花火
俺の妹、叶宮蓮子は羞恥心その他もろもろを捨て去り、ネトゲでの強さを手に入れた女だ。
本当にそれでいいのか、現役ピチピチのJKよ。
これはそんな妹と俺にまつわる、限りなくくだらなくて火花散るエピソードのひとつである。
◇
部屋で野球を見ながら焼き鳥を食っていると、唐突に勢いよくドアが開いた。
時刻は夜の8時半を、少し回ったところ。こんな時間に人の迷惑も考えずにけたたましい音を立てて突撃してくる動物は、俺の家では一匹しか飼っていない。
「ヘーイお兄ちゃん、何してんの?」
「焼き鳥食いながら野球見てる」
「くたびれた仕事帰りのおっさんかな?」
「うるせーよ。なんか用か? 俺は巨人のためにも命がけで応援しなきゃならないんだが」
「えー。野球なんて見て何が面白いのぉ? うち的にはあんまりイケてませんぞ? 試合の時間長いしー、ルールわかりにくいしー」
「じゃあお前的には何がイケてんだよ」
「えーっと…………相撲」
まあ、確かに試合時間も短いしルールも単純明快だが。
でもこいつが相撲なんて観戦してるの見たことないぞ。絶対今考えただろ。
「じゃあ相撲の何がいいんだよ」
「あれ、お兄ちゃん知らないの? 最近相撲女子って言って、力士萌えの女の子が増えてるんだよ?」
「嘘つけ、いくら俺でも騙されんぞ」
「ほんとだって、これ見てよ」
言って蓮子はいつの間に用意したのか、スマホの画面をこちらへと向けてくる。そこにはニュースサイトの記事が羅列してあった。なんか他にも蓮子がデカい袋を持っているが、触れると嫌な予感がするのであえてスルーしておく。
えーっと、何々?
『相撲に熱狂する女性ファン急増中!』、『最近増えてる"相撲女子"。その魅力とは?』、『"相撲女子"増加の秘密に迫る!』。
…………。
驚くことに、本当だった。
なんか歴史女子とか理系女子とか一時期流行ったが、これもそんな感じなのだろうか。
世の中には俺の知らないことが沢山あるらしい。知りたくもなかったが。
「えっと、こいつらはデブ専なの?」
「さりげなく多方面に喧嘩を売っていくお兄ちゃんのスタイル、うちは嫌いじゃないよ。なんかあれらしいですよ、土俵での顔と土俵外での顔とのギャップ萌えみたいな」
「ほう。じゃあ蓮子は、どの力士が好きなんだ?」
「ハァ? 好きなわけないじゃん、あんな臭そうな肉の塊」
「やっぱり嘘八百じゃねーか」
「ぐふぉぉおお……っ! 貴様、よくも我が脈打つ漆黒の血心を……!」
蓮子は俺に引っぱたかれた頭を押さえながらに蹲る。お前の心臓はつむじのところにあるのか。どんな超生物なんだよ、弱点丸出しじゃん。
とりあえず、全国の力士およびその見習いの方々には心の中で謝っておくことにしよう。無礼な妹ですいません。俺は本気で言ったわけじゃないので許してください。かしこ。
「あ、お兄ちゃんがさり気なく自分の責任を逃れようとするズルい目をしてる」
「なぜ分かったし。つーか復帰早いな」
「フッ、うちに一度見た技が二度も通用すると思わないほうがいいよ」
「そういうのいいから。で、結局お前は何をしに来たんだよ」
「お兄ちゃんと性的な意味でアツい夜を過ごそうと思って。お兄ちゃんの夜の剛速球、うちのキャッチャーミットにズドンしてほしいな……」
「帰れ」
「わー! 嘘だってば! 冗談です! まるでサッカーボールを扱うようにして妹を蹴りだすのやめて! ドアに向かってシュートしないで! お尻! お尻に穴が開いちゃう!」
「1つ開いてんだから、もう1個開いたっていいだろ。大は小を兼ねるって言うしな」
「兼ねないよっ! 兼ねてたまるかっ!」
蓮子はツッコミをいれながらも立ち上がり、先ほどから死守していた角ばっている大きな包装を見せつけるようにして突き出してくる。
『夏の思い出花火デラックスセット』と書かれている、なんともありがちな花火セットだ。中身がカラフルでチープな雰囲気を醸し出しているが、量はそれなりにある。いや、それどころか家族でやっても余るんじゃないかと危惧するぐらいのものだった。
「じゃーん、花火」
「どうしたんだよ、これ?」
「去年彼氏から貰ったけど、やる前に別れた奴」
「重いわ」
なんかその元カレとやらの涙でしけってそうだな。
可哀想に、蓮子とやる花火を楽しみにしてただろうに。今からでもできることならば代わってやりたいぐらいだ。むしろお願いだから代わってくれ。
