4. 吸血鬼との同居の始まり
アリスが研究内容を説明し終えると、問題がなかったためノアはそのまま契約書にサインすることになった。
「バートンさん、アリスの住み込みの件ですが私からひとつだけ条件を出しても?」
「ええ、もちろん」
「信頼していないわけではないですが、アリスに何かあった時用に防犯センサーを携帯させていただきます。現時点でこちらのご自宅の場所は機密事項になっていますが、アリスに何かあった場合はこちらの位置情報やその他詳細が本部に共有されます」
「……護身用のブザーみたいなものですか、高性能の」
「そうですね、実際に戦闘員が吸血鬼と対峙する際つけるものですが念のために。こちらも初めての試みなもので……ご理解いただけると嬉しいです」
「もちろん、承知しております。そのあたりお任せいたします」
こうして吸血鬼ノアとアリスの同居準備が整ったのであった。
◇
「ねえテディ、ここのお城ってどの位お部屋あるの?」
「317部屋ございます」
「え?317!?」
先ほどこの古城、もといノアの自宅に到着したアリスは初めて訪れた時のように玄関のドアノッカーを鳴らしてテディに迎え入れられていた。前回と違うことは、テディが人間の姿――頭は狼だが――をしているということ。そして今回はアリス1人だということだ。アリスは初日に山ほど溜まった質問を嬉々としてテディ投げかけている。要するに、今回はストッパーがいないのである。
「317部屋もあったら誰かが勝手に住んでてもわからないね。わたしどれだけ長く住んだとしても一生把握できなそう」
「この城に常にいる使用人は10名、人狼は私を含め2名です。みな大体は全貌を把握していますが、全て正確に把握しているのは私とランディ、主だけでしょうね」
「やっぱりそうなるよねー」
玄関から大広間を通って、深紅のカーペットが敷かれた階段を登り3階部分に差し掛かろうとしている。アリスを迎え入れた時から弾丸で質問責めにあっているというのに、テディは嫌な顔ひとつせず付き合ってくれている。
いつのまにかテディに対する遠慮は全くと言っていいほどなくなっていた。アリスは昔から人との距離を詰めるのがとても早い。思ったことを何でも口に出す裏表がない性格ゆえに、打ち解けるのが異常に早いのだ。それは相手によって長所にも、時には短所にもなる部分であった。
「テディとランランは人狼だから、人間の姿になれるでしょ?まあ頭部は狼だけど。人間になったときと狼の時とじゃ食べるものやっぱり違うの?人間の姿で生肉なんて食べたらお腹壊しちゃうよね」
「……聞くところそこなんですか?」
アリスは先ほど玄関で会った際、開口一番に「テディは何故喋れるんですか?」という質問をぶつけており、それからしばらくテディの謎に対して――言葉を操る狼に対して一通り質問をしていた。ちなみに何故喋れるかという質問に対しては、「喋れるからです」というなんの捻りもない回答を貰っている。
しばらく2人は全く身にならない会話をしながら歩いていたが、テディがここです。と言った場所で2人は足を止めた。3階の廊下を向かって左手にずっと進んだ突き当たりの部屋。そこがアリスの部屋であるらしい。歩いてきた廊下には等間隔で歴代の当主と見られる肖像画が飾ってある。テディが鍵を開けている間にぼんやりと一番手前にある絵を眺めていた。
ガチャン
大袈裟な金属音をたててその大きめのドアは解錠された。アリスが中に踏み入れるとそこには中世時代の可愛らしい寝室が広がっていた。
「可愛い!!」
「お気に召していただけて光栄です。なんせ主が隅から隅まで入念に準備されていましたから」
「準備?」
コンコン
豪華絢爛という表現がぴったりな天蓋付きのベッドに飛び乗っていたアリスは入り口のドアへ顔を向けた。
「アリスさんいらっしゃい。お部屋は気に入ってもらえましたか?」
「バートンさん!ありがとうございます。この部屋わざわざ準備していただいたんですか?」
天井が高いこの部屋には豪華な天蓋付きベッドの他にも、細かい刺繍があしらわれたソファーや丸いフォルムが可愛らしいアンティークのテーブルランプなど、女心を擽るアンティーク家具が置かれていた。部屋の印象を決める壁紙は品の良いオリーブグリーン。金色でオリーブの枝が描かれている。高い天井付近から垂れているカーテンの向こう側には、部屋から出られるバルコニーが併設されている。見晴らしがとても良さそうだ。
「ええ、気に入ってくれました?」
「はいすごく!隅々までどれもこれも可愛くてお姫様になった気分です。てっきり赤と黒縛りで目がチカチカする系のお部屋かと思ってたので」
えへへと笑いながら目を輝かせているアリスを見つめ、ノアも嬉しそうに目を細める。
「もしよろしければこれから食事を食べませんか?今日はゆっくり過ごして研究は明日から開始でどうでしょう。希望があれば中庭もご案内いたしますよ」
「まーだそんな堅っ苦しい会話してるのかよ」
平和に会話していたアリスとノアだが、横から割り入ってきた声にドアの方へ視線を向けた。
「あ!ランラン」
「誰がランランじゃ!俺をパンダか何かかと思ってんのか」
間髪入れず返ってくるツッコミに、アリスはこの城に来た当日を思い出し笑ってしまう。
「うんちゃんと狼だってわかってるよ、ごめんね」
「ならいい。ちなみに人狼な」
口が悪いランディを目の前にすっかり気安く会話していたアリスだったが、ふと視線を感じ顔を上げる。
「もうランディとテディとは打ち解けてらっしゃるんですね」
「え、あ。はい。2人とも良い子達なので」
「子供扱いしてんじゃねえよ」
ランディはアリスの発言に不満があるのか隣に来てじとっとした目線を寄越す。ランディはいま狼型なので、目線を下げなければ目が合わない。
「あの、もし良ければなんですけどアリスって呼んでいただけないですか?アリスさんってなんか気恥ずかしくて」
「そうですね……じゃあアリスと呼ばせていただきます。私のことはノアとお呼びください」
「わかりました。これからよろしくお願いしますね、ノア」
――と、こんな初々しい会話があったのは2日前。この日の2日後には敬語も遠慮も一切なくなった研究熱心なアリスに困り果てることになるとは、この時のノアは知るよしもなかった。