2-2 出会いに感謝して
森は深々としており、侵入者を奥へ奥へと誘おうとしている。
迷ったら最後、元の場所には戻れない。そんな予感がした。だから、俺たちは目印をつけながら慎重に森の深部へと進んで行く。
鬱蒼とした木々。俺は緑色が好きだったのだが、この森を歩いているとそれを改めたくなる。本当の緑というのは汚く、泥臭く、生々しかった。
公園などで見かける自然というのは本来の自然ではない。
人間の都合よく植えられた木々や草花。人間が不快にならないように位置や色合い、全てが計算尽くされているのだ。
それにとても重大なことを隠蔽されている。————生き物が生きていくことは残酷であるということ。他の命を踏み台にして命を繋いでいけることを。
自然はそれを生々しく体現している。各々が生きるために精一杯なのだ。
森は命の坩堝だった。
「俊介、大丈夫?」
「あ、あぁ。悪い。ちょっと緑に酔ってしまったのかも」
渚が心配そうにこちらを覗き込む。
まったく顔が近いなぁ。そのせいで肌が綺麗だなとか、まつ毛が長いなとか、またキスがしたいなとか、余計なことを考えてしまう。
「わかる。ここってなんというか……死の臭いがするよね」
「そうかもしれない。『現代人は死を隠されている』なんて表現を耳にしたことがあったけど、あれは言い得て妙だよな」
渚が口にした『死の臭いがする』といった言葉は本質的だと思った。おかげで記憶の片隅にあったフレーズがふと浮かんだのだから。
「死を隠されている?」
「……ちなみに渚は卵は好きか?」
「え、急にどういうこと? そりゃ大好きだし、わりと毎日食べてたんじゃないかな?」
質問の意図が分からず渚は混乱している。申し訳ないが、自分でも完全に理解できてないことなので説明は迂遠になってしまう。
「なるほどな。じゃあ次の質問。ひよこ鑑定士って知ってるか?」
「えーと、聞いたことはあるね。ひよこのオスとメスを分ける仕事だよね?」
「そう、正解。もっと言えば卵を産むメスを見つけて、オスを避ける仕事とも言えるな。……それでだ、ここで分けられたオスはどうなると思う?」
「え、それは……普通に飼育して食肉用として育てるんじゃ?」
渚の答えは俺が最初に想像していたものと同様だった。
そういう意味では、やはり俺たちは『死』から遠ざけられているんだと思う。
「たしかに一部のオスは食用として育てられるよ。けどな、鶏のオスは食用としてはあまり向かないという事情があってな。世界全体で年間約六○億羽は殺処分されてるんだ」
「ろ、六○億!?」
そう、俺たちがのうのうと生きている間にそれだけの命が死んでいる。鶏のオスだけでもこれだ。実際には他にも多くの家畜が同じような運命を辿っている。
「こうして文明から切り離されてわかったよ。俺たちは多くの命が日々失われていることに、死んでいることに、目を逸らして生きている。生きることと『死』は密接な関係なのに」
「そ、そんな……。じゃあボクたちはどうすればいいんだろ? ヴィーガンの人みたいに食肉をやめるのが正解なのかな?」
「どうなんだろうな。それはこれから議論されていくことだと思うが……」
俺自身は食肉が悪いことだとは思わなかった。
なぜ食肉がおこなわれていたのか、それが人が生きていく上で必要なことだったから。それが人間にとっての自然だったから。
だから、今更それを止めようなんていうのは不自然だと感じてしまう。
もちろん様々な意見はあると思うが、俺は人類の発展を否定したくなかった。
この議論の究極的な着地点は「あれ、人類って滅亡したほうがいいんじゃね?」に行き着きそうだから。反出生的な考え方は俺には合わない。
「俊介はどうすればいいと思う?」
「必要なのは自覚することかな。多くの『死』の上に我々が生きていることを理解すること。我々は命のリレーによって繋がれている存在だから」
死から目を逸らさないことが、せめてもの償いになるのではないだろうか。
もちろんこれが偽善であることは百も承知だけれど。
「ここに来る前のボクだったらそれじゃあ何も解決してないじゃん、とツッコミそうなところだけど……。こうやって自然に放り込まれちゃうとあながち否定できないね。生きるためには他の命を奪わないといけないし……」
「まぁ、難しいところだよな。食うものに困らない現代人の間で、そういった議論が出てくるのも仕方がないのかもしれない。それだけ人類が発展したことを喜ぶべきか。自然から乖離しすぎていることを悲しむべきか」
正解はない。だから我々は議論を重ねていくしかないのだろう。
より善い答えを追求し続ける。それが人類の使命だから。
「ははは。きっと今の人類は”余暇”がありすぎるんだろうね」
「だな。生きることに精一杯だと、そんなことはもはやどうでもいいよな」
あらためて文明に感謝したい。蛇口をひねれば水が出て、電気もガスもある、スーパーやコンビニに行けばお目当ての食材が並んでいる。
まだ一日しか経ってないのにそれが懐かしくて仕方ない。
「あ、みてみて! 俊介! あそこに昨日も食べた果物があるよ」
「どこだ!? あれは意外といけたから絶対に確保しよう!」
今日の食事をどうするのか、今はそれを考えるので精一杯だった。
「ひとまずこれくらいにしとくか」
「だねー、そろそろ朱利さんを起こさないと」
俺たちは持てるだけ果物や野草を抱えて、秋津さんの待つ海岸に戻ることにした。
道中つけた目印を辿っていく。
————そして、それは突然あらわれた。
『うわっ!?』
草むらから飛び出してきた”それ”に驚きを隠せなかった。
「こ、こいつは!?」
「ボク、ゲームで見たことがある!」
『スライムだ!』
そう、目の前にいきなりスライムがあらわれた。
見た目はもう完全に某RPGに出てくるあれだ。モザイク処理をしておかないと権利関係で怒られそうなので脳内モザイク処理を施す。
ちくしょう、いろんな意味で危ないやつが登場しやがった……! もし俺たちの体験をアニメ化するとなったら、どのようにこの場面を再現すればいいんだ!
