ナス
俺の妹、叶宮蓮子は身長160cm、体重非公開(推定53kg前後)の割かし程よいスタイルを持つ女子高生だ。
容姿も中々のものを誇るが、性格が致命的に残念でおまけに胸が薄っぺらい。
これはそんな妹と俺にあまりまつわらない、限りなくくだらなくて病んでるエピソードのひとつである。
◇
最近、妙に視線を感じる。
学校の中ではもちろん、たまに家で自室にいる時にまで。
今日俺がそれに気づいたのは、学校からの帰り道でのことだった。
尾けられている。
幾度となく味わった感覚に、半ば確信のようなものが芽生えていた。
練習が珍しく長引いた所為で、時刻は午後の8時を超えている。
人通りが少ない今だからこそ、そのことに気づけたんだろうな。
気配を察するだなんて、アニメや漫画の中の話だけだと思っていたが、どっこい実際直面してみるとそこそこ感じられるもんだ。
おそらくは、同じ人物に何度も尾行されているからだと思う。
なんとなく、またあの人だなってことぐらいはわかるようになった。
妹ならまだしも、どうして俺なんだ。
見た目に騙されて、好意を抱く奴があいつをストーキングするならわかる。
いろんなところで買ってる恨みの所為でストーキングされるっていうのも、実際ありそうだ。
でも、俺はいたって普通の学園生活しか送ってないぞ。
考えてみても相手の意図はちっともわからなかったので、業を煮やした俺はそろそろ直接対決をしようと思っていたところだった。
ちょうどいい。今日こそ、その正体を暴いてやる。
得体の知れない相手が怖くないってわけではもちろんないが、このままだと気味が悪いからな。
俺の安眠のためにも、なんとかしないと。
そのために蓮子から、普段あいつが持っている防犯ブザーも借りてきた。
なんか貸してくれる時に蓮子がいやらしい笑いを浮かべていたような気がするが、多分この間買ったホモゲーのことでも考えてたんだろ。
後ひとつ角を曲がれば、俺の家はすぐそこだ。
念には念を入れて、すぐに家族が呼べるようにしておこう。
ここで、勝負をかける。
「ふぅぅぅぅ……」
俺は一度深呼吸をしてから、猛ダッシュを仕掛けた!
凄い勢いで曲がり角を曲がって、そこで立ち止まる。
案の定、大きな足音が聞こえてきた。どうやら焦って、今まで慎重だったストーカーも走り始めたようだ。
足音が寸前まで近づいてくるタイミングで、俺は曲がり角から飛び出した!
さあ、ご対面だ。
一体どんな奴が、俺なんかを尾けていたのか……?
人間ぐらいの大きさのナスがいた。
「…………」
「…………」
俺とナスは、夜闇の中で視線を交錯させて黙り込む。
茄子。あるいは、ナスビ。
いうまでもない、あのナスである。
ナス科ナス属の植物で、日本でもかなりポピュラーな野菜。
水分が多く含まれていて、麻婆茄子や焼きナスなどが主な用途だろう。俺はカレーに入れるのも好きだ。
ナスを食べ過ぎると腹を壊すという迷信から、『秋茄子は嫁に食わすな』という言い習わしが生まれたという説もあるとか。
今、俺の目の前にはそのナスがいる。
ナスが『ある』っていうのは普通だけど、ナスが『いる』っていうのは普通ではあるまい。
デカいナスから顔と手足が生えている。
そうとしか描写しようのない存在が眼前に立っていた。
これならいっそ、包丁を持った暴漢とかのほうがまだ良かったかもしれない。
それなら警察を呼べばいいだけの話だ。
しかし、ナスにストーキングされてましたと言っても俺が正気を疑われるだけだろう。
この場合、一体何を呼べばいいんだ?
