2-5 出会いに感謝して
「もうこれじゃあいつまで経っても話が進まない……」
「ほら、渚も秋津さんもこれ以上、鷺ノ宮を困らせるな」
「江古田くん! 一番の原因はあなたのそういうところだからね!? お願いだから一◯分だけ静かにしてもらえる!?」
「は、はひ……」
あまりの圧力に抵抗することができなかった。ギャル怖い。
ここは素直に従うことにしておく。今の俺たちにはとにかく情報が不足している。一週間先行してこの島にたどり着いた鷺ノ宮の話をきちんと聞いておくべきだ。
「では、気を取り直して。さっきも言った通り、あたしは一週間前にこの島にたどり着いた。最初は今のあなた達がしているように人里を目指して歩いたりもしたけど、二日目に気がついてしまったの。自分が元いた地点に戻っていると。島の周りをぐるぐる回ってたと。それに一周してわかったけど、この島は無人島で人一人住んではいないのよ」
「そ、そんな……」
渚はひどく落胆していた。ここが日本の本島ではないという予感はあった。
それでもどこかで、歩き続けてさえいれば元いた場所に帰れるのではないかという期待があったから。それが打ち砕かれたことにより精神的な支柱がなくなってしまう。
「一周するのにだいたい合計で六時間くらい。不幸中の幸いだけど腕時計をつけてたから時間はわかるの。人間の歩行速度はだいたい時速四kmくらいと言われてるから、この島の外周はだいたいニ四kmくらいだと思う。これが大きいのか、小さいのかわからないけど」
俺にもその数字が大きいのか小さいのか分からない。
分かることは一つだけ。
この島から脱出しないことには日本に帰れないということだ。
「次にあたしは森の中を探索した。もしかしたら人がいるかもという一縷の望みをかけて。そこで遭遇したのがさっき江古田くんや渚くんを襲っていた魔物だった。知能レベルはそんなに高くないみたいで、遭遇すると問答無用で襲いかかってくる。けどね、面白いことにあの魔物達を倒すとたまにこんなものを落とすの」
鷺ノ宮はポケットから包装紙に包まれたチョコレートを取り出した。
一目見ただけでよだれが止まらなくなる。
バッタを食べた翌日だ。現代社会の食べ物が喉から手が出るほど欲してしまうのは、我ながら仕方ないことだと思う。
「それ、バッタと一緒に食べたら美味しそうね」
「ですね! 苦味が軽減されて食べやすくなりますよ!」
静かにしろ、と言われたので何も言うまい。
鷺ノ宮は「ば、バッタ? この二人は何を言ってるの?」という顔をしてこちらに助けを求めてきたが、肩をすくめて首を振ることしかできなかった。
この二人に常識は通用しない。アブノーマル。
「え、えーと、どこまで話したんだっけ……? あ、そうそう、この島には魔物……モンスターでもクリーチャーでも何でもいいけど、あたしたちの世界には存在しなかったような化け物が闊歩しているってこと。そして、それを倒すことで食料だったり、日用品が手に入るような謎の仕組みがあるの」
「なんだかゲームみたいね」
秋津さんはゲームみたいというが、俺的にはゲームそのものだと思った。いわゆるドロップアイテムのような。RPGではよくある仕様だ。
「秋津さん、まさしくそうなんです! あたしもそう思いました。この島にはおかしなものが多すぎるんです。木に実るスポーツドリンクとか魔物とか。そして一番不可解なのは『ここが島ならあたし達はどうやって来たのか』ってこと。ここにいる全員が拉致されて船やボートで運ばれてきたのが一番現実的な発想だけど、この場合は現実的に考えてはダメだと思う」
鷺ノ宮は早口で捲し立てる。その勢いに渚や秋津さんも口を挟めずにいた。
……穿った見方をしてしまうのは悪い癖だが、どこか鷺ノ宮は余裕がないように思えた。熱弁することで自分自身もそれを信じ込もうとしている。
そんな不安定な状態にあるようにも見えた。
