おむつ
最近、俺の妹である叶宮蓮子はおかしい。
ちょっと前までは普通にお洒落して、友達と遊んで、彼氏もいたはずなのに。
今では学校に行く時以外はずっと家に引きこもってのネット三昧だ。
思えば、高校に入学する少し前からその兆候はあったと言える。
あまり外に出歩かなくなったし、彼氏がこの家を訪れる回数も減っていた。そもそもあまり彼氏ってのを作ってないみたいだったし。
けれど、ここまで極端な変化はつい最近のことである。
不思議に思った俺は、意を決してその要因を聞くことにした。
深夜、両親が寝静まった時間帯に俺は行動を開始する。こんな時間にも関わらず、やはり妹の部屋には明かりがついていた。前だったらボーイフレンドとよからぬ行為をしているのかと邪推するところだったが、十中八九ネトゲをしているに違いない。
夜更かしを咎めるついでという体で、最近の行動についての理由を追及することにしよう。
とりあえず、礼儀上の問題として妹の部屋にノックを試みる。
トントン。応答なし。
もう一度、今度は3回叩いてみるもやはり応答なし。
寝ているのだろうか?
だとしても、ちゃんとベッドで寝ないと風邪をひいてしまうかもしれない。
俺はやや後ろめたい気持ちを抱きながらも、無音を心がけてそろりと部屋のドアを開け放った。
妹がおむつを履いていた。
「はぁ、はぁ、はぁッ……!」
なんという衝撃。なんという背徳。俺は思わず、溢れ出る冷や汗と荒々しい吐息を抑えられない。
どうやら蓮子はヘッドフォンから流れる音声に耳を傾けているみたいで、未だ俺の侵入には気づいていないというのが救いである。
真偽はともかくとして、妹のおむつ姿に動悸している兄貴というのはどう考えても絵面的にヤバい。ヤバすぎる。逮捕されても文句は言えない。
おむつ。
それは排泄物をキャッチするために着用する、布や紙でできた白いアレを示す。主として、赤ちゃんや高齢者に使われることは誰しもが知っていることだろう。けれど俺の妹は赤ちゃんではないし、高齢者でもなければ痴呆でもない。そのはずだ。
俺の妹、蓮子は客観的に見れば黒髪ロングの清楚系美人にも感じられる女子高生だ。
目は大きくクリッとしていて、肌にも唇にもハリがある。
高身長のスタイル良しで、大人っぽい美少女だと俺のクラスでもファンが一定数いるぐらいの器量だ。
制服時以外でも、流行りの様々な服装を家やプレイベートで披露している――はずなのだが、最近はピンクの趣味が悪いジャージが多い。自宅では髪型だってゴム一本で縛った、簡素にまとめたポニーテールだ。
その妹が。
なんか背中をポリポリと掻きながら、下着におむつという姿で机に座り、パソコンの画面を熱心に見つめている。
そして恐るべきことに、蓮子が履いているおむつには黄金色の染みができていた。
「…………」
オウ、マイゴッド。
なんてことだ、この世は悪意で満ちている。どうか俺に救いをください。
さっきから少し部屋が臭いと思っていたが、その正体がこれだなんて酷い結末だ。よくよく辺りを見渡せば、何も入っていないペットボトルもあるが、それは見なかったことにしよう。多分捨てるのが面倒臭くて置いてるだけだよな、うん。
あまりのことに面食らいながらも、俺は当初の目的を思い出す。
こんなことになってしまったが、いやこんなことになってしまったからこそ、俺は蓮子に質問を投げかけなければならないのだ。
俺は勢いよく、妹の頭に装着されているヘッドフォンを引っこ抜いた。
「どひゃ――――――――っ! なななななななにごとぉぉおおお!?」
「うるっせぇ! 親が起きるだろうが!」
「あ、なんだ、お兄ちゃんか。こんばんみ」
「なんだじゃねぇ、こんばんみじゃねぇ。何してんだよお前」
妹は、PCの画面を顎で示す。
「ネトゲですが」
「そうじゃねぇよ。お前が履いてるのは何かって聞いてんだ」
「おむつ!」
うわぁ。
