かしまし娘
「はっきりさせようじゃないのさ」長女の松子がまず口火をきった。「ばあさん三人そろって、首都高を眺めてたってしかたないだろ。完成してから、もう半世紀だよ。珍しくもなんともない。誰がやったか、白黒つけようよ」
「誰か、なんてわかりませんよ。わたしはうたたねしていたんですから」
次女の竹美が反論した。
「寝てただなんて、自分でそう言ってるだけだろ。誰も見ていないすきに、ぬけがけしようとしたんじゃないか」
松子が疑りぶかい目でにらみつける。
「姉さんこそ、こっそり色目をつかっておきながら、自分から白黒はっきりさせようだなんて、犯人は他にいると思わせるような言い方ですね」
「犯人ってなんだ。あんたはインテリだよ。いつだって探偵小説ばかり読んでいた。三姉妹のなかで高女まで行けたのはあんただけだ。あたしは尋常小学校を出てからずっと商いの毎日だった。父親が倒れたあと、小間物問屋を支えてきたのはこのあたしだよ。たしかにあんたは、手腕のあるいい番頭さんをもらったよ。どうして長女をさしおいて、あんたが婿取りしたんだろうね。高女出が先方のお眼鏡にかなったんだろうよ」
「結婚したって、主人は半年で召集され戦死しましたよ」
「祝言あげたことにかわりないだろ。あたしは働きづめに働いて、とうとう一度も結婚しなかった。そうして大きくした店も、増やした蔵も、ぜんぶ戦争で焼けちまった。いったいあたしの人生はなんだったんだろうね」
「お姉さんたち、もっと仲良くしましょう」
三女の小梅が口を開き、松子と竹美が振り返った。
小梅は、すっかり白くなったおくれ毛をなでつけ、乱れた衣服をしきりに気にしている。姉たちのひどいありさまが目につくようで、薄くととのった眉をひそめている。
「あの大空襲から、三人そろって生きながらえたんだから」
小梅がそう言って、流すように視線をふせる。
どこからか、救急車のサイレンが聞こえる。その音はしだいに近くなり、なかにはパトカーも混じっているようだ。首都高はにわかに渋滞しだした。
松子が鼻を鳴らし、
「小梅は三度も結婚した。だんなが三人とも、夜のうちに脳の血管破って死んじまったのは、どういうわけだろうねえ。あんたと結婚すると、みんなやせ細っていくんだ。まるで魔物だよ」
「ひどい言いよう」
小梅が、怒ったように眉をひそめる。
「かまととがあっ」松子がほえた。「あんたはいつもそうだった。そのおかしな目つきで男をたぶらかすんだ。こんどもやりやがったな」
「小梅は男好きがしますからね」竹美が同調する。「自分からは手を出さず、黙って見つめていれば、どうしたんだいって、男どもがよってきますよ」
「そうだ。小梅ならもっとうまくやる。竹美、やっぱりあんただよ。あんたがおかしな目つきをするから、相手は驚いて声をあげたんだ。さかしらな顔して、身体のうちは欲望でいっぱいだ。いとこの新次郎のときがそうだった」
松子が、猜疑心のこもった目でにらみつける。
「あれは誤解ですよ。六十年も昔のことじゃないですか」
「おとといの晩飯がなんだったか忘れても、六十七年前のあの夜の出来事だけは忘れないね。東京大空襲のときだよ。あたしは二十一で竹美が十九、小梅は十六だった。本家の新次郎は十七歳だったはずだ。召集令状が来て、近々出兵するからと、うちにあいさつに来た日だよ。ちょっとしたお祝いがあって、その晩、新次郎は離れに泊まった」
「色が白くて京人形みたいな、いい男だったねえ」
小梅が目を伏せ、ため息をつく。
「あんたは黙ってな。話のこしをおるんじゃないよ」
松子が、いらだたしげに叱りつけた。
「思い出しましたよ」竹美が口をはさむ。「灯火管制がしかれ、何もすることがないから、たいがい八時には床についていましたね。あの夜もそうで、真っ暗闇で横になっていると、三十分くらいして警戒警報が鳴ったんでしたっけ」