でもなぁ。
どう見ても人間だしな……。
心底関わりたくないが、コミュニケーションをとってみることにする。
人を見た目で決めるのは良くない、うん。
なんか我ながら、思考が緩んでいる気がした。
「あの」
「は、ははははははいぃっ!?」
ナスから生えた顔が目をそらしながらに、震え声で高音を発した。
この辺りは街灯が少ないために、その姿は見えにくい。だが俺より二周りほど小さい体格からも、そしてその声からも女で間違いないだろう。
顔は……良く見えないが丸顔で、女性らしい顔立ちと言えるのかもしれない。
どこかで見たことがあるような気もするが、間違いなく他人の空似だろうな。
俺の知り合いに、ナスに仮装することを趣味とする女はいない。いてほしくない。
「あんた、誰?」
「み、みみ、見てわかりませんか?」
「逆にわかる奴がいたら教えてほしい」
「通りすがりのナスです」
「ナスは道を歩かねぇよ」
「あうっ!」
はっ。
思わず反射で、ヘタの部分を殴ってしまった。当然だが、本物のナスじゃなく着ぐるみだったな。
あぁ、良かった。
途中から本気でこれが俺の幻覚である可能性を考えていたのだが、今の手に走った感覚は本物だ。
どうやら夢ではないらしい。
いつも蓮子で殴る練習をしておいてよかった。
「あんた、俺のこと尾けてただろ?」
「あ、あははは、はは。バレちゃいましたか」
「そりゃ、何回も何十回もやられればな」
「せ、正確には、今日で27回目、です」
おどおどとした口調で、背筋に悪寒が走るようなことを言ってくれる。
うわぁ。
なんで数えてんだよ。
得体の知れない怖さがあった。
やっぱり関わるんじゃなかったな、これから道を歩くナスに話しかけるのはやめよう。
「わかった。27回ストーキングされたって、警察に言うわ」
「や、ややややめてくださいっ! そそそそれだけはぁっ!」
「……じゃあ、まずあんたの正体を教えてくれよ。話はそれからだ」
「お、覚えてないんですか。そ、そうですよね。私なんかのこと、叶宮先輩が覚えてるわけ、ないですよね」
ナスがもじもじと体を動かし、指先をあわせていじけている。
異様な光景だった。なんで俺はこんな夜にナスと問答してるんだ。
というか、覚えてないってどういうことだ。
こんなやつを一目でも見たら、インパクト強すぎて忘れるわけないと思うんだが。
ともあれ相手の口調は、嘘をついているようにはどうにも聞こえないものだった。
しかも、俺の名前を知っている。
困った俺は、記憶の海を探りながら相手の顔をじっくりと見ることにした。
「きゃっ」とか女の子らしい声を出して顔を背けようとするが、ナスから生えた首の可動部分には限界があった。
グキィ! という嫌な音がして、狂気ナス女の動きが止まる。
人のことをあれこれ言える身分ではないが、顔は容姿端麗――とまではいかなくても、普通と同じかそれ以上ぐらい。見た感じの年齢は俺と同じか、少し下か。やや丸顔だが、太っているという印象は受けない。ナスの癖にメイクをしてて、垢抜けてる感じなのが腹立つぐらいだ。
身長は、ナスを脱いだら多分蓮子よりも低いぐらいだな。こちらも普通だろう。
まいったな。
特徴がない。
髪も着ぐるみを被っている所為で見えないし。
強いて言うならばかなり分厚い、見る人が見ればセクシーとも捉えられるだろう唇が目立つぐらいだ。
……ん?
分厚い唇……。
どこかで見た。
実物ではない、写真で。
いや、でもあの時、あいつは眼鏡だった。
それに、化粧だってしてなかったと思う。
顔の感じだって全然違う。
映りが悪い写真だったから、唇が目立っていただけだ。
けれど、そう考えれば。
都合が、辻褄が合ってしまう。
俺は恐る恐る、思いついた名を口にした。
「お前、中三の時に告白してきた奈良須か……?」
言葉を口にした瞬間、怪人ナス女は目を見開いた。
今まで背けていた視線を、こちらへと真っ直ぐに向けてくる。
そして次の瞬間「嬉しいっ!」
「おわぁっ!?」
俺の胸に、デカいナスが飛び込んできた。
あまりのことに、俺は抵抗する間もなく押し倒される。
そして目と鼻の先に、妖怪ナス女のやたらと潤っている唇があった。
なんてことだ。
この光景を誰かに見られたら、俺は一巻の終わりだ。
ナスと接吻をする男として、一躍有名人になってしまうだろう。
だが、まだだ。
まだ触れていない、まだセーフだ!
俺のファーストキスがナスとだなんて、そんなことが許されていいはずがない!
やらせはせん、やらせはせんぞぉ!
――――パシャッ。
俺の思考をかき消すようにして、眩い光と撮影音が夜の住宅街に鳴り響いた。
いくら暗かろうと、その姿を見違えるはずもない。
デジカメを手にした蓮子が、そこに立っていた。
蓮子の友人、奈良須可凜。
俺を27度にも及び尾行してきたナス女の、フルネームである。
奈良須は俺が中三の時に告白してきた子で、卒業を控えていた俺は一度も話すことなく断ってしまっていた。
まあいやらしい話、写真で見ただけの容姿が、今より客観的に見て良くなかったということもあるが。
まさか再会することがあるなんてな。
しかも可愛くなっていた――ナスだけど。
俺の前ではアガってしまってあんなだが、蓮子の話によると普段はちょっと気が弱いだけの女の子らしい。
俺の周りにいる女子の間では、俺と話す時だけキチガイにならなきゃいけない決まりでもあんのか……?




