三.
「ね〜夏蘭こんな所に雪兎なんかと籠ってないでさ〜カフェに行かない?星屑のモンブラン食べたくない?」
雪兎と二人だけだった古保管庫に半刻程前にやってきて、ずっと夏蘭の尻を追いかけている男に塩対応で夏蘭がきっぱりと吐き捨てる
「いかない」
「つれないなー、僕はわざわざ夏蘭が大嫌いな雪兎と二人で出かけてるって聞いたから心配でそこらじゅう探して来てあげたのに」
「てかよくこんな場所探り当てたよね?普通ここにいるって思いつかないと思うけど」
調べ終わった書物を棚に戻しながら呆れ気味に夏蘭が話しかければ男はパーッと花でも飛ばしそうな
満面の王子スマイルで微笑んだ
「僕と夏蘭は運命の番だからね
僕は夏蘭が生まれた時からずーっと君の香りが大好きだもん。どこにいたってこの鼻でみつけだせる」
夏蘭は男に構っている暇は無いので完全スルーだ
せっせと書物を棚に戻しては目星の書物を探している
そんな夏蘭の後ろから夏蘭の肩に顔を近づける男の気配に夏蘭はぞわりと鳥肌立った
この男の名は春香
夏蘭達と同じ四季ノ里に住まう 末端の神の子だ
春香は 春ノ神の息子で夏蘭や雪兎より十年先に神の世に生まれたが神の世では夏蘭達と同世代にあたる
夏蘭が生まれた時から夏蘭の匂いが良い匂いだと言ってずーっと付き纏っている男である
夏蘭の身体がまだ大人びる前はただちょっとスキンシップの多い優しい兄的な存在だったのだが
夏蘭が成長するにつれ夏蘭を女として見るようになった春香に、夏蘭は雪兎とはまた違う嫌悪感を抱くようになった
夏蘭だってはじめから春香が嫌いなわけではない、
夏蘭は自分と同じ金髪を短く切り揃えた髪に目元も同じエメラルドの瞳をもった中性的で美しい容姿をした春香を本当の兄のように慕っていた時期もあった
春香は夏蘭だけにいつも特別優しくて夏蘭を
「僕の可愛い夏蘭」とか「大好きだよ」といって頭を撫で、抱きしめた
幼い頃の夏蘭はその向けられる愛情に嬉しさや心地よささえ感じていた
だが夏蘭の身体が女性的に丸みを帯びて大人の身体に成長するにつれ夏蘭は春香のスキンシップに不快感を抱くようになった、夏蘭は春香に「もう私に触らないで」とお願いした
すると春香は「うん、わかった。はずかしいんだね?夏蘭が自分から僕に触れたいって思うまで待つよ」と言い出したのだ
そこで夏蘭はようやく気づいた
自分が春香に性的な目で見られているという事に
夏蘭は足もとが崩れていくような思いだった
ーーその時芽生えた感情と同じ思いを夏蘭はまた感じていた
(気持ち悪い…)
夏蘭は春香から逃げるように身体を横にずらして
振り返り春香をキッと睨めつけた
「ねえ春香、もうこうゆうのやめて!もう本当に嫌なの、私は春香が私にむけるような感情を同じようにはあんたに持てないの、いい加減あきらめてよ」
(これ以上、嫌いにさせないでほしい…)
夏蘭は怒りと悲しみが入り混じったような暗い顔をしてすぐ春香から顔をそらした
そんな夏蘭の様子に気付かないのか
気付いていてもそれを夏蘭の本心と受け止める気がないのか、春香が人の良さそうな笑みを作り夏蘭に言い聞かせるように話し出す
「まだ夏蘭は目覚めてないだけだよ、きっとそのうち夏蘭も僕と同じように僕の香りに夢中になって僕を自ら欲しいと思うはずだよ、僕にはわかるんだ、
君が僕の番だって」
「私は違うと思う!大体、何なのよいつも番、つがいって、後匂い嗅ぐのホントやめて!」
夏蘭はスタスタと春香から逃げるように保管庫の中を移動する
春香が夏蘭を追いかけながら言った
「僕は前代の春ノ神様が里を経たれる以前に聞いた事があるんだ、神々の間に稀に一対として生まれおちる番神がいるって…」
夏蘭は春香の確信めいた言葉に足を止め振り返る
春香が熱を帯びた瞳で夏蘭を見つめていた
「…番神なんて、本当にいるの?」
「うん。嘘じゃないよ、その番神っていうのは千年周期で八百万の神々の住まう何処かの里に一組だけ誕生するらしい、神々はそれを『当たり神』と言ってるんだって」
