1-1 文明から切り離されて
体が不快感を覚えている。
この感覚はなんだろう。目を閉じているはずなのにぼんやりと橙色が浮かんでくる。
身体中が熱を持っており、ベタベタと張り付くような汗が気持ち悪い。
それと、これは……痛み。ジリジリと肌を焼かれるような感覚。
「イタタタタ!! クソいってぇー!」
そのことを自覚した瞬間、俺の意識は覚醒した。
視界に広がってくるのは一面の群青。どこまでも高く高く手の届かない空だ。
それと眩しさ。照りつける陽光。太陽が燦々と輝いていた。
「……は? どういうことだ、これ。イテテテ……」
日焼けによる痛みを堪えながら、ぼんやりとした頭をフル回転させる。
状況がつかめない。俺は無自覚のまま野外で寝てしまったのか? しかし、入眠する前の記憶はない。では、一番新しい記憶はなんだ。
そうだ、俺はいつものように学校に行って……そのあとが思い出せない。
頭にモヤがかかっているような感覚。記憶がぶつ切りになっている。
記憶喪失というやつなのだろうか。
……いや、自分のことははっきりと覚えている。
江古田俊介。一七歳。都内私立に通う高校二年生。出身は静岡県。好物は焼肉。もっといえば母の名前、父の名前、友人の名前——そのすべてを鮮明に思い出すことができた。
記憶の連続性が失われるというのは恐ろしい。
失った記憶にこの状況を説明する”何か”があると思うとなおさらだ。
しかし、ここで一人悩んでいてもその答えは出ないだろう。
客観的な視点を持つ誰かに相談するしかない。この場合は警察なのか医者なのか、よく分からないが。
とにかく寝っ転がっていても何も変わらない。なんとしても家に帰らなくては。
「よいしょっと——————ははは……なんじゃこりゃ」
人間というのは本当に困った時は笑いが溢れてくるらしい。
上半身を起こして最初に視界に入ってきたのはエメラルドグリーンだった。
どこまでも澄んだ海。地元静岡でもこんな美しい海を拝むことができないだろう。
「……えーと、ここはどこだ?」
当然の疑問。東京に住んでまだ一年程度だがさすがに分かる。
これは東京の景色ではないと。自分が今いるのは既知の場所ではないと。
そう思うと、とても怖くなってきた。否応無く呼吸が荒くなる。
一部記憶もない。家に帰ろうにも帰り方が分からない。どうすればいいんだ。
「はぁ……はぁ……落ち着け。とにかく人を探そう。そうすれば現在地がわかる」
常識的に考えればここは日本のはずだ。
意識がない人間を国外に運ぶような手段はそうそうないはずだし、何よりもそのターゲットに自分が選ばれることも不自然だ。
現実的に理解するのであれば、俺はもしかしたら夢遊病のようなものを患っているのかもしれない。意識がなくフラフラと移動してきた結果、ここに辿り着いたということだ。
「まずは持ち物を確認しよう」
誰もいないのについ言葉を発したくなる。
そうしないと堪らなく不安なのだ。気が狂いそうになる。聞こえてくるのはさざ波の音だけ。人の営みらしきものは一切感じられない。
「着ているのは……制服か。ポケットには……何も入ってない。倒れていたあたりには……特に何も散乱してないな。…………うそだろ」
状況は最悪だった。通信手段もなければ、金銭や食料もない。
そして何よりも辛かったのが————
「くそおおおお!! これじゃあキラリのライブ配信が見れないじゃないか!!」
俺はうなだれた。地面に膝をついて大粒の涙を流し始める。
せめてスマートフォンさえ手元にあれば! キラリのライブ配信を見ることができれば、こんな辛い状況だって乗り越えることができた!
キラリは俺が推している動画配信者で、ネットアイドルのような存在だ。毎週金曜日にライブ配信をしており、それを視聴することが数少ない生きがいだった。
彼女はただ可愛いだけでなく、胸も大きくて、愛嬌もあって……なんというか守ってあげたくなる感じがするのだ、それに胸も大きくて。
あとはそうだな……やっぱり胸が大きいんだよな。
「遭難したのは百歩譲って問題ないが、キラリのライブ配信が見れないのは耐えられない!」
あの弾けるような笑顔、清流のように澄んだ声、はち切れんばかりのおっぱいが見られないなんて……。
こんなのは拷問だ。もしも神様がいるなら、俺は絶対にあんたを許さない!
先程までは自分の現在地が分からないことが不安で仕方なかったが、今はそんな不安も消え去り、キラリのライブ配信を見逃したくないという思いでいっぱいだった。
「とにかくここがどこかを特定しよう」
泣いていても仕方ない。足があるなら、一歩を踏み出せるなら、こんなところで留まっている暇はない。キラリのために……いや、おっぱいのために!!
俺は今一度、周囲を見渡す。
正面には美しい海。
後方には鬱蒼とした草木。視認できる範囲には建物や道路のようなものは確認できず、どこまでも森が広がっているように見えた。
森に入るのは危険だろうな。イノシシやクマなどと遭遇する可能性もあるし、なにより森で遭難してしまったら状況は今よりも悪くなる。
だから、俺は海岸線沿いに歩いて行くことに決めた。
運が良ければ漁港やビーチなどに出られるかも知れない。そうすれば人に助けを求められる。
「よし、善は急げだ」
俺は自分の判断を信じて歩き出すことにした。