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転生

 ある朝目覚めると、レッドリー・ザムザは自分が大きく肥えた醜い人間の男になっている事に気が付いた。

 しかも、目覚めた場所も身に覚えがない。

 寝ているベッドは上質で、目の前には四角く黒い透明な膜が貼られた何かの機械がある。部屋は狭く薄暗くどことなく湿気てもいた。汗臭い臭いもする。窓からは小さな明かりがこぼれている。

 何故か、レッドリーは目の前の四角い機械が液晶ディスプレイという名前で呼ばれている事を知っていた。

 彼は取り敢えず起き上がろうとしたが、身体が重過ぎてそれすら億劫だった。手を見てみる。太く、まるでグローブをはめているかのようだった。

 不意に声が聞こえた。

 「お兄ちゃん、いつまで寝ているの?」

 部屋のドアが開いて、女性が顔を覗かせている。

 一瞬戸惑ったが、彼は何故かその女性が自分の妹であることを知っていた。

 「千夏。おかしいんだ。ファグレース王国にいたはずなのに、目覚めるとこの部屋で寝ていたんだ。しかも、僕は鍛え上げられた優秀な冒険者だったはずなのに、こんな姿になっている」

 それを聞いて妹は顔をしかめる。

 「何を寝ぼけているの? それはお兄ちゃんが嵌っていたネトゲの話でしょう? もうサービス終了したじゃない。課金しまくっていたからショックなのは分かるけど、いい加減、現実に戻って来てよ」

 レッドリーにはその言葉の意味が分からなかった。妹はまだ言葉を続ける。

 「まさか、仕事まで辞めてネトゲに嵌るなんて思わなかったわよ。まぁ、酷い会社だったみたいだから無理もないけど。

 でも、サービス終了したのだし、そろそろ再就職をしないと駄目よ?」

 やはり彼には妹の言葉の意味が分からなかった。それで「何の事だ?」と質問すると、半ば呆れたような様子で妹は滔々と説明をしてくれた。

 

 彼、塚田一郎は、ブラック企業に勤めていたらしい。そこで心身ともに削られてしまった彼は、ストレス解消にやり始めたネットゲームに嵌ってしまい、出勤をしなくなり、部屋に閉じこもり、遂には仕事を辞めてしまったのだという。

 

 「そんなバカな…… だって僕は女神様の加護を受けて、そのチート能力で無双していて……」

 妹からの説明を受けてレッドリーはそう呟いた。

 「だから! それはゲームの話でしょう? 

 あれだけ課金していれば、そりゃ女神様だって加護を与えてくれるし、無課金ユーザー相手になら無双だってできるでしょうよ」

 妹はそんな兄の様子に苛立たし気にそう言った。そして、窓を開ける。外の景色が飛び込んで来た。

 「さっさと外に出て働きなさい!」

 彼はその外の景色に怯えた。

 身に覚えのない世界だ。灰色の汚いビルが見える。厭だ。こんな残酷な世界で働きたくはない。

 「やめてくれ! 窓なんか開けないでくれ! そんな世界は見たくない! 僕はファグレース王国所属のSSSクラス冒険者だ! そこは僕の働く場所じゃない!」

 そう叫んだ彼に妹は「はぁー?!」と声を上げた。

 「何を言っているの? まさか働かないつもり?」

 彼は布団を被ってうずくまる。

 「ちょっと! 本気でおかしくなっちゃたの? 外に出なさいよ!」

 妹はそんな彼をなんとか引っ張り出そうと、布団に手をかけた。レッドリーは「やめろー!」と叫ぶ。その声を聞いてか、階下から「どうしたの?」という母親の声が聞こえる。

 「お母さん。お兄ちゃんが変になっちゃった。多分、ゲームのやり過ぎよ」

 妹はそうその声に返した。

 

 レッドリーはそれからも部屋の外に出ようとはしなかった。目覚めれば、元の冒険者に戻っていると願って眠るのだが、何度寝ても塚田一郎として汚い部屋で目が覚める。

 父親と母親はそんな彼を腫物を触るように扱い、それに彼は苛立って逆上することすらあった。やがて彼の部屋を訪れるのは妹だけになり、時折、彼に侮蔑の言葉を吐いた。

 部屋の外から「お母さん達が甘やかすから、いつまで経ってもお兄ちゃんはこんななのよ」などといった声が聞こえて来る。母親はいかにも困った声で「でも、あの子も、変な会社に入って辛かったのでしょうし」などと返す。どちらの声も彼は聞きたくなかった。

 

 違うはずだ。

 こんなんじゃないはずだ。

 僕の魂は、僕の存在は、もっとずっと価値があるはずなんだ。これは神様の手違いなんだ。だからその責任を取って、多分どこか別の世界に行く時には、女神様がまた僕に凄まじいチート能力を授けてくれるはずなんだ。

 ファグレース王国で冒険者をやっていた頃は、同じパーティの女達はみんな僕に惚れていた。他に男もいたが、目もくれなかった。いいや、パーティの女達だけじゃない。敵である魔王ですら僕に惚れていた。女は優秀な男を求めるんだ。だから、決して敵わないこの僕に魔王ですらも恋焦がれていたんだ。だからいくらだって子作りができた。僕が望めば拒否する女はいなかった……