「当たり神?…それが、私とあんただって言いたいわけ?千年周期に一組の確率なのに」
夏蘭が馬鹿馬鹿しいと吐き捨てるが春香は真剣な瞳のままじりじりと夏蘭に歩を進めて近づいてくる
夏蘭はそれに気づいて後退るが背中を棚に押しつけてそれ以上後がなくなってしまった
「当たり神は同じ世代の一年〜十年程の間で誕生するらしいんだよ、そうしてあった瞬間、番の香りに酔うそうだ。僕が夏蘭が生まれてきた瞬間から君の香りに夢中になったようにね」
春香は夏蘭を閉じ込めるように両手を棚について
夏蘭に顔を近づける
「…でも私は春香の香りに何も感じない…」
「だから、きっとまだ覚醒してないんだよ、
そうだ、人の世では運命の相手の口付けで目覚める物語があったよね…試してみたらいい…」
そう言ってうっそりとした瞳を向けながら春香は夏蘭の顎に手をかけて上向かせ夏蘭の唇に熱い視線を注いでいる
夏蘭がしまったと思った時にはもう身動きも取れない状態に追い込まれていた
(いやだ!)
夏蘭は逃げ遅れた身体にきゅっと力を込めて全身で拒否反応を示していた
キスされると身構えて唇をギュッと引き結び目を閉じた
だが、いつまでたっても唇らしい感触は落ちてはこない
スンと止めていた息をすいこんで夏蘭は(あっ…)と眼を見開いた
「あっぶねー、セーフ」
そう言ったのは雪兎だった
気付けば夏蘭と春香の間に書物を挟み入れるように雪兎が手を突き出していた
「雪兎…お前…よくも」
春香は書物が顔面に直撃したようで鼻の頭を押さえて雪兎を睨んでいた
夏蘭はホッとしたが雪兎の距離が近い為匂いに耐えられなくてすぐに距離をとった
「雪兎…ありがと、やばかった」
「ああ…俺もどこまで放置していいのか迷って助けるの遅れた、悪かったな」
「いや、あんたは悪くないって…」
春香を間に挟み距離を取りながらも二人だけの雰囲気を醸し出す夏蘭と雪兎に春香が腹を立て雪兎の持つ書物を叩き落とす
「なんだよ雪兎!夏蘭に嫌われてるお前が僕達の邪魔をするなよ」
「いや、普通にするだろ、俺今こいつの婚約者だぞ?」
雪兎の言葉に頭に血がのぼったように春香が真っ赤に顔を染めて怒りを露わにした
「だからそれが間違ってるんだ!夏蘭は僕の番なのになんで夏蘭が近づく事さえ苦痛なお前なんかと婚約してるんだよ、さっさと解消しろ!今すぐに」
「ちょっと、これは私と雪兎の問題でそもそも春香にはなんの関係も無い事でしょ!口出ししないでよ」
キイキイと喚く二人に雪兎が大きな溜息をついて落ちた書物を手に取りパンパンと汚れを取るように叩いた
「夏蘭、お前はちょっとだまっとけ、余計ややこしくなる…」
雪兎は書物を脇に持ち直しピシッと夏蘭に指さした
夏蘭が目を丸くして押し黙ったのを良い事にすかさず雪兎は春香に鋭い視線を向ける
「春香、こいつがお前の番かどうかなんてどうでもいいし、しったこっちゃ無い、この婚約は俺と夏蘭の意思で結んだものじゃないから解消する手段を今こいつと話しあってる
でもそれはお前には関係の無い事だ
例えお前が番だろうがお前は現状、夏蘭の恋人でも無いまったくの部外者だ
俺たちの邪魔をしないでくれないか?一応嫌われてても俺が今はこいつの婚約者だ」
夏蘭は自分の言わんとする事を全部まとめて言ってもらったようで胸がスッキリとした
それと同時にスッキリとした胸の奥底で温かい何かを感じた気がしたがとくには気に留めず二人の様子を伺った
春香は悔しそうに整った顔をくしゃりと歪めて言い返す
「お前は夏蘭を嫌ってただろ!それなのに婚約が決まったら急に手のひら返して恋人気取りか?夏蘭がお前を嫌ってる事は変わりないんだからな!自惚れるなよ」
「だから、恋人じゃなくて婚約者だとさっきから言っている。別に自惚れても無いし、嫌われてるのなんか分かりきってる態度で丸分かりだ。だが、俺とこいつが正式に婚約した以上俺とこいつは互いに掟を守る義務がついてまわるんだよ!