パロディーやオマージュでなんとか乗り切るか? でも、登場したのは完全にあのスライムだからなぁ。モザイク処理が無難か?
すみません、うまく考えといてください。
「ど、どうする、俊介?」
「ひとまず平和的な解決を試みよう。どこの国とは言わないが、憲法で専守防衛を原則としている国があるんだ。その国では攻撃されるまでは攻撃することができない。素晴らしい理念ではないか。ラブアンドピース。やっぱり話し合いで解決するのが一番さ!」
理想的な理念。みんなが手を取り合って輪になる。
人類みな兄弟! どんな相手とも話し合えば仲良くなれるんだ!
「もし、相手が話し合いに応じなかったら!?」
「大丈夫さ! 話し合えばどんな問題だって解決できるぜ!」
俺は意気揚々とスライムの方まで歩み寄る。笑顔を浮かべ友好的な姿勢は崩さない。
「ラブアンドピース! 我々に攻撃の意図はありません! 仲良くしましょ!」
「…………!」
威嚇のためか、スライムは近くにあった小石をこちらに飛ばしてきた。幸いなことに石は体には命中しなかったが、相手方は相当警戒しているようだ。
「俊介! そんな相手と話し合いなんて無理だって! 今のだって下手したら当たってたよ!? こっちが平和を望んでても相手が応じるとは限らないって!」
「それでも専守防衛が戦いを避ける上では最適なんだ!」
「戦わないことが逆に戦いを誘発することだってあると思うんだ!」
お互いに熱くなっている。互いのイデオロギーが激突していた。
しかし、渚の言っていることも理解ができた。
現代に生きる俺たちは平和ボケをしてしまっているが、実際の戦争というのは理不尽で現実的なものだ。
「それでも専守防衛が絶対のルールなんだ! 俺は話し合いを続ける!」
「俊介!!」
理解はできるが、それでも定められたルールは守らないといけない。
もう一度、スライムと話し合いをしてみることにする。
「スライムさん! 我々は敵じゃありません! 平和を愛する民なのです!」
「…………!!」
「ぐはっ!」
スライムはこちらの言葉は聞き入れずに思い切り体当たりをしてきた。
おかげで俺は三メートルほど吹き飛ばされることになる。地面に叩きつけられ肺の空気が一気に押し出された。痛みのせいで一瞬目の前が真っ暗になる。
「大丈夫、俊介!?」
どういうことだ。俺は専守防衛を徹底していたのに。一撃でノックアウトだ。これじゃあ反撃もできない。相手の戦闘力を見誤っていた、ということか。
「いってぇ……」
痛い。肘や腰がビリビリと痺れている。我慢しないと涙が出そうだ。
「————そいつらに話が通じるわけがない!」
その声は渚から発されたものではなかった。
どこからともなく聞こえてきた女の声。その正体を確かめる間もなく、ビュンという音ともに鋭い何かが風を切った。
「ぎゃあ!」
音と連動してスライムが断末魔の叫びをあげる。
……よく見るとその体には矢が刺さっていた。スライムはしばしジタバタとした後に、地面に溶けて消えて無くなってしまう。
誰が、矢を射ったのか。
矢の刺さっている向きから逆算して矢の発射地点を確認すると、そこには一人の少女が堂々と直立していた。
おっぱいは小さいがなかなかの美少女(女性を見るときにおっぱいから観察してしまう癖を治したい)。スレンダー系と評するべきか。身長が高いこともあってロングヘアーが様になっている。美少女というよりは美女と表現した方が正しいかもしれない。
色を抜いているのか髪色は明るく、化粧はしていないがギャルっぽい感じの子だ。
服装はセーラー服で手には弓を持ち、背中には矢筒を背負っている。そのアンバランスさが漫画の表紙にもなりそうなくらい絵になっていた。
『あ、あなたは!?』
「あたしは鷺ノ宮咲。どうやらあなたたちもこの『島』に迷い込んでしまったみたいね」
「島!? どういうことだ、一体ここはどこなんだ!?」
ギャルの言葉に驚きを隠せない。ここが島だというならどこの島なんだ。日本の島か? だとしたら人は住んでいるのか? 脱出する手段はあるのか?
「詳しいは説明は後にしましょ。この場所も安全とは言い難いし。スライムとは比にならない魔物が闊歩しているから」
「わ、わかった……。その前に海岸に一人仲間を置いてきてるんだ。話は全員で聞きたい」
「なるほど、あなたたちは三人で行動していたわけね。じゃあ、あたしをそのお仲間の所まで案内してもらえる?」
俺たちは秋津さんの待つ海岸までギャルを案内することになった。