結婚
俺の妹、叶宮蓮子は一見すれば端正な顔立ちのお嬢様だ。
しかし彼女がその手に持つのは気品あふれるティーカップではなく、下品きわまるペットボトル。
これはそんな妹と俺にまつわる、限りなくくだらなくてブライダルなエピソードのひとつである。
◇
学校から帰ってきて部屋に入ると、蓮子が俺のベッドに寝転がっていた。
枕の横には読みかけの漫画が、いつものように開いた状態で投げてある。
それはいい。
よくないけど、まあいい。
問題は、なぜかこいつがウエディングドレスのようにしか見えないものを着ているということである。
俺に気づいた蓮子は、慌ててベッドの上に座りなおし恭しく一礼してきた。
「お帰りなさい、あ・な・た」
「そこをどけ、ぶっ飛ばされん内にな」
「今日はあなたの大好きな、女子小学生が入ったお風呂の残り湯で作った味噌汁を用意してあるの」
「えっ、じゃあなんで俺はお前と結婚したの? ロリコンじゃないの?」
「お兄ちゃんロリコンなの? うわぁ、最っ低。二度とうちの半径2m以内に近寄らないでね」
「てめぇがやらせてんだろうがぁぁああああ!」
「わ――――――ッ! やめて! 引っ張って無理やり引き摺り下ろそうとするのやめて! 折角買ったのに破れちゃうからっ!」
「わかった」
「さっすがお兄ちゃん。寛容が服を着て歩いてるようなもんだね!」
「別の方法でどかすわ」
「おわ――――――ッ! だからって妹にジャイアントスイングぅぅぅ!?」
3回振り回した後で蓮子を投げると「あばばばばばばば」とか言いながら床と戯れてた。なんか擦れてるような嫌な音がしてたが、蓮子だし別にいいだろ。
よし、これで俺は平穏を獲得した。
蓮子が読んでいた漫画を本棚に戻し、スマホを手にさっきまで妹が寝ていた場所を確保する。
「つーかお前、何その服」
「ウエディングドッ! ……レスぅ」
俺の渾身のプロレス技からなんとか復帰してきた蓮子は、頭を壁にぶつけながら答えた。
どうやら先ほどのはかなり利いたらしい。
ほんのりと、やりすぎたかなと思わなくもない。
繰り返しになるが、蓮子だし別にいいか。
蓮子はふらふらとした足取りで近寄ってきて、俺の隣に腰掛ける。
どうやら出て行くという選択肢は無いようだった。いつものことだが。
視界の端で純白がちらちらと見え隠れして、どうしても気になってしまう。
いかにも突っ込み待ちですよという風なその衣装のことを話題に出すのは避けたかったが、蓮子の訴えかけるような視線が鬱陶しいので触れてやることにした。
早く終わらせよう。そして出て行ってくれ。離婚してお互いにそれぞれの道を歩こうぜ。
「……なんでその、ウエディングドレスを着てるわけ?」
「お、これが気になる? 気になっちゃう?」
蓮子はやたらとウキウキした顔でこっちを見つめてきた。
だりぃ。
「まあ、そりゃな。いきなりそんなの見せられたら、気にはなるだろうよ」
「ふふーん。可愛い?」
「服はな」
「可愛い服を着てるうちも?」
「ネトゲ廃人おまる排泄貧乳女」
「最後のはただの悪口ですよね?」
「いや、全部悪口だと思うんだが」
でも事実だ。正論はいつも人を傷つけるものである。
認めようぜ、蓮子。お前の胸は中学二年の時点から全く成長していない。ただただ平たい壁がそこにあるだけだ。
妹の非難するような視線を華麗にスルーして、俺は話題を戻す。
「よくわかんねーけど、そういうのってめちゃくちゃ高くなかったっけ。レンタルでもウン万円だったような」
「んー? そういう高いのは、結婚式用のやつだよね」
「結婚式以外で使うところあんのか?」
