声優
俺の妹、叶宮蓮子はインターネット依存症の女子高生だ。
彼女のリアルは電子データの中にある。
これはそんな妹と俺にまつわる、限りなくくだらなくてチンケなエピソードのひとつである。
◇
「んほぉぉぉおおおんっ! らめえええっ! おち××っ! ××んぽ様が私の膣内に挿入ってくるのぉおおおおっ! キスっ! キスしちゃってるっ! 子宮と×ち×ぽ様が世界で一番エッチなキスしちゃってるよおぉおおおお! お××こっ! ×まん×がおち×ち×の形覚えちゃう! 私の身体、あなた専用になっちゃうのおぉぉおおおおん! らめ、私の子宮おりてきてる! もうあなたの子供を孕む準備できちゃってるのぉおおおお! せーしっ! 精子くださいっ! あなたの種で私のこと孕ませて」
「うるせぇ」
「ぎゃひんっ!」
部活から帰ってきて、真っ先に聞かされたのが実の妹の喘ぎ声だった。
直前の友達との会話が思い出される。
お前の妹可愛いよなー、とか。
地味だけどそこが逆にいいよなー、とか。
清楚で全然遊んでなさそうなところがそそるよなー、とか。
おまるに小便垂らしててネット依存症でおま××だのおち××だの連呼してると知れば、奴らはどんな顔をするだろう。
夢を見させるのも可哀想だ、いっそ本性を教えてやろうと思わなくもない。
信じてもらえないだろうからやめとくけどな。
「つーか、部屋に勝手に入んなって言わなかったっけ」
「いわ、れ、まし、たっ」
「じゃあなんで待ち伏せしてんの? ベッドの上に漫画散らかってんの? お前被ってんのもしかしなくても俺のパンツ? ねぇなんで?」
「痛い痛い痛い! ついでに汚い! 謝るからハエ叩きでペチペチすんのやめて!」
蓮子は俺のボクサーパンツを頭から外して、ごめんなさいをする。
自分の部屋で小便するのは良くてハエ叩きで殴られるのは駄目なのか。
基準がわからん。
なんで俺のパンツ被ってたかもわからん。
「若きリビドーが暴発したというかそんなん」
「暴発するのはいいけど兄貴にそれを向けんなよ」
「ということで、うち声優になろうと思うの」
「どういうことだって? お前脈絡って日本語わかるか?」
「ちゅぱ音も練習したんだよ! じゅっ、ずびっ、ずぞぞぞぞぞぞ! じゅっぽ! じゅっぽ! じゅぱ、ずちゅうぅぅぅ!」
蓮子は自分の指をしゃぶりながら不愉快な音を出す。
知ってたけど馬鹿だなぁ、こいつ。
ここ二日ほど部屋から聞こえてきてた奇妙な音の理由がこれか。別のことにそのエネルギーを向けろよ。
やがて酸欠になったようで、指を口から離してあろうことか俺に差し出してきた。
「お兄ちゃん……。うち、濡れちゃった……」
「頬を染めるな、鬱陶しい。お前が一人で自分の唾液で濡らしたんだろうが」
「舐めてもいいよ」
「俺のことを舐めてんのはてめぇだ」
「えー。るろ川さんとかアレグリッドくんだったら絶対舐めるよ。『姫の唾液! 姫の指! ふぉぉぉおお! ペロペロペロペロ!』とか言って」
「誰だよその……るろ川とか、アレグリッドっていうのは。素直に気持ち悪いな」
「うちにネトゲでお金貢いでくれる人」
「…………」
最低すぎた。インターネットの闇を俺は今、目の前で目撃したのだ。
現実ではげらげら笑いながら、ネトゲ界隈で思わせぶりな態度を振りまいている蓮子を想像する。
こいつ、割と外面いいからな。
るろ川さんとアレグリッドくんの、搾取され続けるゲーム人生の冥福をお祈りしよう。
ネトゲに住まう病魔こと蓮子は、主である俺よりも先にベッドに寝転がる。
ぼふんという音がして、開きっぱなしの漫画が飛び上がり、着地の瞬間に折れた。
苛々メーターが溜まる。
我慢だ、我慢。これぐらいのことで腹を立てて、こいつの兄が務まるか。
蓮子はでろでろになっている手を、なんのためらいもなく毛布で拭った。
言うまでもなく俺が今日の夜、被ることになる布団である。
ぶち殺す。
俺が殺意の目線を妹に向けると、蓮子は拭った布団と指とを交互に見てから言った。
「てへぺろっ」
「どうやら死にたいらしいな」
「わー! ごめんごめんごめん! つい自分の部屋と同じだと思って!」
「念仏を唱えろ、愚妹」
「ほんとごめん、すまない、許して! 今のは故意じゃないから! だからアイアンクローやめて! 潰れる! 乙女の顔が潰れる!」
全く、しょうがねぇ。
声の調子からして、本当にうっかりやってしまったらしいので仏の心で許してやる。
「と思ったけど漫画のページ折ったのは故意ってことか? あ?」
「ひぎゃあああ! 小指! うちの小指が変な方向に!」
ひとしきり虐めた後で、これ以上やっても仕方ないので解放する。
なんて妹だ。
こいつの親の顔が見てみたい。
……俺と同じだったな、そういえば。
同じ母体から産まれたかと思うと、とても悲しい。
「で、声優?」
「うん。エロゲ声優」
「なんでエロゲなんだよ。普通のアニメとかでいいじゃん。お前、深夜アニメとか好きだろうが」
「なりやすいと思って」
いろんな方面に喧嘩を売る発言だった。
芥川賞作家になるのは難しいけど、ラノベ作家になるのは簡単だよね的なノリだ。
よくわからんが、そんなことはないと思うぞ。
「まあ、別にいいんだけどよ。なれるもんならなってもらって。でも、なんで声優になりたいんだ? 結構大変らしいぞ、あれはあれで。専業だとあんま金稼げないとかなんとか」
「んー。お金はどうでもいいかな」
あれ。
そうなんだ。
てっきり、ちやほやされて金もいっぱい貰えるから、とかだと思ってた。
さすがにそこまで馬鹿じゃないか。
「うち、人気が出てから『実は処女じゃないよ』ってバラして処女厨を煽りたいの!」
「あ、こんなところにハエが」
「痛い! なんで叩くの!? うちは虫じゃありません!」
「えー」
だってなぁ。
いくらなんでも、動機が不純すぎるしなぁ。
思わず手が伸びちまった。
多分、全世界の処女厨が俺に言ったのだ。
この女をぶん殴れと。
「枕営業で仕事勝ち取りましたって言えばブログとか炎上するかな?」
「枕営業することが前提なのかよ」
「だって常識的に考えて、うちがまともに仕事取れると思う?」
「…………」
ちょっと考える。
意識して聞いたことなかったけど、確かに普通の声だな。
良くも悪くない。
でも、アイドル声優として売り出せば割とイケるんじゃね……?
俺は妹を支持しそうになっている自分に気づき、ぶんぶんと首を振った。
助長させてはいかん。
「……まあ、頑張れよ。俺はお前の夢を応援はしないが、邪魔もしないから」
「うん、頑張る!」
めちゃくちゃいい顔だった。
頑張れ、蓮子。
……エロゲのヒロインが、妹の声で喘いでたら嫌だなぁ。
それから一週間後。
蓮子は、マジでオーディションを受けに行った。
結果はまさかの一発合格。
かくて、蓮子はなんと学園モノに出演することになったのである。
アニメじゃなくて、ドラマの。
エキストラとして。
何のオーディションかぐらい確認してから行けよ。