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第7話 憧れ

 時折聞こえる小鳥のさえずりの中、ぼんやりとしたもやが草原を薄く覆っている。足元にある細長く伸びた草先に滴る朝露が、昇りゆく太陽の輝きをきらりと反射し、辺り一面に清々しい朝の訪れを告げていた。

 ――などとイキってみたものの、簡単に言えば早朝だよと言いたいわけです。


 ひんやりとした空気を鼻先で感じて、俺は気合を入れる為に軽く頬を叩く。今日は久しぶりの早出。やってやるぞ! という意気込みとは裏腹に、ゾンビである俺の身体は既にしっかりとバッドステータス状態に陥っている。初めてこの世界に来た時よりも、なんとなくダルさが上がってる気がする。めちゃくちゃ怠い。憂鬱だ。もう帰りたい。もはや気持ちまでしっかりバッドである。


 だがいつまでもそうしていられない。早速、デーオルの街から人影が現れた。

 俺の仕事は単純だ。遭遇した駆け出しの冒険者の相手をすること。気持ちよく倒されて、冒険者の旅立ちをアシストするわけだ。


「さて……やるか」


 そうして「ウグァァ」と、いかにもゾンビ風の声を出した俺の前に現れたのは男女二人組の若い冒険者。たいした装備も身に着けず、まるでこれからデートにでも向かうかのようなラフな服装。

 いやいや、コイツら冒険を舐めすぎだろ。冒険ってのは、準備が七割、運が二割、残りの一割が体力だ! って俺が憧れるあの人は言っていた。

 とりあえず、色々とムカついたので男の方にギロッと視線を向ける。


「ひっ……! あ、現れたな、例のゾンビめ!」

「ちょ、ちょっと大丈夫!? 強かったらどうするの!?」

「だ、大丈夫、俺がなんとかする……!」

「……ぽっ」


 ぽっ、じゃねぇよ。どこにキュンとする要素があるんだよ。男の方、明らかにビビってるじゃん。腰は引けてるし「ひっ」って言ったぞ? 俺にはちゃんと聞こえたからな。

 そうしている間に俺は、じわじわと男に向かって距離を詰めていく。だが男の方も俺に合わせてじわじわと後ろに下がっていくので、常に一定の距離を保っている状態だ。いわゆるソーシャルディスタンス。

 このまま膠着した状態が続いていたが、しばらくして男は額の汗を拭うと、女に向かって慌てた様子で話しだした。


「……ふぅ。こ、こいつ、俺にビビって手を出してこないみたいだ。ここはこのまま通り抜けよう。さぁ、すぐに行こう、早く!!」

「えっ……わ、わかったわ! じゃあ早く次の街へ向かいましょう!」

「――――は?」


 男は女の手を引き、俺の横を凄い勢いで走り抜けていった。そのあまりの素早さに、あっという間に姿を見失ってしまう。

 

「うわぁ……ダセぇ…………」


 ドン引きだ。俺ごときにビビリまくってるようなヤツは冒険者失格だ。今すぐに地元に帰れ! いや、別にこれはひがみなんかじゃない。ちょっと可愛い子だったな、とか思ったけど決して羨ましいとかじゃない。少しだけ世の中の不条理を再認識しただけだ(泣)

 そんななんとも言えない苛立ちを覚えたまま、俺はその場に座りこむ。


「あんな奴でも冒険者になれるんだな…………はぁ」


 去って行った冒険者の方角を見ながら、思わず大きなため息が出る。


「あいつら……次の街、とか言ってたな。どんな街なんだろう」


 きっと俺が見た事も想像した事もないような色んな街や人間、武器やアイテムとかが、この世界にはいっぱい溢れてるんだろう。でもそれを見る事も知る事もなく、俺はこうやってこの草原と洞窟から一歩も出ることなく過ごしていくんだろうか。そう思うと、なんだか虚しくなる。


