前編(再会と発端、そして銀行業務の怪)
こんにちは。なろうには初めて投稿します。一人称でミステリアスな物語を書くことが目標です。コツコツと続けてゆきたいと思います。続きを書けそうだと感じるときは、目下最高に幸せです。
前編(再会と発端、そして銀行業務の怪)
麗らかな春の陽ざしが溢れていた。
ほんの少し歩いただけで身も心も温もり、ほのぼのと幸せな気分に満たされる日和の午後だった。おそらくそのせいで、つい気持ちがゆるんでしまったのだろう。いつもの私なら、もう少し用心深く振舞ったはずだと思うから。
『アガタさん?アガタクリコさんでしょ?ねえ、そうよね?』
背後から呼びかけるその声にためらいの色は微塵もなく、いわば喜色満面だった。顔を見なくても、それがわかった。うれしくてたまらないと叫んでいるような、喜びに溢れた声だった。
いっそ振り向かなければよかった。そう思ったときは後の祭りだった。振り向かずに気づかないふうを装い、速やかに立ち去るべきだったのだ。
そうしたところで、不都合なことはなにもなかった。そもそも私は、アガタクリコなんて名前じゃなかったし、自分からそう名乗った覚えはただの一度もないのだ。
でも。
私のことをアガタクリコと呼んだ人は、たしかにいたのだ。たったひとりだけ、それも極めて一方的で否応もない呼び方だった。とは言っても、その出来事があったのはおよそ十年近くも昔だった。
だから私はすっかり忘れていた。うっかり油断してしまった。でも、やむを得ないことだった気もする。始めに言ったように、その日は麗らかで温かい春の陽ざしが溢れていた。ほのぼのと、私を幸せな気分で満たしてくれる午後だったのだ。
およそ十年前といえば。
私は二十一歳になったばかりで、もちろん未婚の十和田毬子だった。でも、当時の職場に私を毬子と呼ぶような友人はおらず、もっぱら十和田と呼ばれていた。制服の胸につけたネームプレートにも、読みやすい大きさの美しい楷書体で、十和田と名字だけが記されてあった。
私はこの十和田という名前が気に入っていた。好きだった。できればずっと変えたくなかったくらいに。でも、それを言い出すとまた別の話になるので、ここではパスしておくことにする。
とある地方銀行の小さな町の支店に採用されて、半年ほど経った頃だ。その日は晩秋なのに、きょうと同じように明るく麗らかな陽ざしが溢れた小春日和だった。でも、勤務中の私はその陽ざしに触れることができない。ぶ厚く堅牢な窓ガラスの向こうのまぶしい光を、目を細めて眺めるだけだった。
おまけに、店内の最後方にある金庫室の扉脇に位置する私の席に近い窓は、鉄柵に守られた小さな裏窓だった。明るさもまぶしさも、なおさら遠くに感じられた。外に出たいな。ふだんはアウトドア派でもないくせに、そのときの私は痛切にそう願っていた。
その日は月末ではなく、支払い期日が集中しがちな5の倍数日でもなかったけれど、それにしても妙にポカリと暇な昼下がりだった。気づけば在席しているのは支店長代理と私だけ、他の行員は昼食休憩中だった。
たまたまタイミングよく客足もパタリと途切れ、店内はひっそりと静かだった。すると食後の私は、逃れようのない眠気に襲われた。どうか窓口係の先輩行員が戻るまで、厄介なお客がひとりも来ませんように。マジに願ったところで意識が飛んだ。
一瞬後に目覚めた。つもりだったが、実際どうだったかわからない。さっぱりと片づいていた机の上に現金山盛りのトレーがデンと置かれ、支店長代理が私を見下ろしていた。
「ご入金です。くれぐれもお客様をお待たせしないように、お願いしますよ、十和田さん」
支店長代理はいつもの濁声をグッとひそめてささやきながら、手首をクルクルと小さく廻して見せた。ハリーアップの合図だった。ハッとして見まわせば、店内のひっそり感はいまも継続中だ。してみると、私の寝落ちはやはり一瞬だったらしい。ほんの少しだけ安堵した。
でも。
大いなる難問が降って湧いて、私の目の前に鎮座していた。現金山盛りのトレーだ。自慢にもなんにもならないが、私はまだ、こんなにたくさんの現金をひとりで数えたことがないのだった。
現在はどうしているか知らない。けれど私が勤務していた頃は、現金が動くたびに少なくとも二人の行員が数えた。すべての入出金を、二人の目で確認することが大原則だった。もちろん札勘機も使われたが、手勘定が省略されることは決してなかった。金額が大きくなれば二人と限らず、居合わせた行員たちが総動員で、時間の許す限りとことん数えた。