「あたしが有力だと思う説は……国家規模の思考実験に参加させられている、だと思ってる。その手段は拡張現実とか、意識への介入とか、もしくは夢の共有? なんにせよ、ここが現実であるとは考えてない。だから船で脱出するというのはナンセンスかな。あたしはこの空間から現実に戻るなにかしらの脱出口があると考えてる」
「なんだか壮大な話になってきたね……」
うむ、たしかに壮大な話というよりはなんだか陰謀論のように感じだ。
国家を裏から支配している超巨大な組織がある、みたいな。
基本的にはそういったものはほとんど根も葉もない噂、憶測、デマだと思っているが、いくつか本物も混ざっているんではないかとは思う。
陰謀論という言葉の陰には本当の闇が潜んでいる……なんてね。
こういうことを言うとお前は陰謀論者だな、とレッテルを貼られてしまいそうだ。
俺だって基本は多くが眉唾だと思っているさ。さて、今回もどうだろうか。陰謀論の中に含まれている数少ない現実に巻き込まれた、なんて展開は勘弁してほしいが。
「これもあくまで仮説だけどね。この島には食も水も最低限のセーフティーがあるから。……まるで無知な現代人が迷い込んでも死なないように。それが不思議で。それにそうでも思わないと気が狂いそうになるじゃない」
鷺ノ宮は寂しく笑っていた。……きっと最後のが本音なんだろう。
俺や渚が歩き続けてさえいれば元いた場所に帰れるのではないか、と思っていたように彼女にとってはこれが実験か何かの一環であり、島の中を探索すれば元の世界に戻る手がかりがあると信じることが希望なのだ。
「なるほどな、だいたいこの島の実情と鷺ノ宮の考えはわかったよ。とにかく、俺たちは四人でなんとか生き抜いていかなければいけないってことだな」
そろそろ喋ってもいいだろうと口を開く。
何としても帰る手段を見つけたいが長期戦になるのは避けられなさそうだ。少なくとも今日明日で帰還できるということでもないだろう。
となると、当面の衣食住であったり話し合うことはたくさんある。
「え、四人って……あの、あたしいつの間に仲間にカウントされてるの?」
「いや、流れ的にこれから一緒にやっていきましょ、的な感じだったんじゃん!?」
「……正直、迷ってる。あなた達みたいな狂人と一緒に行動していいのか」
なんて失礼なことを! たしかに渚と秋津さんは頭おかしいけどさ!
事実だとしても、面と向かって言っていいことではないぞ。
「あーあー、俊介のせいでー」
「江古田くん、土下座して」
「あんたらに言われたくないわ!」
さっき鷺ノ宮に『大事なのは誰が言うかじゃない。何を言うかだ』なんて言ってしまったが、あれは撤回する。絶対にそいつにだけは言われたくないことってあるよね。
「あたしと行動するなら規律を守ると約束して! 急に服を脱ぐのは禁止!」
ふむ、なるほど…。
「……渚、秋津さんどうします?」
「うーん、それはちょっとねー」
「わたしもいつでも脱げるようにしておきたいわ」
「ですよねぇ」
鷺ノ宮の提示した条件に不満を隠すことができなかった。
これに関しては三人で意見が一致する。脱ぎたいと思った時に脱げないのはストレスだ。
「やっぱり頭おかしいですって! そこは素直に了承してよ!」
「くっ……! こうやって人は規範、ルール、しがらみに縛られて身動きが取れなくなっていくんだな……。ちくしょうっ! こんな世の中間違ってる!」
「間違ってるのは江古田くん達だからね!?」
思えば、昔からそうだった。
ピンク色が好きだったのに、男の子なんだから青にしろと強制された。
野菜が好きだから野菜ばかり食べていたら、子供は肉を食えと言われた。
……だから、俺に野菜食べてて偉いですね、とか言わないでほしい。野菜は美味しいから食べるものなんです。あんまり言われるとカメラとか殴っちゃいそうなので。
だいぶ話が逸れた。つまり何が言いたいのか。
普通ってなんだ、ってことですよ。
年収五○○万円以上、身長一七○cm以上、大卒、顔は星◯源くらい?
