お正月
俺の妹、叶宮蓮子は知性と理性を母親の胎内に置き忘れてきた女だ。
あいつの右脳も左脳も、ただ本能にのみ忠実でありその他のことには一切頓着しない。
これはそんな妹と俺にまつわる、限りなくくだらなくて謹賀新年なエピソードのひとつである。
◇
朝起きたら目の前に肌色のおかしなものがあった。
しかも超密着、もはや触れ合う寸前。そしてほのかに臭い。
具体的になんなんだよっていう話だが、おかしなものとしか形容できない。
いや、マジでこれ何? 近すぎてわからん。
なんかこう、肌色で、縦に細長くて、しわみたいなのが走ってて……。
寝る前の記憶を思い出してみても、こんなものを設置した記憶はどこにもない。
なるほど、俺は理解した。
これはまだ夢の中だ。そうと決まれば「ンぁッ……」
なぜかどこぞで聞いたような耳障りな喘ぎ声がした。まだ肌寒い冬の朝のため、背筋に寒気と怖気が走ったのは仕方がないことだろう。今起きている現象とは全く関係ない。
まあ夢だからな。どうでもいいや、また眠りに落ち「あっ、ふン……」
………………。
「おら」
「おごぁッ!? ひーっ! ひ――――――ッ! ノー! ノーノーノー! アウチ、ガッデム、オォアアア……!」
謎の物体にヘッドバッドをかましたら、妹が俺の部屋で足を抑えて転げまわっていた。すげぇな、我ながら文章に因果関係が微塵も感じられない。
人は予測できる痛みには耐えられても、突然来る痛みには耐えられないと誰かが言ってたっけ。
「よし、寝るか」
「いやいやいや。新年一発目から妹に暴力振るって、見て見ぬフリはひどくない? せめて反応を示してよ、いくらうちでも傷ついちゃうよ」
「新年一発目の朝から足の裏を兄貴の顔に張り付けてくる妹は酷くないのか? あん?」
「興奮した?」
「逆にする奴いると思うか?」
「うちはしたよ。お兄ちゃんの寝息、くすぐったくて……。感じちゃった、ポッ」
ええい頬を染めるな赤面するな荒い息を吐き出すな気色悪い。大人しく寝てろよ正月だぞ、1月1日だぞ。
くそ、仕方がない。こいつの凶行ですっかり目が覚めてしまったし、起きるか。今年も寝正月ができると思ったんだがな。
そこまで暗くもないが、新年だしとりあえず電気をつけることにしよう。枕下にあるリモコンを操作する。
明るくなった部屋の中に人間大の鏡餅があった。
上に乗っかってるみかんが喋る。
「か、可凜と」
「蓮子の!」
「爆笑マシンガンショートコント!」
うわぁ。
なんか始まったよ……。
最後の台詞ちゃんとハモってたし、練習したのかよこれ。世界一無駄な時間を過ごしてるな、こいつら。部活とか恋愛とかゲームとか、やることいくらでもあるだろうに。
よし。俺はテレビのリモコンを手にした。
「ねーねーナスちゃん」
「なぁに、蓮子ちゃん?」
「『ひざ』って10回言ってみて?」
「いいよー。ひざひざひざひざひざひざひざひざひざひざ!」
「私は?」
「デブ」
「ンだとコラ」
奈良須の頭が蓮子の容赦ないツッコミでぶっ飛んでいった。
よく見たら飛んでったのはみかんの被り物の部分だったので、命に別状はないだろう。でも頭を抑えてうずくまってるので、平気ではなさそうである。
そもそもこれは厳密にはコントじゃないし、加えてどこらへんがマシンガンだったのかとも思うんだが、まあいうのも野暮だしやめておこう。とにかく奈良須は涙目である。
「うぅ……。酷いよ蓮子ちゃん、台本通りにやったのに」
「ご、ごめんごめん。ちょっと力加減を間違えちゃって」
いや、『ピザ』っていうところをついストレートな言葉が出た、とかじゃなくて普通に台本通りなのかよ。笑いのために自らの身体的特徴をネタにしてくるとは、我が妹ながらあっぱれだぜ。