その光景は、ちょっとした見ものだった。先輩行員たちが一斉に軽口を引っ込めて押し黙り、皆が皆、揃ってどことなく似かよった真剣な面持ちになり、バッサバッサと高らかに音立てながら紙幣を数えるそのさま。一種異様でありながら、ある意味威風堂々でもあって、私にはずいぶんと頼もしく見えた。
でも。
いま、私はたったひとりだ。この上なく心許ない。支店長代理はカウンター越しの前かがみ体勢で、現金を持参した人物と談笑中だった。私の席からは、その人の頭頂部だけがチラリと見えた。白髪交じりだが、たっぷりとボリューム感のあるボブスタイルだ。おかっぱ頭ともいう。私のショートカットの頭に思い浮かんだのは、後の方だった。
支店長代理のおもねるような口調と揉み手回数から察するに、その人物はただの会計係ではなく、この現金を入れる口座の持ち主本人か、でなければごく近い縁者に違いないと見当がついた。
トレーの中にはゴム印の社名のみならず、金種と合計金額も記された入金伝票があった。当座預金番号は19番(支店開設以来19番目に口座が開かれた古株の顧客であることを示した)、社名は華麗な筆記体だがどうにか〈往来商事〉と読めた。代表者名に至っては筆記体がひときわ華麗に過ぎて、なんとも読み取れなかった。
じっくりと眺めていられる余裕はなく、とりあえず社名と口座番号を確かめ、それでよしとした。私がどうにか数え終わったタイミングで、窓口係の先輩行員が戻ってくれたら、さらによし。きっとそうなるはずだと念じた。たぶん、きっと。
トレーの中の紙幣は、一見無造作に束ねられてあった。しかし実は丹念に、上下左右裏表が一律になるよう整えられてあることが、手に取ってみてわかった。一万円札、五千円札、千円札の順で、きちんと整列させてあり、ほぼ真ん中辺りできっちりと、輪ゴムをかけて留めてあった。
いたずらにきっちりとキツ過ぎる輪ゴムをそっと外し、一万円札から数え始めた。まず、扇形に開く横読みで四枚ずつ数える。十二回プラス二枚で五十万だと、頭の中でおさらいしながら。しかし、折り皺のついた古札を等間隔でバランスよくきれいに開くのは、なかなか難しい。
次に縦読みで一枚ずつ、はじくように数えてゆく。銀行員でない人々もやっている、ごく一般的な数え方に近いやり方だ。けれど、カサカサに乾いてこわ張った指先で札を一枚だけ捉え、スライドさせるのはけっこう難しいことだった。
紙めくりクリームのメクールをたっぷり擦り込んでも、指先は札の表面で虚しくスベった。力を込めれば、二枚三枚とかたまってスベり来た。私は以前からこの縦読みに苦手意識があったけれど、やっぱりこの日も、思うようにできないのだった。
ことほど左様に四苦八苦して、数えた結果の枚数がまた私を苛んだ。
一万円札が四十九枚、五千円札は二十一枚、千円札に至っては九十四枚なのだ。すべての紙幣は五十枚ごとに束ねる。これも大原則だった。新人研修の際に繰り返し言い聞かされたことだった。
それなのに実務に就いてから、私は迂闊にも四十五枚の紙幣に輪ゴムをかけてしまった。窓口係の先輩行員が目敏く気づいてくれて、事なきを得た。その際ガッツリと叱られ、改めて叩き込まれた。どんなにかさばって収まりが悪かろうと見苦しかろうと、きっかり五十枚ではない札に輪ゴムをかけてはいけない、絶対に。
せめてもの慰めは私の数えた結果と、往来商事のだれかが伝票の金種欄に記入した数字とが一致したことだった。心底ホッとしたところへ、念じた通りに窓口係の先輩行員が戻ってくれて、紙幣の再勘定を託すことができた。安堵のあまりにめまいがしたほど、うれしかった。
紙幣が取り去られたトレーの中には、まだ少なくない硬貨が残っていた。使用済みのコピー用紙に包まれた筒が三本と、各種入り混じったバラの硬貨たち。持ち上げてみると、少なくないどころかずしりと重い。
けれども硬貨の場合は、数が多くなるほど手勘定の大原則を免れた。各種入り混じったままでも、計数機に放り込めばいいのだ。機械が直径の大きい順に硬貨を選り分け、五十枚ずつきちんと筒状にして、金額が明記された所定の用紙で包装してくれる。楽勝だった。