即答しやがったぞ、こいつ。
いくら実兄の俺でも擁護できない。
ドン引きだわ……。
もういい、その話題はよそう。
話せば話すほど俺の心が病んでくるだけだ。
さっさと本題だけ話して寝よう、明日も学校がある。
「……お前、なんで最近引きこもってんの?」
「ヤだなー、ちゃんと学校には行ってるじゃん。ちょっぴりネトゲにハマっちゃっただけだよ」
「ちょっぴりハマっただけの奴は排泄の時間も惜しんでゲームをしないと思うんだが」
「えー。わざわざボスと戦ってる時に、1階のトイレになんて行ってたら死んじゃうよ!」
「社会的に死ぬよりマシだと思うんだけど……」
「チッチッチッ。お兄ちゃん、甘いね? うちらの世界は一分、いや、一秒を争う世界なんだよ!」
だからといっておむつを履いてもいい免罪符にはならないと思うのだが。
いや待て、別におむつは履くのに許可がいるものではない。家でつけている分にはセーフではないのか? 確かに俺もゲームをしている時、トイレに行くのは鬱陶しく感じるし……。
「なんて思ってたまるか。結局話題戻ってるし」
「ぐえっ! やめて! 乙女の髪を引っ張らないで!」
「いやだってよ、蓮子。いくらなんでもおむつは無くない? その、色々とさ」
「なんで? すっごく便利なのに。おむつを履いていると、トイレに行かなくてもいいんだよ! いやぁ、これは天才的発明」
変態的発想の間違いだった。
何いってんだこいつ? 頭沸いてんのか?
「俺は利便性の話をしてるんじゃなくて、常識とか世間体とかの話をだな」
「あー、わかった! お兄ちゃん、うちの使用済みおむつが欲しいのかな?」
「えっ、キチガイか何か? 精神病院行く?」
「嘘だってば、冗談冗談。いくらお兄ちゃんでも、そんなに変態じゃないよねー。お兄ちゃんは好きな子のおしっこ直飲み派だもんね」
「ぶっ飛ばすぞコラ」
蓮子は俺の暴言もどこ吹く風で、ようやくネトゲからログアウトしパソコンの電源を落とした。
コントローラーを机に置いて、あくびを一つ。
それから立ち上がり、無地の黒いスウェットを上半身に纏った。
「あー、面白かった。お兄ちゃん、寝ないの? もう3時だよ」
何事もなかったかのようにして流されると、つい自分の常識を疑ってしまう。
俺がおかしいのか? まだこいつおむつ履いてるけど、突っ込んじゃいけないのか? とりあえず今からおむつは脱ぐんだろうが、その処理とかどうするんだ?
…………。
いや、もういいか。
俺の妹は、俺の知る常識からはかけ離れたところに登って行ってしまったのだ。
もう、何も言うまい。
なんだか俺も疲れた。
「……あぁ、寝るかな。じゃあな、蓮子。遅刻しないようにしろよ」
「ありがとー。あれ? 一緒に寝るんじゃないの?」
「くっせぇんだよお前の部屋」
「ちょっ、ひっど! 実の妹に向かってくさ」
バタン!
俺は有無を言わさず、台詞の途中で蓮子の部屋のドアを閉めた。
臭いものには蓋をするのが一番と、昔から言うからな。
翌日のこと。
俺は学校に遅刻した。
言うまでもなく、変な時間に奇妙な光景を見てしまい、中々寝付けなかったからだ。
妹は遅刻しなかった。
なんでも、学校でたんまり寝ていたらしい。
俺は世界を呪った。
「俺の妹が、最近おむつを履き始めたんだが。」はこれにて終幕となります。
読んでいただき、ありがとうございました。
当初の予定では5万字程度、春~夏の話をやって終わりというつもりだったのですが、予想以上に多くの方に読んでもらえてテンションが上がった結果がこちらとなります。最終的には春~夏休み終了、秋のはじまりまでという形になりました。
また季節ごとになんか書いたり(本当はバレンタインとか、時事ネタをもっと書きたかったです)、ネタが浮かんだら書いたりするかもしれません。
その時はまた、こんなくだらない話でよければ読んでいただければありがたいです。それでは!