「そうだよ……」と松子が遠い眼差しになる。「あたしはふとんのなかで、ひとり離れで寝ている新次郎は、さぞ心細い思いをしているだろう、そんなことを考えていた。近いうちに出陣し、二度と本土を踏めないかもしれない。今夜一晩でも新次郎のそばでお慰めしよう、そう思ったんだよ。おかしな意味で言ってんじゃないよ。警報解除をしおに、あたしはあたりの様子をうかがった。小梅は頭からふとんをかぶって寝ているようだ。竹美が厠に立ったすきに、あたしは寝床を抜け出した。離れに忍んで行くと、そこから人影が現われるじゃないか。ぎょっとして立ちすくむと、竹美、あんただよ」
「用足しに立っただけですよ」
「わざわざ離れまで行くんかい」松子がまたほえた。
竹美が視線をそらし、
「新次郎さんが不憫だと思う気持ちはいっしょですよ。厠に立ったついでに、ちょっと様子を見に行っただけでしょう」
「どうだか。だんなが戦地にいるってのに、なに考えてんだろうね」
「おかしな意味じゃないのは、わたしだって同じですよ。姉さんこそ下心があったんじゃないですか。新次郎さんが来ると、いつもにこにこしてましたからね」
「本家のお坊ちゃんだよ。お愛想もするさ。そんなことはどうだっていいんだ。ふたりで離れをのぞくと新次郎はいなくて、しかたなく退散した。部屋に戻ると、小梅は寝床にもぐりこんでいるようで、ふとんが人型にもりあがっていた」
松子が目をやった。
小梅は、その視線をさけるように髪型を直しはじめる。
「まあ、いいよ」松子が続けて、「空襲警報が鳴ったのは午前0時過ぎだった。あたしはすぐさま飛び起きた。小梅はまだ寝ているようだから、ふとんをはぐってみると、座布団が丸めてあるだけで、もぬけの空じゃないか。探しているひまもなく、竹美と防空壕に走った。庭に出て驚いたね。神田のあたりの上空が真赤に染まっていて、真昼のような明るさだ。もっと驚いたことに、防空壕に入ろうとしたら、小梅と新次郎がひょっこり顔をのぞかせるじゃないか。ふたりとも赤い顔して、空の色が映っているのかと思いきや、そんなんじゃなかった」
「違うのよ」小梅が言いつくろいだす。「警戒警報が解除されたあと起きると、お姉さんたち寝床にいないでしょ。心細くなって探しに出たら、防空壕の近くでたまたま新次郎さんに会って、ここは危険だって言うもんだから」
「それからずっと防空壕にこもってたんかい。警報は二時間近くも前に解除されてただろ。つぎに空襲警報が鳴るまで、ふたりでなにしてたんだ。あたしらを探しに出たって、ふとんのなかに座布団を丸めてかい。おおかた、うぶな新次郎をたぶらかし、誘わせるようにしむけたんだろ。あたしにはみんなわかってんだ」
松子は、ほえるほえる。
「姉さん、もうよしましょう。とうに終わった話ですから」
竹美がなだめにかかる。
「そうだ、いまの話だ。やっぱり、あたしがよそ見しているあいだに、あんたらのどちらかが、運転手に色目をつかったに違いない。うちらの席は運転台の斜めうしろだった。ルームミラーを利用してやりやがったんだ」
「いまさらどうだっていいじゃない」小梅が松子にしなだれかかる。「身内はわたしたち三人しか残っていないんだから、もっと仲良くしましょう」
竹美がうなずいて、
「たびかさなる空襲を三人で生き延びれたのも、なにかの縁ですよ。東京は焼け野原になり、隅田川におびただしい数の死体があがったそうです。新次郎さんは二度目の空爆で亡くなりました。あれから六十七年、いろいろあったけど、こうして姉さんの米寿のお祝いにと、三人でバスツアーに参加できたのは奇跡ですよ」
小梅が視線を流し、
「やみ市で手に入れた芋をふかし、金つばだって売り歩いたの覚えている? 悪運の強い三姉妹の〈悪運金つば〉だって評判になったじゃない」
松子の顔に、ふと寂しげな表情が浮かぶ。
「……また、生き延びちまったんだねえ」
「思い出話のところを申し訳ないんですけどね」
松子の肩に手がかかった。
振り返ると、交通警官が身をかがめている。
隅田川が下を流れる首都高の路上に、三姉妹は車座になっていた。警官の向こうでは、パトカーと救急車が集まり、赤色灯がまわっている。中央分離帯のガードレールが破れ、観光バスの側面に大型トラックが突っ込んでいた。空が茜色にたそがれるなか、救急隊員が負傷者をあわただしく搬送する。
「話を訊けそうなのは、あなたがた三人だけみたいなんです。バスが分離帯を乗り越えたときの状況を聞かせていただけませんか」
了