帰ってきた同級生?
自分が住んでいた場所を好きになるのは、誰しもその土地を離れたときなのだと思う。それは物理的にか心理的影響であるにしろ、客観的に思いを馳せた時、ふとそう思える瞬間がくる。たとえ……それが逃げるように去った、この何もないただの田舎町であろうとも。
「八田君…だよね」
この俺、八田十流が背後から突然呼ばれて振り向くと、長い黒髪を揺らした女が立っていた。その綺麗な顔には見憶えがあった。
「えーと…早海、か?」
「うん、久しぶり」
小中と同じ学校の同級生であった早海月子だった。男子から女神とうたわれていた微笑みを、今俺に向けている。早海とはほとんど会話をする事が無かったから、顔をみたのは卒業式以来となる。
しかし、よくよく見ると早海には清楚過ぎる服装はかえって目立つものだと思った。半袖白シャツに藍色の膝丈スカートの爽やかなお嬢様スタイル。2色だけの色味だというのに、ちっとも地味にならないのは彼女のもつ美貌とオーラのなせる技だろう。その威力たるやアニメキャラのコスプレ並だ。…なんてのはあくまで俺の主観だけど。
「久しぶり。つーか早海、俺の名前よく覚えてたな」
「なんで?八田君とは何回もクラス一緒だったじゃない。こっちに帰って来てたんだね」
「ああ、ちょっと夏休みだけな。終わったらすぐ帰るけど」
思わず視線を外してた。正直同級生なんてものには関わり合いになりたくなかった。狭い田舎町とはいえ、帰ってくるなりこうも簡単に逢うとは。
「…そうなんだ。今日は誰かのお見舞いかな」
この場所は、俺が元住んでいた大神町唯一の総合病院だった。しかも第二病棟の3階ロビー、こんなとこに一般人が居るのは、入院してるか見舞いに来たかの二択しかない。そしてどう見ても俺は後者だ。
「ばあちゃん。ちょっとだけ入院することになったんだ。今さら盲腸だってさ、70過ぎなのによ」
「おばあちゃん、早く退院出来るといいね」
そして少し叱るように詰め寄る。
「盲腸だって少し間違えば死に関わる病気なんだから。高齢の方には大ごとなんだよ」
「さすが跡取り娘だね。でもまさか、早海総合病院に来ただけで逢うとは思わなかったよ。いつも来てるのか?」
途端に早海の顔色がくもる。ため息交じりに俯いて、その手の中にある大きな包みに視線を落とした。
「いつも…じゃないのよ。今日は両親にお弁当作って来たんだけど、私内緒にしてたから、さっき看護師さんたちに聞いたらね、忙しいから二人共早めにご飯済ませちゃったみたいで。つい渡せずに、ぼんやり歩いてたの」
「へー…そっか」
早海の家は代々この町で病院を経営してきた、いわば医師の大家だ。詳しくは知らないが、確か両親共に医者でこの早海総合病院を立ち上げ、彼女自身も跡を継ぐのが当たり前とされてるはずだ。実際にも頭は良かったし、これから有名大学の医学部にでも簡単に入るだろう。あまり話した事無かったから、勝手に気取った偉そうな女だと今まで思ってた。
「じゃあ、俺もう行くわ」
慌てて近くのエレベーターへと向かう。所詮俺とは関係のない世界の生き物だ。早く話しを切れば良かったのに、気付けば会話が進んでいる事に自分でも驚いていた。だが、エレベーターまであと数歩のところで声が掛かる。
「あのね、八田君。もうお見舞い終わったのかな」
彼女は思い切ったように言うと、立ち止まった俺の前につかつかと回り込むなり、上目遣いに見つめてきた。 は、早海?…それ、やめて。男共に安易に使えば勘違いのストーカーを大量に産み出しかねないぞ。
「まあ、そうだけど」
冷や汗をかきながらどうにか応える。まだ母さんがばあちゃんの傍にいるけど、とりあえず元気そうだったし、俺はもう飽きたから帰るところだった。早海の必死な表情に気圧される。なっ…んなんだよ、嫌な予感。
「じゃあお昼これからだよね、今から…ピクニックでもしない?」
「はぁ、ピクニック!?」
病院内だというのに、つい声が大きくなってしまった。慌てて口を塞ぐ仕草をしてしまう。通院外来とは違って第二病棟は実に静かなもんだ。たまに患者の車椅子を押す看護師さんや見舞いの人が通りかかる程度で、医者の呼び出しアナウンスも少ない。そして俺の出した声に少し傷付いたのか、早海は口を尖らせて言う。
「だってこのままお弁当持って帰りたく無いんだもん。ピクニックってほどじゃなくて、ほら、近くの大神神社の公園なら木陰があって涼しいと思うし…」
いやいや、まてまて。これ以上の長居は危険だと頭の中で警報が鳴っている。しかし、早海は容赦なくたたみかけてくる。
「ね、付き合ってくれないかな?」
通りすがりのパジャマ姿の男性が振り向いて、にやにやとした視線を俺達に刺してくる。多分、いや絶対に告白現場に居合わせたと思い違いしているのだろう。こんな公衆の面前で告白なんて、若いってのはいいね~等と心の声が今にも聞こえてきそうだ。万が一彼女がここの跡継ぎ娘だと知られたりでもしたら、あっという間に噂が広まるだろうな。そしたらあること無いこと色んな尾ヒレが付いて、ああっ…真相なんて闇の彼方だ。
俺がそんな心配をしてるのなんて早海は気付くはずもなく、さあ、とどめを!とばかりに潤んだ瞳で見つめてくる。ううっ…何とも強烈だ。外は快晴、本日は真夏日、ピクニックなんてしたら熱中症になるぞー!なんて説得したかったが……。
「わかったよ」
俺の押しに弱い性分を知ってか知らずか、彼女は勝利に目を輝かせてにっこりと笑ったのだった。