お前、さっき、こいつに何しようとした?」
「あっ…」夏蘭は雪兎の言葉の真意を読んで顔色を青くするその様子をちらりと見て
(お前も気付くのおせー…)と雪兎は腹の内で悪態をついて口角をあげた
「神々の婚約の掟十二条、婚約者以外の者、神であれ人であれ口付けを許すべからず
その掟に背いた場合、他者に口付けを許した神は人の世に百年落神と処し罰するものとし、婚約者の不貞を見過ごした婚約関係にある者も十年落神と処す。」
冷ややかな視線を向けて春香を見る雪兎に春香も夏蘭さえも背筋が凍る、だが雪兎はさらに冷たい声音で春香に問いかけた
「…お前俺と夏蘭を落神にする気か?
好きな女を陥れるのがお前の趣味なのか?
とんだ愛情表現だな
ちなみに、そうなった場合横恋慕したお前だけは掟から除外されるらしいぞ、良かったな」
春香は掟の事など気にも留めていなかったのだろう。雪兎の問いかけに青くなってふるふると首を振って夏蘭を見つめたが夏蘭はふいっと顔を逸らした
春香が知らなかったとしても簡単には許せない
雪兎がこの場にいなかったら夏蘭は百年人の世で透明人間のように孤独に生きる事になっていたのだ
「解ったら俺とこいつが婚約解消するまでこいつに指一本触れんじゃねー!」
雪兎の本気の怒りの声に春香は固まり悲痛な顔付きでぽそりと「…わかった」とだけ呟いて夏蘭に一歩近づこうとして、だけど直ぐに足を止めた
「夏蘭ごめんね…約束したのに、焦って、嫉妬して…触れようとした。でも夏蘭を落神にする気なんて無かったんだ、本当、掟の内容なんて気にもしてなくて…馬鹿だな僕は…夏蘭、ごめんね。もう婚約解消までは近づかないから安心して、怖い思いさせてごめんね」
春香の何度も重ねるごめんね、の言葉に夏蘭は春香を見て何か言おうとして…だけど雪兎の怒っているような顔をみて言おうとした言葉をすぐに消し去りすり替えた
「春香、もう帰って…今回ばかりは許せそうに無いくらいあんたにムカついてるの私
しばらく顔も見たくない…」
夏蘭の言葉に春香が絶望したような顔で夏蘭にまた縋るように近づこうとして、その腕を雪兎が掴む
「春香、お前自分を見失い過ぎだ。冷静になってちゃんと反省しろ、今までのこいつへの接し方とか全部。じゃないと俺みたいに…俺以上に嫌われるぞ」
「っ…クソ、お前なんかに…」
「そのなんかより、確実に今お前は嫌われてるよ…」
「っ〜〜〜」
春香が雪兎の胸ぐらを掴む
「雪兎!」
思わず呼んだ相手の名前に、夏蘭は自分でもびっくりして、はっと口元に手をついて、
そんな夏蘭に雪兎が意外そうな視線を向けて
春香は愕然として目を見張り、そうして雪兎の胸ぐらを放して…
「帰る…」それだけ告げて保管庫を出て行った
しばしの沈黙の後…
どちらからともなく呟いた
「…続きしよ」
「…お前そっち、俺こっちな」
それから無言のまま夏蘭も雪兎も黙々と保管庫の記録を調べるのだった