婚活女性が言うところの普通の男ってこんな感じらしいですけど、これって果たして普通なんですかね? 統計的に考えればレアな存在だと思いますが。
では、統計的な平均が普通なのか。そういうわけではないだろう。平均は極端な値があれば真ん中から乖離する。じゃあ平均値か。それとも最頻値か。
……うんざりする。真ん中だから見習うべきなのか、多いから正当化されるのか。
思えば普通という同調圧力に苦しめられてきた。なんだよ、普通って。それはつまり多数派にとって都合のいいものでしかないだろ。
だけど、人は一人では生きていけない。
この島に流れ着いて、そのことはより強く意識させられた。集団に属す以上はある程度の擬態が求められる。それが社会なのだ。
だから、俺たちは三人は『大人』になる必要があった。
「渚、秋津さん……。ここは素直に従いましょう……」
「で、でも! それでいいの俊介!?」
「……わたし、そんなの嫌よ」
「わかってください! 俺だってこんなの受け入れられないですよ! まったく意味がわからないですよ! ……でも仕方ないんです。この環境では全員が一枚岩になる必要があります。だからここは涙を飲んで、鷺ノ宮の指示に従いましょう」
そう、これは仕方のないことなんだ。
川の上流から流された岩は徐々に削れて石になる。人もそうやって丸くなっていく。尖っていたままでは生きにくい。角ばっていたら触れ合えないから。
「あの、えーと、なんかあたしが悪者みたいなんだけど……、おかしいのはあなた達三人だからね? ……え? だよね? なんか自分でも不安になってきた……」
鷺ノ宮はおろおろとしている。そう、彼女だって被害者だ。この社会を生きていく上で忘れてしまったのだろう。
全裸になる喜びを。原始なる姿を。
「わかったよ、俊介」
「そうね、江古田くんがそこまで言うなら」
「……ありがとう、二人とも。鷺ノ宮これでいいか?」
こうして、俺たちは大人になった。
「え、えぇ……。そ、そうね……。ひとまずそういう奇行をやめてくれるなら一緒に行動するのは問題ない。やっぱり人手は多い方がいいし」
よかった。これで晴れて俺たちと鷺ノ宮は仲間になった。
この無人島で生き抜くための。いわば運命共同体というやつだな。
「これからよろしく頼むよ。でさ、鷺ノ宮。ひとつだけお願いがあるんだが」
「何? わ、悪いけどこのチョコレートはあげないからね!? これなかなか手に入らないからちょびちょび食べてるんだから!」
鷺ノ宮はチョコレートを大事に隠すような動作をする。必死にチョコを守っている姿がなんとも愛らしい。あと「ちょびちょび」って表現も可愛い。
だが、お願いしたかったのはチョコレートを分けてもらうことではない。
「最後に、これで最後にするから、記念に脱いでいいか? …………というか脱ぐ!!」
いやほぉぉぉぉぉぉぉおおお!!
俺は再び全裸になる。肌に潮風があたる心地よい感覚。
堪らない。これが癖になるのだ。全裸って一回やるとクセになるんですよね。
「よし! ボクも! Foooooo! Yeahhhhh!」
「いえーい(無表情)」
渚も秋津さんも全裸になった。これがラスト・全裸だ。
俺たち三人は手を取り合って踊った。全裸ダンス。太陽を中心に公転する惑星のように。ゆらゆらと揺れるさざ波のように。互いの領地を奪い合う隣国同士のように。
最高に楽しかった。
踊りというのは人類の歴史と密接である。何千年前の人類も誰かと一緒に踊っていたというのは不思議なことだ。それはとても神秘的なことだと思う。
「ねぇ!? やっぱりさっきの言葉取り消してもいい!?」
しかし、どんなに取り繕ったところで側から見れば全裸三人が踊り狂っているようにしか見えない。そんな様子に鷺ノ宮はヒステリックに叫び散らかしている。
このあと鷺ノ宮に土下座で謝り倒したのは言うまでもない。
……社会の一員としての自覚を持ちましょう、ってことですね。