 意気消沈の中、澄み渡った青空をぼんやりと見上げていると、ゾンビB先輩が言っていた「冒険者が羨ましい」という言葉がふと頭を過った。


「冒険、か…………」


 俺は今、何をしてるんだ。俺はこんな事がしたかったのか? 俺だって本当は――――。



 * * *



 早いもので、この世界に来て一ヶ月ほどが過ぎた。

 なんやかんやで慣れというのは実に恐ろしい。最初はあんなにビビって――いや、緊張してた仕事も、今じゃ立派なゾンビの一員として冒険者の相手を日々こなしている。


 多い時には一日数十回も倒される事もある過酷な仕事だ。でもゾンビという特性上、死ぬ事はないし疲労もほとんどない。しかし俺の心はまだ十七歳の高校生のままだ。そりゃあ精神的にしんどい時もある。

 そういう時は豆茶を飲んだり、他のゾンビ先輩たちと会話をしながら上手く気分を紛らわせていた。


 ――そんないつもの早出終わり。少しづつ日が暮れる中、俺は重たい身体にムチを打ち、拠点のある洞窟へと戻っていた。


 仕事が終わった後、最近はゾンビB先輩――通称オーク先輩と一緒に過ごす事が多い。なぜかと言うと、親しかったゾンビA先輩とはシフトの都合上、関わる時間が少なくなってしまったからだ。


 それにゾンビC先輩はよくよく話してみるとただの脳筋だと言うことがわかったので、正直絡みにくい。会うとだいたい筋トレか、戦闘の話になる。というかゾンビに筋トレって効果あるのかがマジで疑問だ。

 ゾンビD先輩に至ってはあんな感じなので「ち、ちゃっす」「う、うす」だけですぐに会話が終了してしまう。


 というわけで、必然的に一番穏やかで話しやすいゾンビB先輩のところに通ってしまう。見た目もゾンビっぽくないし。ほぼオークだし。

 そんなゾンビB先輩は、洞窟に戻ったばかりの俺の姿を見るといつものように朗らかに声をかけてくれた。


「あっ、E君。今日もお疲れ様」

「う、うす」

「……? なんか元気ないね。どうかしたのかい?」


 ゾンビB先輩はいぶかしげな表情で俺の顔を覗き込んだ。俺の声色ひとつで何かを察知したのだろう。

 そして俺はつい、その優しさに甘えてしまった。この先輩なら、俺の気持ちがわかってくれるかもしれない――と思って。


「あっ……いや、まぁ、なんというか……ちょっと話したい事があって」

「……? 僕でよかったらいいけど……じゃあちょっと場所を変えようか」


 ゾンビB先輩はそう言って、洞窟奥にある空きスペースへと歩き出した。俺は頷いて了承すると、歩き出した巨体の後ろ姿を追っていく。


 空きスペースに着くと、ゾンビB先輩は壁際に無造作に置かれている岩で作られた不格好なベンチにゆっくりと腰を下ろした。

 そういえば確か、あのベンチは脳筋ゾンビC先輩が岩を殴って作ったものだったっけ。そんな不格好なベンチを全く気にする素振りのないゾンビB先輩に「どこか座りなよ」と案内され、俺は軽く会釈して目の前の地面に座った。


「――で、どうしたの? もしかして、仕事がしんどいとか?」

「えっ、あぁ……確かに仕事はしんどいっすけど、それはもう慣れました」

「そっかぁ。もう一ヶ月くらい経つもんね。僕は慣れるまで一年くらいかかったよ、ははは……」


 ゾンビB先輩はにかんだような苦笑いを浮かべた。

 その仕草はまるで人間だ。というか本当にゾンビB先輩は色んな意味でゾンビっぽくない。見た目はゾンビというよりほぼオークだけど、言動がまるで人間みたいなんだ。だから俺はゾンビB先輩に、勝手に親しみを覚えているのかもしれない。


「あの……で、相談ってゆーか、その、この前……俺に冒険者が羨ましいって言ったの……覚えてます?」

「あぁ、うん覚えてるよ。……はっ! まさか、誰にも言ってないよね……?」

「あっ、当たり前じゃないすか! 勿論誰にも言ってないですよ! で、違う違う、そうじゃなくて……B先輩が言ったその言葉が、俺の頭の中にずっと残ってるっつーか…………」


