半裸
俺の妹、叶宮蓮子は偏差値、および顔面偏差値で学内ヒエラルキーの上部に君臨する女だ。
とはいえ完璧な人間なんていない、そんな言葉を裏付けるようにして彼女は日々俺を多方面から困らせていた。
これはそんな妹と俺にまつわる、限りなくくだらなくて呆れるエピソードのひとつである。
◇
「おーい、蓮子。借りてた漫画、返すぞー」
放課後、俺は妹の部屋の前にいた。
言葉と共にノックをしてみるが、返事はない。
おかしいな。
電気はついてるし、大体いつも引きこもってるんだからいるだろうに。
ついさっき、部屋の中から大きな音が聞こえた気もするんだけどな。
もう一度、ノック。
やはり声は返ってこない。
もしかしたら、本当に不在なのかもしれなかった。一瞬のすれ違いでコンビニとかに出かけたのかも。
まあそれならそれで、漫画だけおいておこう。
そう思って俺は、若干の抵抗を覚えながらも部屋の扉を無許可で開ける。
蓮子はいた。
否、正しくは倒れている。
ベッドの上ではなく、床に突っ伏していた。
一瞬、血の気が引いた。
『市内女子高生、自分の将来を憂いて自殺か』、『ネット依存症の女子高生、現実世界とのギャップに耐え切れず自ら命を絶つ』。
そんな新聞の見出しが頭をよぎったが、どうやらそれは流石に杞憂だったようだ。
蓮子の周りに血とかの痕跡はないし、何よりその身体が僅かに動いている。
寝たフリをしているようだが、これじゃバレバレだ。
いや、これはもしかして俺を試しているのか……?
そこまで思い至った俺は、改めて状況を確認する。
まず、蓮子の様子を検分しよう。
妹は半裸だった。
……いやいや、冷静に考えてみるとまずこの時点でおかしいな? なんか蓮子が何してようがあまり気にしなくなってたけど、ぶっちゃけこれは異常事態だな?
する意味があるのかよくわからないブラと、パンツだけである。
今日はオムツじゃなかった。
そこだけ安心する。ちょっと待て、この安堵もおかしい。毒されすぎだ、俺。
そして、やけに複雑なポーズをとっていることに気付く。
腕は奇妙に捻じ曲がり、身体の前で交差……しているのだろうか、あれは。どういうわけだか、小指が両手ともに立っていた。多分こいつ、カラオケとかでもマイク握ったとき自然と小指だけ立つタイプだな。
左足はくの字に折れ曲がり、その足裏はこちらを向いている。右足はといえばへの字に折れ曲がっていて、要するになんというか、ケツが丸見えだった。
綺麗なケツしてるだろ。
ウソみたいだろ。
俺の妹なんだぜ。これで。
部屋の隅を見ると、なにやら大きな球体がある。
水色で、弾力性がある感じに見えた。
実物を見たことはないが、いわゆるバランスボールというやつではないか?
この間、家にずいぶんと馬鹿デカい荷物が届いていたと思ったがこれか。
半裸で倒れている蓮子。
奇妙きわまる姿勢。
横に置かれたバランスボール。
最近増えたこいつの体重。
俺が部屋に入る直前に聞いた大きな音。
謎は、全て解けた!
「蓮子、もう寝たフリなんてしなくていいんだぜ。白々しい」
「…………」
「あくまでもしらを切るつもりか。じゃあいいぜ、言ってやる。お前はずばり、バランスボールでダイエットをしていたら、体勢を崩してこけたんだ。そして偶然にも面白いポーズができたから、誰かにそれを発見してもらいたがっていた! 俺が部屋に入ってきたとき、お前は心の底でほくそ笑んだだろうな。半裸であることもダシにして、また俺をからかおうって腹だったんだろう? けど、俺は突っ込みを入れるわけでも近寄るわけでもなく、ただ息を呑むだけだった。そこでどのタイミングで起き上がればいいかを計り損ねたお前は、未だにそこで突っ伏しているんだよ!」
「……おにっ、ぃ、ちゃん」
「負けを認めるか、蓮子?」
「っはぁ、足捻って、立てないから、起こして……っ!」
「うおぉぉあ!? だ、大丈夫か蓮子っ!」
なんてこと。
全く持って勘違いだった。
俺は苦しそうに脂汗を流す蓮子に近寄り、その身体を抱きかかえ介抱するのだった。
「お兄ちゃん、助けてくれてありがとう」
「……はい」
「でも、うちはちょっぴり残念です。すごく文句を言いたい気分です。わかるよね?」
「はい……」
「お兄ちゃん、ごめんなさいは?」
「ごめんなさい」
「すいませんでしたは?」
「すいませんでした」
おおよそ、15分後。
左足に湿布を張って、軽い包帯を巻いた蓮子はベッドの上に座っていた。
俺はそれを見上げるような形で、正座をしている。
なんたる屈辱。
確かに俺も悪い、いや、俺が悪いけど。
狼少年が突然本当のことを言っても、誰も信じなかったんだぜ?
