バイト
俺の妹、叶宮蓮子はネット中毒の半引きこもりだ。
もはや二次元の中に生きている存在といってもいいぐらい。
これはそんな妹と俺にまつわる、限りなくくだらなくてどうでもいいエピソードのひとつである。
◇
放課後。
部屋で寝転がりながらスマホのゲームをしていると、突然ドアが開け放たれた。
何やら青い表紙の雑誌を手にした妹だった。
服装はいつものだが、謎にツインテール。
ホワイ。なぜ。
「お兄ちゃん、うちバイトしようと思うの!」
「そうか勝手にしろあとノックなしで入ってくんな」
俺はドアを閉めた。
平穏が帰ってくる。
部屋の外で害虫が喚いているようだが無視しよう。
そろそろ夏だしな。沸いてくるのは仕方ない。
「お兄ちゃん、うちバイトしようと思うの!」
「そうか良かったなだが俺にできることは何もないんだすまん」
俺はドアを閉めた。
再びゲームの世界へと入り込む。
クソッ、課金厨が強い。だが俺だって無課金としての意地があるんだ、負けるかよ。
「お兄ちゃん、うちバイトしようと思うの!」
「帰れ」
俺は扉を閉めた。
昨日買った漫画を読もうと、本棚をあさり始める。
あれ、この世界無限ループしてね?
「お兄ちゃん、うちバイトしようと思うの!」
「しつけぇぇぇえええええ!」
「叶宮蓮子はお兄ちゃんのことを思うと胸が苦しくなってバイトしたくなっちゃうの」
「文脈が行方不明だ!」
「既刊四巻、絶賛発売中」
「そのラノベは絶対に流行らないし流行らせない」
「お邪魔しまーす」
巧みな話術に引っかかってしまった俺は、ついつい妹を部屋の中へと招きいれてしまう。
蓮子は俺が寝ているベッドに飛び込んできて、無断で横へと居座る。
手に持っていた雑誌をぺらぺらめくり、目を輝かせた。
どうやら求人誌みたいだな。
俺も後で読ませてもらうとしよう。
そろそろ無課金も辛いと思い始めてきたところだ。
「お兄ちゃん、どれがいいと思う?」
「そうだな、これなんていいんじゃないか。女性が大活躍中の職場。喫茶店。簡単なお仕事です。時給は2000円から」
「おっけー!」
「待ってやめてごめんこれに関してはいくらなんでも俺が悪かった」
明らかに風俗関係ですって書いてあるようなその求人。躊躇わず電話しようとする妹を、力ずくで止める。
危ないところだった。もし俺が薦めたって親にバレたら、半殺しでは済まないだろう。
俺と蓮子の通う高校は公立で、頭は悪くないはずなのだが。
こいつ裏金でも使ったのか?
いくらなんでもアホすぎる。いや、純粋すぎる。
でもそんなところがあるから、蓮子は憎めないんだよなぁ。
「ちぇっ。母さんにバレたら、お兄ちゃんにやれって命令されたって言おうと思ってたのに」
「悪魔の子だよお前は」
一瞬でも信じた俺が馬鹿だった。
おのれ、蓮子め。小細工を弄しおって。
「ところで、なんで今更バイト?」
それは割りと本気で気になるところだった。
俺は弱小ではあるものの、一応バスケ部に所属している。だが蓮子は高校に入ると同時に今の生活を送るようになったので、部活動も何もしていないのだ。
何もする気がないと思ってた。
パソコン弄ってれば幸せなんだとばっかり。
「お金が欲しいから」
「まあ、それはわかるんだけどよ。何に使うんだ?」
「課金厨を更なる課金でぶっ殺す」
忘れてた。
俺とこいつ、兄妹だったな。
思考回路まで似るとは驚きだ。
同時に、自分自身が先ほどまで抱いていた感情に羞恥を覚える。
こいつと遺伝子レベルで繋がってるのか……。
おまるで小便するような奴と……。
「ちなみに、どういう系のバイトがいいんだ?」
「えーっとねぇ。時給がよくてー」
「ふむ」
「人と話さなくてもよくてー」
「ふむふむ」
「全然キツくなくてー」
「ふむふむふむ」
「自分の都合のいい時間にだけ働けてー」
「…………」
「頭を使わないバイト!」
「蓮子」
俺は、妹の肩に掌をポンと乗せた。
そして、これ以上ないほどの慈愛の笑みを向けてやる。
「そんなバイトはこの世のいかなる場所にも存在しない」
「な、なんですとぉぉおおおお!?」
と、大げさなリアクションを浮かべる蓮子。
その後で、ケロリと元に戻った。
「はーぁ。そりゃそーだよね。うちが間違ってたよ、お兄ちゃん」
うん、わかってくれたならそれでいいんだ。
でも、それよりも人生の舵取りを間違ってるから早く直せ?
今ならまだ間に合うぞ?
「よし、じゃあここは二人で苦労を二分割する作戦でいこう!」
「え、嫌だよ面倒臭い」
「なーんーでー。一緒にやろうよー、お兄ちゃーん」
俺の腕にしがみついて、協力を求めてくる妹。
それを振りほどこうとするたびに、ツインテールがぶんぶんと揺れた。
最初からこの展開が狙いだったのだと思う、おそらくは。
……反射的に、嫌だって言っちまったけど。
俺だって課金したいし、曲りなりにも話す相手が職場にいるってのはいいよな。
部活の練習なんてほとんど無いし、軽いバイトならやってみてもいいかもしれない。
「やーろーうーよー。お兄ちゃーん、お願いだよーぅ。一緒に働いておくれよー」
何度目かの懇願。
妹は、やはり俺から離れようとはしない。
うーむ。
こいつも結構真剣にバイトをやりたいとは思っているみたいだし、ここは一つ兄として付き合ってみるか。
蓮子の甘ったるい声につられるようにして、俺は返事をするのだった。
「しょうがない、やってやるよ」
「えっ」
「なんだよ、嫌なのか?」
「ううん。……嬉しい、お兄ちゃん!」
まさか本気で俺が考えてくれるとは思っていなかったのだろう、蓮子はその表情を太陽みたいに晴れやかにした。
俺も便乗して、笑顔をつくってみる。
まあ、たまにはこういう展開があってもいい。
なんとなしに深まったように感じられる、兄妹の絆とでもいうべきものをかみ締めながら。
俺と蓮子は、すぐに履歴書を書き始めるのだった。
……そういえば、なんでツインテールだったんだろう。
その三日後、俺たちはコンビニの面接を受けに行った。
あれだけ盛り上がっておいて、どちらかが採用でどちらかが不採用だったらどうしよう。そんな冗談を言い合っていたのだが、結果はどちらも合格。
俺と蓮子の、二人三脚でのバイト生活が始まることと相成った。
と思っていたら、俺らの高校はバイト禁止だった。