自殺志願者、森へ
ジャンル分けするとしたらホラーでしょうか。
救いのないお話ですが、こうなったら嫌だなーと想像しながら書きました。
グロ要素は無いので、安心してお読みください。
男は借金にまみれて疲れ果てていた。妻には離婚届けの入った封筒を突き渡され、借金を抱えていることがばれた会社からはクビを宣告されて、まだ若いのにも関わらず、男は精根尽き果てていた。
そして気が付けば、男は富士の樹海へ足を踏み入れていた。手に掴んでいるのは一本のロープ。
やりがいのある仕事、尽くしがいのある妻、安定した生活。その全てが失われた今、男が生き続ける理由は見当たらなかった。このまま誰にも看取られずにひっそりと人生の幕を閉じる。それが、男の人生最後の目標になっていた。
虫や動物の鳴き声が全く聞こえない森の中を躊躇なく進む男に恐怖は全く無かった。あるとすれば、自殺に失敗してしまい、また借金に追われながらズルズルと惨めに暮らしていくという毎日の再来が一番の恐怖である。それだけは、絶対嫌だ。だから男は、自殺スポットの中でも定番中の定番である「富士の樹海」での首吊りを決行するに至ったのだ。
しかし歩いて数十分後、男は国道に辿りついてしまった。こんな開けた場所で首を吊ることなど出来ないので、男は踵を返し、再び森の奥へ身をひそめる。
だがしばらく歩くと再び舗装された道路に辿りついてしまった。直後に猛スピードで車が近付いてきたので、慌てて木の陰に身を隠す。こんな交通量の多い場所で自殺は無理だ、と男は三度森の中へ歩を進める。
男は何度も何度も樹海に突入した。それでもすぐに開けた場所に辿りついてしまい、一向に自殺することが出来なかった。もしかして場所を間違えたか、とも考えたが、森の出発点にはちゃんと「富士の樹海 入口」と書かれていた。「自殺する前に、もう一度考え直して」といった文章も添えてあることから、男の目指している場所で間違いはない。だが男は何度森の中に入っても、一向に迷う事が出来なかった。
男は、少しだけ妥協することにした。
樹海に入って二、三分歩いた所で、首を吊ることにした。
場所的にも浅く、すぐに発見される可能性があるが、背に腹はかえられない。死体が見つかったとしてもどうせ白骨化している頃だろう、と後ろ向きな期待を抱きつつ、男は枝にロープを巻きつけた。そして迷わずに首をロープに括る。さようなら、現世。
しかし男の重みに耐えきれなかったのか、枝がバキリッと折れ、男の身体は地面に落下した。枝が少し細かったかもしれない、と尻をさすりながら男は反省し、絶対に折れそうにない太い枝にロープを巻きつけた。そして寸断の迷いもなく再び首をロープに括った。
だが圧迫感を全く体験することなく、男は地面へと落下した。枝は再び折れ、自殺は失敗した。首を傾げつつ、男は近くにあった土管ほどの太さの枝を見つけると、ロープをかける前にまずぶら下がってみた。何十秒かぶら下がったが、折れる様子はない。よし、これならいける、と男は嬉々としてロープを巻きつける。そして首を括る。
だが枝は呆気なく折れた。男はしたたかに尻を打ち、呆然とする。まるで男の自殺を阻止するかのように枝は次々と折れていく。
その後、男は何十回と首を吊る努力を重ねてきたが、どれもこれも枝が折れることで失敗に終わった。周りには土管ほどの太さの枝がいくつも散らばっていた。
その光景を見て男はため息をつく。そして空を見上げる。日は沈みかけていて、空は紅色に染まっていた。
「今は死ぬ時ではない、ということかな」
理不尽なまでに失敗した首吊りを顧みて、男はもう少し生きてみようかな、と思った。何か目に見えざる力が働いて自分の死を阻止しているのかもしれない。まだ自分はこの世から必要とされているのかもしれない。男はしだいに前向きな考えを抱くようになっていった。
そしてひとまず家に帰ることにした。ロープを手に取り、出口へと向かう。
だがすぐ近くにあったはずの出口にはなかなか辿りつけなかった。それどころか木々がだんだんと生い茂っていき、樹海の奥深くへと足を踏み入れていることが分かった。男は焦っている。こんな時に限って森をさまよい歩いているからだ。
日は沈み、闇が樹海を覆う。死ぬつもりだったからライトなどは持っていない。ロープを片手に男は足早に駆ける。男は焦っている。嫌になるくらい目にした国道や一般道路に全く辿りつかないからだ。
水や食料はない。日も落ち、先が見通せない。動物の鳴き声、唸り声が次第に聞こえ始める。四方八方から死の匂いが満ち始めた。思わず男は叫ぶ。
「嫌だ。死にたくない、死にたくない、死にたくない」