だからといって、せっかくコピー用紙に包んであった百枚の百円硬貨と、五十枚の十円硬貨を同じトレーの中でバラし、端数の硬貨とも混ぜてしまったのは、迂闊すぎる私の凡ミスだった。頭がカッと熱くなり、赤面したのがよくわかった。大いに焦った。自分はこんなにもバカだったのか。穴があったらダッシュで飛びこみ、隠れてしまいたかった。
お客様をお待たせしてはいけない。その一心で焦ったのが裏目に出た。計数機まではたった五歩で行けるのに、三歩目で私はつまずいた。築三十年超という支店の建物は、圧倒的にコンセントが足りなかった。ところが電子機器は増える一方だ。縦横無尽に床を這いずる電源コードの束は長く、分厚く盛り上がっていた。いつか、つまずいてコケそうだと不安を感じていた。恐れた通りにつまずいてしまったそのときが、選りによって最悪のタイミングだった。
ずしりと重いトレーの中の山盛り硬貨は、禍々しくも派手な音を上げて四方八方へ飛び散った。凸凹の床面に広がり、スチールデスクや各種機材やオフィスチェアの下に転がって潜り込み、消えた。最悪だった。
私はどうしたらいいのかわからず、思考も動作も停止してしまった。窓口係の先輩行員は再勘定を続けている。他のお客も順番待ちをしているので、手いっぱいだ。アテにはできない。万事休す。そう思ったとき、席に戻っていた支店長代理が動いた。
それから退勤時刻まで、私は硬貨を拾い続けた。凸凹した床面を這いつくばり、埃にまみれた百円と十円の硬貨を探し集めた。支店長代理のすばやい決断によって、当座預金19番への入金は、往来商事が持参した伝票の金額のまま受け入れた。行員による硬貨の枚数確認は省かれた。つまり、二人以上で確認すべき大原則は破られ、そっと脇に置かれた。
硬貨の合計金額18,865円のうち、18,425円をその日の業務終了までに見つけることができた。差額の440円を自分の財布から出そうとした私を、支店長代理が押しとどめた。
『いやいやいや。まあまあまあ。この際それはナシということで』
思い返してみると、支店長代理と意味のある単語を使って会話した記憶はあまりなかった。いやいや、まあまあ、どーもどーも。思い出せるのは、そのようなつなぎコトバの繰り返しばかりだった。
支店長代理は、もっぱらボディランゲージと仄めかしの人だった。なにひとつ明言していなくても、微妙なニュアンスは不思議と伝わるのだ。その場の空気を読み取り、相手にも読ませることにかけては、一種の達人だったのではないかと思う。
こうして440円也の損金伝票が起こされ、処理された。支店長代理の署名捺印の下段に、私も十和田毬子と署名して捺印した。ふだんの事務仕事に使っている三文判でいいのだろうか、でも、登録印などまだ持っていないし。そのときの私は、たった一枚の伝票から立ち昇る厳粛さに平伏し、すっかり殊勝な気分になっていた。
その後も往来商事の現金入金は、たびたびあった。やがて私は、そこに一定のパターンがあると気づいた。例えば、月末でも月初めでもなく、年金支給日でも公務員の給料日でもない、わりと暇な日の昼食休憩時を、その人は選んでやってくるのだ。
その人。
実を言うと私は、440円の損金が発生した初回の入金を持参したのが、どんな風体の人物だったか、はっきりと思い出せなかった。白髪交じりのボリューム感あるおかっぱ頭だけが、印象に残っていた。それ以外はぼんやりとして、〈色の薄いオバサン〉だったような気がするだけだ。
その人が二度目に来店した日。
便宜上、半ドア状態に保たれた金庫室の扉脇の席で、私はひたすら伝票綴りの作業に精を出していた。本来は札束づくりを主な業務とする、本出納という係だったが、その日のその時間帯には、新たに束ねるほどの紙幣が集まっていなかったのだ。
実は朝から大口の出金が続いて、紙幣の残高が底を尽きつつあった。高額紙幣がゼロという事態に陥る前に、手を打たなければならないレベルだった。それはつまり、日銀へ預金を下ろしに行ってくださいと、渉外係の先輩行員に依頼すべきか否かの瀬戸際だった。以前にも一度あったことだったので、悩ましかった。