 そう言って俺は薄暗い地面を見つめたまま、その先を上手く言葉にする事ができなかった。いや、正確に言えば躊躇した。

 この先を言ってしまえば、もう後戻り出来ない――そんな気がした。でも、俺の心に秘めた思いはとうに固まってる。あとは口にするだけ。行動に移すだけ――たったそれだけのはず。

 

 そんな俺の様子を察したのか、ゾンビB先輩はただ黙って俺の言葉が出るのを待ってくれている。そしてしばらくして俺はやっと、絞り出すようにして続きを口にした。


「羨ましい……というか、そんなんじゃなくて……なんていうか、その……ゾンビとしての仕事もやりがいっつーか、そういうのも無い訳じゃないけど…………そもそもゾンビが嫌だなんて思ってな、いや……確かに最初はゾンビって何だよとか思ったけど…………でも、先輩たちはみんな……優しいし、一緒にいて楽しいし……その、でも………………」


 大事な思いを伝えたい時ほど、上手く言葉に出来ない。たった一言を口にするだけなのに、こんなに遠回りしてしまう。てんで何が言いたいのかわからない俺のクソみたいなめちゃくちゃな話を、ゾンビB先輩は優しい微笑みのまま黙って聞いてくれていた。

 なのに俺は再び言葉に詰まり、沈黙が流れる。

 何秒、何分。どれくらいだろう。時間だけが静かに流れていく。


 するとしばらくして、その沈黙を破るようにゾンビB先輩はどこか納得したような表情で口を開いた。


「E君、君のやりたい事をすればいいと思うよ」

「えっ……」

「冒険者になりたいんでしょ?」

「なんで…………?」

「なんでかな。そういう風に僕は聞こえたよ」


 ゾンビB先輩はニカッと笑う。

 その笑顔が、そして俺の気持ちを代弁してくれた事が、俺の心を覆っていたモヤモヤしたものを取り払ってくれた気がした。


「でも……ゾンビなんかが冒険者になんてなれるわけないっすよね、はは……」

「それはどうだろう。僕みたいな見た目だと絶対に無理だろうけど、E君は顔さえ隠せば外見は人間とほとんど同じだし、案外バレないかもよ?」

「……! そ、そっか、なるほど…………でも、そう上手くいくかどうか……それに――」


 俺の脳裏に親分の姿が浮かぶ。バレるバレない以前に、まずはここから抜け出せなければ意味がない。最悪、誰にも言わずに逃げ出すって手もあったけど、出来れば穏便に……ってのが本音だ。 


「親分……かい?」

「はい……やっぱりここを出るなんて…………それに、冒険者になりたいなんて言ったら一体どうなるか……」

「――君の思いはそんなものなの?」

「えっ……?」


 ゾンビB先輩はまっすぐに俺を見つめた。それは今までの先輩からは見た事もないような力強い眼差しだった。


「君は……出来そうな事、叶えられそうな事にしか挑まないのかい?」

「い、いや……そんな事は…………」

「だったらどうする? それは、君の心が一番よくわかってるはずだよ」

「…………!!」


 そうだ。ゾンビB先輩の言う通りだ。

 全く、俺はバカだ。何に怯える必要があるっていうんだ。

 俺はゾンビだ。どれだけ殴られようが蹴られようが死ぬ事なんてない。もう俺には、怖いものなんか何もないじゃねぇか。なら俺は――――。


「俺……親分のところに行ってきます」

「そっか、うん、そうだね……いってらっしゃい」

「あの…………ありがとうございます!!」


 俺は勢いよく頭を下げた。

 やっぱりこの先輩に話を聞いてもらってよかった。おそらく、自分ひとりでは決断できなかった冒険者への思い。それをすくい取って、言葉にしてくれた先輩には本当に感謝しかない。

 そんなゾンビB先輩の為にも、ちゃんと自分の思いを伝えるんだ。熱意を、覚悟を、決意を。それらを上手く言葉に乗せられる自信はない――けど、やるしかない。


 そうして俺は、一歩一歩しっかりと地面を踏みしめて、親分のいる洞窟奥へと向かった。



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