普段の蓮子の言動を考えると、あの対応は仕方がないのでは。
「おやおや、なんだねその反抗的な目は?」
「……んなことないッスけど」
「ククク、どうやら反省が足りないようだな? 呪われし慟哭の異名をとる、魔族の王たる妾に対して無礼きわまるその態度。野良犬にも劣る身分で、なんとも生意気なことよ」
「あれ、お前聖なんたら王国のなんとかじゃなかったっけ」
「いや、うちそっから堕天したっていう設定だから」
「急に素に戻られても」
「ほれ、いいから黙って足を舐めろ。俗物め」
「調子に乗んなよ」
俺は立ち上がり、いつものようにして突っ込みをいれようとして。
その前に、蓮子がなよなよとした動きでベッドにしなだれていった。
いや。
俺、まだ何もやってないんだけど。
「ああ、痛いよー。お兄ちゃんが馬鹿な推理してた所為で治療が遅れた足が痛むよー。妹を疑う冷血童貞彼女いない暦=年齢男に悪化させられた傷が痛くて痛くて仕方がないよー」
「ぬぐっ……!」
こ、こいつ。
どう考えても最後のほうはただの悪口じゃねぇか。
普段の仕返しのつもりか?
くそっ、俺が何をしたっていうんだ。
「昨日、うちがとっておいてたエクレア食べたよね?」
…………。
「さぁ、なんのことだか」
「いやいや、あれ『蓮子』ってちゃんと袋にメモ張ってたからね!? 勘違いとかありえないからね!?」
「とんと存じません」
「しかもあれ今日帰ってきてから張ったから、食べることできたのお兄ちゃんしかいないからねっ!?」
「いや、ほら、あれだ。あれだよ、あれ」
「あぁん?」
「蓮子が最近体重気にしてたから、善意で食べぐぉおあッ!?」
「嘘をおっしゃい嘘を」
「やめろ! なぜか部屋にいつも用意されてる空のペットボトルのキャップ部分で叩くのやめろ! なんか色々と危ないから!」
それに何が入っていたのか、あるいは何が入る予定なのかを想像すると寒気がする。
というか、足が痛いんじゃねーのかよ。めちゃくちゃ元気じゃねぇか。
「あのな、蓮子」
「何かな、お兄ちゃん」
「実際問題、危機的状況だろう?」
「何が?」
「お前のこの、だらしない腹だよ。なんかもういかにもイカ腹って感じで、マニア向けではあるけど一般的にはちょっとなーって。あ、今のは洒落じゃないぞ? はははははぐぇッ!?」
「ギルティ! ギルティ! お兄ちゃん、有罪! 死ねっ! 死んじゃえ!」
「わかった! 謝る! ちゃんと謝るから、なぜか枕元に置いてあったボーイズラブ系の薄い本で殴るのやめろ! なんかふやけてる、変な臭い発してる!」
普段とは、完全に立場が入れ替わっていた。
たまにはこんなやりとりも……良くはないな、全然。
ただ、もう少し突っ込みは弱くしてやらないこともない。
俺は蓮子に叩かれながら、そんなことを思ったのだった。
それから、1日経った後の会話。
「そういえば、なんでペットボトルが部屋においてあったんだ?」
「急に催したら困るからだよ?」
「…………なんで、あの同人誌ふやけてたんだ?」
「シコったから」
俺が女性に対して抱く、思春期特有の幻想はもうボロボロである。