以前には、迷わず即座に依頼した。日銀方向の幹線道路は年中渋滞しているからとボヤいて、先輩行員は渋い顔をしながらも行ってくれた。案の定、ようやく帰り着いたときは午後三時をとっくに過ぎて、先輩行員はもっと渋い顔になっていた。彼が出発した後で不測の大口入金があったため、現金残高はどっと増えていたのだ。渉外係の先輩行員の渋滞に耐えての日銀行きは、完全な無駄足に終わってしまった。
さらに言えば、勘定を締めた時点で現金残高が300万円以上あるというのは、好ましくない事態だった。本出納係の失点になった。なぜなのか根拠はイマイチわからなかったが、支店長も支店長代理も、等しく多すぎる現金残高を嫌った。したがって、現金残高を過不足ないように調節することが、当時の私にとってはなかなか重い責務だったのだ。
そんな裏事情があったので、往来商事のその人が来店したとき、私はうれしかった。とりわけ、小脇に携えたポーチの膨らみ具合に目を奪われ、ニンマリしてしまった。心底ほっとした弾みで、前回の440円損金処理のショックはきれいさっぱり霧散した。ごく自然に、営業スマイル以上の笑顔がこぼれ出た。
そのときの私の笑顔は、よほど愛嬌に溢れて魅力的だったのだろう。無表情で〈色の薄いオバサン〉だったその人も、まるで釣られたように、にっこりと破顔したのだ。そして、私を手招きした。
窓口係の先輩行員が在席していたにも関わらず、顔馴染みで頼もしいベテラン行員をスルーして、新米の私に呼びかけたのだ。膨らんだポーチの中身をトレーに移しながら、ごく当然のような口調で言った。
『ちょっと、ねえ、アガタクリコさん。これ、今日の入金ね、いつものように、お願いしますよ』
思わず自分の背後を見まわした。だれもいない。目に入ったのは、金庫室の堅牢さを台無しにしている半ドアの扉と、鉄柵付きで決して開かない裏窓だけだ。
私はアガタクリコじゃありません、十和田毬子といいます。
そのときにきっぱり宣言すべきだったと、今更ながらつくづく思う。たしかに私も、そうしようとしたのだ。そこで開きかけた私の口を閉じさせたのは、皆の視線だった。
窓口係と融資係とオペレーターの先輩行員たち。そして支店長代理に、支店長その人も。皆が皆、一斉に私を振り返り注目した。無言の制止。並々ならぬ圧力。そこに共通しているひと言を、聴いた気がした。
『それ、言っちゃだめ』
言えなかった。それが正しい表現だった。結果、アガタさんアガタさんと呼ばれながら、私は現金山盛りのトレーをありがたく受け取った。いつにも増して慎重に数えた。そうする間にもその人は、カウンター越しに身を乗り出して、アガタさんアガタさんと頻繁に呼びかけてきた。急ぐ様子はまるでなく、悠然とくつろいで楽しそうでさえあった。
午後三時に正面入り口のシャッターが下りて、その日の勘定がつつがなくピタリと合うときまで、私は待った。
『合いました』
勘定係の掛け声が高らかに響き渡り、支店内に満ちていた緊張が一斉にゆるんだ。リラックスした雰囲気が漂い始めた頃合いで、私は窓口係の先輩行員に向けてつぶやいた。ちょうど、ひとり言でボヤいたように。
『往来商事さんが言ってたアガタさんて、だれのことでしょうね?なんで私が呼ばれちゃったんでしょ?全然違う十和田って、ちゃんと書いてあるネームプレートつけてるのに』
笑ってもらえることを期待して、思いっきりボケてみたのだった。配属されて以来、新米行員の私がわからないことを、手取り足取り教えてくれた先輩行員だった。少々張り切り過ぎたのか、訊いてもいないことまで教えてくれた場合も多々あった。そんな先輩行員だったのに、この件に関してだけは別人のように、まったくらしからぬ反応を見せた。
『さあ。なんでかしらねえ…』
先輩行員の返答は取りつく島もなかった。曰く、自分はこの支店に勤務してようやく三年目なので、そんな昔の人のことは知らないのよね。
それだけだった。渉外係や融資係やオペレーター、支店長代理までがほぼ同じことを言った。この支店での勤続年数がそれぞれ五年未満であるから、そんな昔の出来事についてはなにも知り得ないのだ、云々。
最年長者である支店長にいたっては、在勤たったの一年三ヶ月、私の次に短いと知った。しかも、今年度いっぱいでめでたく定年退職の運びとなる予定だ。当然のこと、そんな昔の話は聞いたことがなく、たまさかにも聞いてみたい気はしないのだと、遠回しに告げられてしまった。
