凝視し

誰か説明してくれるのではないかと

左右を見回し

そして、この状況にいるのは自分だけだと理解する。


「なに・・・これ・・・」


『もう僕には見えないけど、外にいるから気をつけてね。』

脳裏に浮かんだ。


(僕には見えないけど?これのことなの?なんなの?これは

 外にいる。確かにいる。確かにいるけど、でも、なに?これ・・・)


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