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第10話 決闘

 親分はゆっくりと確実に、俺との間合いを詰めてきている。

 お互いに武器なんか持っていない丸腰の状態だ。以前の喧嘩ド素人の俺では、親分にはまるで歯が立たなかっただろう。

 でも――俺にはここで何十回、何百回もボコボコにされてきた経験がある。それとゾンビC先輩に教わった格闘術もだ。俺だってやれるんだと、ここで証明してみせる。

 俺は拳に力を込め、真正面から突撃していく。


「うおぉぉぉぉ!」


 だが親分は、俺の渾身の右ストレートを片手でさっと払いのけると、俺の腹部のあたりに強烈な蹴りを入れる。あまりの衝撃に、俺の身体は軽く吹っ飛んだ。

 鎧越しでも伝わる蹴りの重さ。ほんのたった一撃で、俺と親分の実力差がわかった気がする。こりゃあ今まで出会ったどの冒険者よりも強いんじゃねぇか!?


「おいおい、まさかこれで終わりな訳ないよな?」

「……っ! ま、まだまだ……これからっすよ!」


 俺はすぐに立ち上がる。

 幸い痛みはない。こういう時はゾンビの身体である事に感謝だ。でも、痛みがないのは向こうも同じ事。つまり、諦めたらそこで戦闘終了。これは気持ちの戦いなんだ。


「うおぉぉ!!」


 俺は再び真っ向から向かっていく。フェイントも何もない、ただの正面からの突撃。狙うは顎先。例えゾンビでも、そこにパンチをぶちかますとしばらく立っていられない……と、ゾンビC先輩からの情報を参考にさせてもらう。

 だが俺の右フックは親分にやすやすと受け止められ、代わりに見事なカウンターフックをもらってしまった。


「うっ…………」

「狙いはいい……が、狙いすぎだな」


 親分は余裕を崩さない。手をパシパシと払い、拳を構えている。

 やっぱり戦闘経験の差が段違いだ。勝つどころか、このままじゃ一撃も食らわせる事もできないかもしれない。

 相手はゾンビ。しかもガチムチ。肉弾戦じゃ歯が立たない。でも考えろ。この状況を打破するにはどうしたらいい……?


 俺は拳を構えながら、兜越しに親分を見据えて必死に考える。すると草原の向こうから、きらりと光るものが俺の視界に入ってきた。

 それは、もうすぐ夜が明ける事を知らせる光。俺たちゾンビが苦手とする呪いの時間だ。


 ――って、そうか! 親分もゾンビ。太陽の光に当たればバッドステータス状態になるに違いない。いくら強くても、身体能力が落ちれば俺にだっていくらかはチャンスが生まれるはずだ。

 それに俺には親分からもらったこの全身を覆う鎧がある。これがあれば俺は太陽の光に当たらない。つまりバッドステータス状態にならないはず……多分。

 確証はないけど、今はそれに賭けるしかない。日の出まであと少し。それまで時間を稼ごう。


「親分……もし俺が勝ってからじゃ聞けないかもしれないんで、先に聞いておきたい事があるんですけど」

「はっ、口だけは達者だな。だが、まぁいい。聞いてやろう」

「その……冒険者になるにはどうすればいいんですか?」

「ははっ、なんだ、そんな事か。まぁいい。それならまずは、冒険者として登録できる施設に向かう事だ。近くで言えばすぐそこの街、デーオル。モンスター避けの柵沿いに進んでいけば寂れた小道がある。そこを入るとしばらくして商店街の裏道に出られるはずだ」


 へぇ、なるほど。というか親分めっちゃ親切に教えてくれるじゃん。やっぱりなんだかんだで親分は優しいんだよな。この優しさに報いる為にも、ますます負ける訳にはいかねぇな。


「ありがとうございます、親分。じゃあ俺は冒険者として、勝って、気持ちよく旅立たせてもらいますよ……!」

「……やってみろ!」


 俺はやや頭を屈めながら突進した。カウンターをもらわない為に、拳は顔の前付近に構えてだ。

 俺の狙いはもちろん親分の顎先。というかそこしかない。あとはそこを狙うタイミング。それさえあれば――――。


「うおおぉ!」

「うっ……!」


 まずは親分の腹部を狙ってふところに入る。ほぼタックルに近い形だ。親分は殴られる事を警戒していたのか、意外とすんなり懐に潜り込めた。

 だが急に、俺の身体が動かなくなる。俺の両肩が親分の両手によって掴まれていたのだ。掴まれただけで動けないなんて、なんつー力だよ……。


「おらぁ!!」


 身動き取れない俺の頭部に、親分の頭突きが炸裂する。兜越しに伝わる衝撃だけで、思わずくらーっとしてしまいそうだ。だがそれが二回、三回、四回……と続いた。兜の中で鈍い音が耳に響き、思わず目眩がする。

 意識が遠のきそうになる中、ついにその瞬間がやって来る。


「へへっ、親分。俺の……勝ちっす」

「……なんだと?」


 親分の背後から後光が差す。朝を告げる柔らかく暖かな光。そして――俺たちゾンビの天敵であり、呪いの光。

 その光が辺りに広がる草原を明るい緑に染めた瞬間、俺の肩を掴んでいた力が急激に弱まっていくのを感じた。今ならやれる――そう思って俺は親分の手を振り払うと、その場に少し屈む。そして勢いよく真上に向かって飛んだ。掲げた右拳に全ての力を乗せて。


「うおぉぉぉぉ!!」


 渾身のアッパーが親分の顎先を撃ち抜いた。

 拳に残る硬い感覚。おそらく直撃だ。ふらふらとよろめき、大の字になって地面に倒れる親分。


「やった……のか……?」


 目の前で起きた出来事をまだ信じられない。地面に倒れて動かない親分を見下ろしながらその場に立ち尽くしている俺を、眩しい陽の光が照らしていた。

 だがその光はいつも感じていた不快な光じゃない。俺を包むこの全身鎧が、ゾンビの呪い(バッドステータス状態)を防いでくれているからだ。この世界に来て初めて浴びる心地よい光。鎧越しに感じるその暖かさはまるで、俺の旅立ちと勝利を祝福してくれているようだった。



 * * *



「さっさと行けよ、冒険者…………」


 草原に仰向けになったままの親分が、ぼそっと声をかけた。

 そうだ。今、この瞬間から俺はもう冒険者として生きていく。もしかしたら一生の別れになるかもしれない。でもあの時、親分は言ってくれた。


 ――気が済んだら、いつでも帰ってこい。


 その言葉をぎゅっと胸に閉じ込め、俺は親分に向かって長く、深くお辞儀をする。そして頭を上げ、一言告げた。


「……いってきます!」


 朝日に照らされる草原。微かに香る緑と土の香りの中、俺は歩き出した。目的地は、何人もの冒険者を輩出する街、デーオル。

 そして今、俺の冒険は始まった。大きな期待と希望、そして――昇りゆく太陽よりも熱い情熱を胸に抱きながら。


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