先輩行員たちはそれぞれに、素っ気ない返答で〈アガタさん〉に対する無関心を表明した。けれど私には、こびりついて剥がれない焦げ跡のような違和感が残った。なんだろうと考え、共通するワードに気づいた。〈そんな昔〉だ。
そんな昔の人。そんな昔の出来事。そんな昔の話。
年齢も在勤年数もバラバラな先輩行員たちが、そろって口にした〈そんな昔〉。ならば、昔と呼べる過去のどこかにアガタクリコがいたのかも知れない。そう聞き取れるニュアンスだった。
果たして、この仮定に当て嵌まりそうな〈昔〉とは、一体何年前のことだろうか。私は札束づくりの合間のつれづれに、金庫室の壁一面にびっしり積まれた古い伝票綴りを見上げ、考え込んだ。
十年?二十年?或いはその中間あたり?いや、もっと古いのかも。
そこで、エイと伸ばした手が無理なく届いた範囲内で、古そうな伝票綴りの中からランダムに、ひと束引っ張り出した。表記から指折り数えてみれば、いまから二十二年前になる、十月十六日の伝票綴りだった。
パラパラとめくり、右端にある縦並びの四つの押印欄を見ていった。昔の伝票の仕様はデザインが少し違ったけれど、一番下の欄に押印された名前が、その伝票を起こした行員のものであるところは不変だった。
なにしろ、二十二年前なのだ。当然のごとく、知らない名前ばかりだった。パラパラめくっているうちに、自然と押印の名前が頭に入った。
二十二年前当時、この支店には伊藤さんと大沢さんと谷岡さんがいて、この三人が八面六臂の活躍をしていたようだ。起こした伝票の枚数が断然多かった。そして印影の直径の大きさから察するに、たぶん支店長が竹田さん、支店長代理は山元さんだろうと見当がついた。
だからどうだっていうのよ?私は自問した。そんなことがわかったってなんの役にも立たないわ。たしかにその通りだった。ふっと脱力したところで、パラパラの手が止まった。伝票綴りの末尾の一枚に、初見の印影があった。
〈縣〉
なにこれ?読み方がわからない漢字だった。こんな名字があるのかしらと半信半疑、でも気にかかった。県と系がくっついてる。目に焼きつけて記憶した。そこで探索を切り上げ、本来の業務に戻った。
家に帰ったときはすっかり忘れていた。就寝前にふと思い出し、億劫だったが家族共用のパソコンで検索した。そして、驚きのあまりにひっくり返った。〈縣〉はアガタと読むのだと、そのときに初めて知った。
その翌日。
二十二年前の十月十六日の綴りの中に、〈縣〉という押印のある伝票を見つけた。朝一番で、窓口係の先輩行員にそのことを話した。
『へえ、そうなの?』
なんとも気のない返答だった。そのわりに強いまなざしで、先輩行員は私をじっと見つめ、声を落とした。
『金庫室の書類とか勝手に見ちゃダメって、前に言わなかったっけ?』先輩行員の口調は、まぎれもなく冷ややかだった。
タブーなのだ。
ようやく身に沁みてわかった。なぜなのかは、わからない。どうやら、知りたがってもいけないらしい。だったら、もうやめよう。私は唐突に決意した。知らないままでいよう、皆がそうしているように。
「はい。わかりました。もうしません」
私に言えたのは、それだけだった。先輩行員がホッとしたように肯いてくれたので、私も安堵した。
往来商事のその人が次に来店したとき、私はギョッとした。居合わせた行員たちとお客らも、皆が皆、等しく度肝を抜かれて目を白黒させた。その人の髪が、南国の花を連想させるほど鮮やかな朱色に変わっていたからだ。
ハイビスカスみたいな朱色だと私は思い、呆けたように目を奪われた。もちろん、ほんの一時だけだ。もはや〈色の薄いオバサン〉でなくなったその人は、意気揚々と私を手招きした。いつもより甲高い声を上げ、アガタさんアガタさんと呼んだ。その手は現金ポーチと別に、平たい紙包みを持っていた。
『ほら、おやつ持ってきたのよ。お茶にしましょうね、アガタさん』
支店長代理が飛んできた。一瞬、追い払ってくれるのかと期待したが、そうではなかった。いやいやいや。こりゃ、どーもどーもどーも。例によって、お得意の以心伝心ツールワードを乱発しながら、恭しく往来商事のその人を応接コーナーへと招き入れた。
オペレーターの先輩行員が、弾け跳ぶように給湯室へ走った。しかし来客にお茶を淹れるのは、新米行員である私の役目なのだ。後に続いて行こうとしたら、支店長代理の手が慇懃に私の肩を押しとどめた。そして来客用のソファに座るよう、促したのだった。