「ということでお兄ちゃん、花火をやりましょう!」
「えー。面倒臭ぇな」
「やーろーうーよー。はーなーびー」
「ええい、くっつくな暑苦しい!」
「やるって言ったら離れるもーん」
俺の足に絡みつき、懇願してくる蓮子。
忘れてはならないのが今が真夏であるということであり、お互いに薄着であることと夜であることを差っ引いてもめちゃくちゃにむさ苦しかった。特に今日は蒸し暑い気がするしな。
そのまま数十秒間、俺たちは押し問答を続けたが、蓮子が離れる気配は全くない。
鈴里や視覚文化研究部の連中が見たらさぞかし羨ましがるだろうが、やってるこちらとしてはたまったもんじゃなかったりする。妹に甘えられて嬉しがる年頃は、もうとっくに卒業しているのだ。
「お兄ちゃーん、あーそーぼーうーよー!」
じたばたする俺を、離すものかとくっついてくる蓮子。
……仕方がない。もうそろそろ疲れてきたし、提案に乗ってやるか。どうせこいつは折れないし。あまり気は進まないが、これも兄貴の務めだ。
考えてみれば、花火なんて観賞はしても、やる方に回るのは久しぶりだから案外楽しいかもしれない。相手が妹じゃなかったら、もっと乗り気になるんだがなぁ。
ないものねだりをしても仕方がないので、結局先に折れた俺は蓮子の望むような返事をした。
「わかったわかった、じゃあやるか」
「……およ、ほんとに?」
「嘘ついてなんになるんだよ」
「よっしゃー! じゃあうち、準備してくるね!」
蓮子は諸手をあげて万歳した後、パタパタと部屋を出て行ってしまった。
うーむ。
あれだけ喜ばれると、俺としても嫌な気持ちはしなかったりする。
大事に抱えていた花火セットを、結局忘れていくところが実に蓮子らしいな。
「バケツと水よーし!」
「おう」
「チャッカマンよーし!」
「おう」
「虫よけスプレーよーし!」
「おう」
「ロウソクよーし!」
「なんか赤いからこれSMプレイに使うやつなんじゃないかと思わなくもないけど、まあいいや。おう」
「花火よーし!」
「うん、ちょっと待ってほしい」
俺が手に握るのは、いわゆる普通の手持ち花火である。ひらひらとした紐がついてて、そこから何十秒か色のついた火が噴き出るアレだ。
対して、蓮子。
その手には、数本のロケット花火が握られていた。
そしてそれは、あろうことか俺に向けられている。
「おい馬鹿」
「馬鹿とは失礼な。可愛い可愛い蓮子ちゃんに何か質問ですか?」
「ここの注意書きを読め」
「えーっと、『ロケット花火は手に持ったり、人や車などに向けたりは絶対にしないでください 』……これが何か?」
「何か? じゃねぇよ。お前今向けてるよな? 思いっきり人に向けてるよな?」
「人じゃなくてお兄ちゃんなのでセーフ。点火ぁっ!」
「アウトだボケぇぇえええっ!」
家の庭に、ご近所様の迷惑を顧みない絶叫が響く。
こいつ、マジで点火しやがった。
くそ、なんてやつだ。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまで見境ない馬鹿だとは!
そんなことを考えている間にも、蓮子が手に持つロケット花火はシュウシュウと音を立てている。もう発射寸前といった感じで、今にも火を噴きそうだ。
ヤバい。射線上から逃れなくては! 俺は蓮子の魔の手から逃れようとダッシュを試みる!
「ふははははは! 日頃の恨み、今こそ晴らしてやるわぁぁああ!」
「てめぇ、まさかそのために花火を!?」
「今更気づいてももう遅い! 食らえ、魂ごと焼き尽くす業火を! 消滅極光炎熱波ゥッ!」
「うわぁぁあああっ!」
その瞬間、蓮子の手に持つ花火が一斉に弾けた。
そして炎が――俺の方向に、飛んでこなかった。いや、正しくは思ったほどの本数が飛んでこなかった。1、2本飛んできただけで、しかも身動きせずとも命中はしない。
残りは全部あらぬ方向にぶっ飛んで行ったり、逆に蓮子のいる地面に向けて飛んだりしている。
「うわっちゃっちゃっちゃあっ!? な、なんだとッ!? 我が魔力が暴走を起こしたというのか……ッ!」
弾ける火花の中で身悶える蓮子。
……まあ、なんというか、あれだ。
ただでさえ手持ちロケット花火なんて危ないのに、あまつさえ走り回るからそういうことになる。
もしくは、世の中は自業自得であると、そういうことだろうか。