どうやら痛覚から復帰したらしい妖怪鏡餅女、改め奈良須はこちらを見て赤面している。でも顔を黄色く塗っているので、なんかオレンジ色っぽくなってて非常に気味が悪い。こいつも黙ってれば割と美人なのになぁ。
「あ、あれ? 蓮子ちゃん、叶宮先輩ちょっとヒいてない?」
「いやいやそんなわけないでしょ。お兄ちゃん、大爆笑だったよね?」
「アハハハ」
「無視して正月特有のお笑い番組見てんじゃないよアンタは」
「えー? いや、だってなぁ」
「折角可愛い妹と可愛い後輩が初笑いを提供してあげたというのに! 全く失礼なお兄ちゃんだなー、ぷんすこすこぷん」
「お、面白くなかったですか……?」
ウッ。奈良須に懇願されるような視線を寄越されると強気に出れない。
こんなんでも、俺の貴重な青春枠なのだ。
「ま、まあつまんなくはなかったかな」
「わぁ、本当ですか!?」
「やったね、ナスちゃん! これで弟君の無事は保証されるよ!」
「良かったぁ……」
露骨に安どのため息を漏らす奈良須。まるで身代金を要求する誘拐犯が無事捕まったみたいな表情だ。
なんだ? 一体俺が知らないところで何が起こってるんだ?
疑問に思っていると、蓮子が俺の方を向いてきた。
「どうしてもお兄ちゃんに初笑いを届けたかったからね、うちも鬼になったんだよ」
「詳しく」
「お兄ちゃんのご期待に沿えなかった場合、ナスちゃんの弟くん(彼女持ち)の童貞をうちが食い散らかします」
「オイマジでやめろ家庭崩壊を招くような真似だけはだな」
「ちなみにお兄ちゃんのご期待に沿えた場合、ナスちゃんがお兄ちゃん(彼女いない歴=年齢の喪男、趣味はギャルゲー雰囲気イケメンのなりそこない今年のクリスマスもリアルでは一人で過ごした永遠のヘタレ野郎)の童貞を食い散らかすことになってます。おめでとう!」
「かっこの中身はこの際置いといてだな、そういう冗談はお前だけにしろよ。奈良須が困って……」
……ん?
なんか生温かい息がかかってきてるぞ?
何故か某冒涜的なTRPGを想起させるような、捕食者に目を付けられたかのような感覚が脳髄に警鐘を鳴らす。
振り向くな。
振り向いてはいけない。
だが、しかし。このままじゃ。
俺は意を決しそーっと、そーっと振り向くと――発情みかんヘッド。
「はぁ、はぁ……叶宮先輩……」
「おまっ……やめっ……!」
「いけいけやったれ! ドスケベ可凛ちゃん、今こそそのドスケベボディでお兄ちゃんをぶち墜とせ!」
「せんぷぁぁぁぁああい! 愛しておりましたぁぁぁあああ!」
「ぎゃ――――――! 犯されるゥゥううう!」
「脱がせ脱がせ! ナスちゃん上半身はぎ取って!」
「こんなところで蓮子ちゃんに勧められたモ×ハンの経験が活きるなんてね!」
「待てお前、コラ! ふざっけ……!」
「ひっめはっじめっ! ひっめはっじめっ!」
「アッ――――――――!」
後日。
奈良須が菓子折りをもって謝りに来ていた。
どうやらあの日のことを覚えていないらしく、しきりに頭を下げて謝っていた。俺もあまり覚えてない。
なんでも話を聞くと、あの日は2人で初詣に行き甘酒をしこたま飲んだ後だったらしい。2人とも妙に顔が赤いとは思ったんだよな。
調べてみてわかったが、甘酒でも本当にアルコールが駄目な奴は酔うこともあるらしい。ウィキペディア調べなので、本当かどうかは定かじゃないが。
ちなみに誤解の無いように言っておくが、俺は貞操を守り抜いた。
代わりに家の階段についてあった手すりがぶっ壊れ、俺は親父に三発ほど殴られたが、悔いはない。
俺はかけがえのないものだけは、守り通したのだから!
なぜか悲しい。
……今年こそ、彼女を作ろう。まともな。




