(短編、怪異譚)あの汽車に乗って……。
牛の咆哮のような汽笛が鳴り響き、小気味の良い音と、ゆっくりと走り出す車両の揺れを感じ始めました。
「おばあちゃん動き出したよ」
と孫の裕太が目の見えぬわたくしに教えてくれます。微笑みながら頷くと、嬉しそうな声を上げた愛孫の――そのぬくもりが右腕一杯に溢れ、わたくしもなんだか嬉しくなりました。
裕太が復刻したこの汽車に乗ろうと言い出した時は正直躊躇し、気が重くなりましたが、愛する孫がそのようなものを吹き飛ばすぐらい忙しく話しかけてくれます。
あの時とは随分違うものです。
それは、戦後まもなくの事です。
その時すでに視力を失っていたわたくしは、両親と共に父方の祖父母の家に向かう途中でした。
楽しい汽車での旅行を思い描いておりましたが、現実は復員者で鮨詰めにされている中、母と繋いでいた手が切れてしまい、心細くしておりました。
発車してから一時ぐらい過ぎた頃の事です。
トンネルに入ったらしく、外の気配が一変し、耳がキンとして参りました。
それを不快に思っていると、坂を登っていた汽車の速度が何故か徐々に遅くなり、そして、完全に動かなくなってしまいました。
どうしたのだろう?
辺りがざわめき出す中、不思議に思っていると、むっとした煙が漂い始め、息が苦しくなり咳がで始めました。
周りからも咳き込む声が重なり聞こえてきました。
徐々に人々がいらだつ気配が膨れ上がって行き「一旦トンネルの外に出た方がいい」という意見に人々が動き出しました。
目が見えぬわたくしはどうしていいか分からず、大人達が乱暴に横を通っていくのが怖くなり、その場で小さくなっておりました。
すると、母様が懸命にわたくしを呼ぶ声が聞こえて参りました。
わたくしは返事をしようと何度も試みました。
母様、母様!
何度も何度も試みました。
しかし、汚れた空気が喉に引っかかり上手く声が出ず、逆に母の声は徐々に遠く離れていってしまいました。
人の気配が無くなりかけた時、急に汽車が後ろ向きに走り出しわたくしの体は床を転げました。
外からは、地獄の釜から漏れ出したかのような、多くの絶叫が聞こえて参りました。
あの時……。
故障した汽車が復旧時の手違いでブレーキがゆるみ下って行き、わたくしを探すために客車から降りた両親も含めて、ほとんどの方が轢かれて亡くなったそうです。
空気が擦る音が聞こえ、あのトンネルに入ったのだと気づきました。すると、裕太の声が徐々に小さくなって行き、代わりに父と母が呼ぶ声が聞こえてきました。
懐かしいぬくもりがわたくしを抱きしめてくれます。
懐かしい、母のぬくもりがわたくしを抱きしめてくれます。
父様、母様、お久しぶりです。
いえ、確かに寂しくはありましたが、さまざまな良い出会いをしてきました。
わたくしは昔に帰ったようにはしゃぎ、固い座席に手をついて足をぶらぶらさせながら話し続けました。
父様の力強い声が前席から聞こえてきます。
母様の心地よい響の声が隣から聞こえてきます。
窓がガタガタ鳴る音と車体の揺れを感じながら幸せ一杯のわたくしは母様の温かい手を伝い、腕を抱きしめながら肩に頬をのせました。
ふと、裕太はどうしたのだろうと思いました。すると、空気を擦る音が解放され、広がる気配を感じました。
「どうして泣いてるの?」
心配そうな裕太の問いに、わたくしはその温かい手をただ、握ることしか出来ませんでした。