 

 周囲の声を拒絶して、レッドリーは自分の世界に閉じこもっていた。

 いつか異世界から召喚されて、とんでもない力を与えられて、再び活躍ができるものだと信じ込んで。

 ある日、妹がやって来て「お兄ちゃんもワクチン接種を受けなくちゃ駄目よ」と言った。その頃には妹も彼を諦めているようだった。ただし、それでも彼女は小言を言った。

 「あのね、お兄ちゃん。わたしでも家にお金を入れているのよ? お兄ちゃん、働いていた時だって家にお金を入れていなかったじゃない。しかも貯めたお金を全部ゲームに使っちゃって……

 もう働けとは言わないけど、せめて家族には迷惑をかけないで。コロナ19のワクチン接種くらい受けてよ」

 それに彼は力なく「出て行ってくれ」と返した。妹はため息を漏らすと何も言わずに部屋を出て行く。

 が、外に出てからこんな声が聞こえて来た。

 「……何もしないで食べさせてもらっているくせに、お礼も言わないで」

 聞こえるようにいったつもりなのか、それとも独り言だったのかは分からなかった。

 

 レッドリーはワクチン接種に行かなかった。

 コロナ19のワクチン接種などしても無駄だと思っていたからだ。自分の世界はここじゃない。自分の世界にはコロナ19はない。だから行く必要はない。

 そう思って。

 それに、外にさえ出なければ、コロナ19には罹らないはずだとも思っていた。

 外に出るのは怖かった。

 だから、ワクチン接種は必要ない。

 

 だが、そんなある日、彼は高熱を出した。臭いを感じない。味を感じない。話に聞くコロナ19の症状だった。

 彼はそれを不思議に思った。

 “外に出ていないのに、どうしてコロナ19に罹るんだ?”

 それで思い出した。ワクチン接種をした妹は、もうこれで大丈夫だと頻繁に遊びに出ている事を。

 “千夏から伝染ったんだ! あいつはワクチンを打ったから無症状だけど、僕は打っていないから……”

 熱で鈍くなった頭で、彼は妹を激しく憎んだ。家にワクチン接種をしていない自分がいるにも拘らず、構わず外を遊び歩いてコロナ19に感染させるだなんて。

 “一体、何を考えているんだ? 人殺しめ!”

 彼は食事が喉を通らなくなった。両親はゼリーやスポーツドリンクを用意してくれたが、それだけだった。病院へは連れて行ってくれない。病床が埋まっているという話だが、本当か嘘かは知らなかった。

 コロナ19に自分が罹ってから、妹は姿を見せなくなった。

 まさか…

 と、彼は思う。

 まさか、あいつはわざと僕を殺す為にコロナ19に感染して来たのじゃないか?

 だから、姿を見せないんだ。

 あいつは僕を邪魔者扱いしていた。いなくなれば良いと思っていたはずだ。

 くそう……

 レッドリーは実の妹への憎しみをたぎらせた。もし再び見かけたら、復讐をしてやろうとすら考えた。酷い目に遭わせて、そうしたら「ざまぁ」と言ってやるんだ。

 だが、そのうちにそんな気力もなくなった。熱が高くなり、何も考えられなくなったのだ。

 

 物音に気が付いて目を開けると、ベッドの目の前の液晶ディスプレイが何かを映していた。

 見ると、DVDプレイヤーが回っている。誰が点けたのかは分からない。もしかしたら妹かもしれない。もし起きていたら、恨み言の一つでも言ってやったのに。

 液晶ディスプレイは、世界の不幸な子供達の映像を映していた。

 栄養失調で瘦せこけた子供達。飛んできたミサイルで大怪我をした子供達。爆弾を持たされ、テロに利用され、身体がバラバラになった子供達。

 何故、こんなものを見せるのか、レッドリーにはまるで分からなかった。

 頭が上手く働かない。

 いよいよ死ぬのかもしれない。

 

 いいさ

 

 彼は思う。

 死んだら転生できるんだ。そうしたら、こんなに酷い目に遭った分、次の世界ではきっと凄いチート能力を女神様から貰えて、楽しい想いができるはずだ。

 妹は自分が働いている事を自慢していたが、それだって女神様から力を与えられに過ぎないんだ。なのにどうして威張っているんだ? 馬鹿馬鹿しい。

 目の前の映像では、子供達が相変わらずに苦しんでいた。

 

 ああ、可哀想に。

 

 大丈夫だ。

 そんなに辛い目に遭ったのだもの、きっと君達も異世界に転生する時には女神様から凄いチート能力を貰えるよ。

 いいや、たとえ貰えなくても、僕がチート能力で助けてあげる。

 そうだ。

 今度の世界では、女達にモテる為じゃなくて、こんな子供達の為に力を使おう。そうしたらあの子達はきっと仕合せそうに笑うんだ。仕合せそうに、仕合せそうに笑うんだ。そうに違いないんだ。

 

 レッドリーの意識はそこで真っ暗になった。彼の頭の中では、ディスプレイに映った子供達は仕合せそうに笑っていた。

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