「コスプレ用」
「……なるほど」
「薬天市場で9800円」
「意外とお手ごろ価格」
「今ならセットでもう一着! しかもお値段変わらず9800$!」
「あ、これ訴えられるやつだ」
しかしこいつは、無駄なことに金を使うのが好きだな。
どう考えても実用的じゃない服に1万円か……。
まあ、俺がこの間買った整髪関係のセットも今じゃ全然使ってないから、人のこと言えないか。毎朝セットするという行為が面倒臭すぎて、一週間でぶん投げた。
すまん、母さん。2人しておかしなことに金使って。でもこいつよりかは多分マシだから許してくれ。
「ほらー、いとこの人が最近結婚したでしょ?」
「あぁ、そういえばそんなこともあったな」
この間、両親が結婚式に行ってたっけ。
俺と蓮子は面識もほとんどなかったし、家で留守番だったが。
「それでうちも思ったんだよね。結婚っていいなぁって」
「お前誰だ?」
「あれ? お兄ちゃん、その反応はおかしくない?」
「とぼけるな、偽者め。本当の蓮子をどこに隠した、言え!」
「はいはーい、お兄ちゃーん。ここですよー。蓮子ちゃんここにいますよー」
「……マジで?」
「いやいや。こんなに可愛い妹、うち以外にいないでしょ」
「そうじゃねぇよ。マジで結婚っていいなぁとか、乙女的スイーツ言語をよりにもよってお前が駆使したのかって聞いてんだ」
「もちろん! だって一生働かずにご飯を食べさせてもらえることが合法的になる誓いのことを、結婚って言うんでしょ? しなきゃ損じゃん!」
「ソッカー」
期待を裏切らないクソみたいな回答が返ってきた。
うん、知ってた。
知ってたけど、この胸に去来する切なさはなんだろうな。
なんかこいつが資産家の坊ちゃんとかと結婚したら、その相手が数年後に謎の死を遂げそうだ。
頼むから犯罪だけはやめとけよ、蓮子。
「ということでお兄ちゃん」
「なんだよ」
「うちと結婚、する?」
「ケツ痕? もうこはんのことか?」
「もう、とぼけないでよっ。お兄ちゃん。うち、お兄ちゃんのことが大好きなの……。いけないことだってわかってる。許されないことだって、うち知ってる。でも、自分の感情に嘘はつけないから……。自分の本当の気持ちをごまかしたら、それはうちじゃなくなっちゃうから。……結婚、しよ?」
「断る」
「即答ッ!? 実妹が頬を赤らめながら上目遣いで愛の告白をしたのにッ!? 貴様、ホモか!?」
「兄妹間での結婚は法律で禁止されております」
「真面目だ――――っ!」
というか、法律でセーフでも生理的にアウトなので無理。
一日中ネトゲやってアニメ見て漫画読みふけるような嫁はちょっとなぁ。あと、もう少し常識的な言動と態度を身につけてから出直せ。
「あーあ。いいのかな、お兄ちゃん?」
「何がだよ」
「こんな上玉と結婚できる機会はもう二度とありませんぞ? お兄ちゃんの人生には勿体無いほどの、千載一遇のチャンスですぞ?」
「はっはっは、悪いな蓮子。俺は中身重視のタイプなんだ」
「あ、もしかして今さりげなく馬鹿にされてる? うちの中身が悪いと言ってますか?」
「良く分かったな」
「むきー。いいもーん、うちは他にちゃんとアテがあるから」
何やら意味深なことを呟いて、蓮子は部屋を去っていった。
歩調に合わせて、ドレスの裾が舞い上がる。
まさかとは思うが。
あいつ、ネトゲの知り合いと挙式するとか言い出さないよな……?
数日後、蓮子は結婚した。
お相手は進撃する巨人の人気キャラクター、リバイ兵長。
祝儀の代わりに、冷たい目線だけ投げておいた。




