二度目の裏切り
こんなはずではなかった。
マリアンの人生は、再び踏み潰された。前の人生では、せいぜい失ったのは名誉と恋だけだった。
だが今回は違う。
今回は――すべてを失った。
公爵の書斎に入った瞬間、アンナが彼女を襲った。
そう、アンナだ。
ずっとそばにいてくれた。姉のように、優しく愛し、守ってくれていた侍女。そのアンナが、マリアンを床へ押し倒した。
マリアンは動けなかった。
腹部に鋭い痛みが走る。何かが流れ出る感覚があった。
視線を落とす。
アンナの手に握られていたレターオープナーが、すでに彼女の腹に深く突き刺さっていた。
そこから、真っ赤な血が広がっていく。
アンナの顔は硬直していた。目は真っすぐマリアンを見つめている。しかし、その表情には一切の感情がない。今のアンナは、まるで舞台の操り人形のようだった。動きは滑らかだ。だがそこに、心は存在しない。
その異様さが、かえって恐怖を呼び起こす。
もう一人の侍女、ジェシカは、ジェイの後ろに立ち、黙々と書斎の中を探していた。
彼女の顔もアンナと同じだった。表情も、感情もない。ただ正面を見つめながら、ぎこちない動作で引き出しや棚を探っている。
痛みのおかげで、ようやくマリアンの頭が冴えてきた。
そして彼女は気づく。
ジェイと出会ってからの、すべての違和感に。
――ジェイは本当に、あの時の少年なの?
あの子は、花を摘んでくれた。
あんなに目立つ銀髪と紫の瞳なら、もっと強く覚えているはずだ。
――なぜ、初めて会った日に、ジェイの一言でアンナとジェシカは警戒を解いたの?
――なぜ、自分は一度もジェイを疑わなかったの?
――なぜ、彼と会うたび、夢の中にいるような感覚になったの?
――なぜ、アンナとジェシカはこんな姿になっているの?
それは――
魅了魔法なのではないか?
次にマリアンが目を覚ましたとき、すでにかなり時間が経っていた。
ジェイは再び、あの魔法を使った。恐らく魅了魔法だ。
マリアンの意識は、ふわふわと浮いている。必死に目を覚まそうとしても、すぐにまた甘い夢の中へ沈んでしまう。
ジェイは彼女に多くの質問をした。マリアンはすべて答えた。もし意識を失いかけると、アンナがナイフで彼女を突き、無理やり目を覚まさせた。
やがてジェイは、公爵の机の隠し引き出しから目的のものを見つけ出す。
公爵と隣国ディマン王国との書簡だった。
マリアンの亡き母は、ディマン王国の王女だった。
かつてリタル王国とディマン王国は友好関係にあり、交易や婚姻も盛んだった。
しかし近年、両国の関係は悪化している。
その手紙には、公爵がディマン王族と密かに連絡を取り合っていた証拠が記されていた。
マリアンの婚約が正式に破棄される前から、公爵は異変を察し、妻の実家と将来の計画を相談していたのだ。
そして、最近の三通の手紙。
そこにはディマン王族からの提案が書かれていた。
マリアンの婚約破棄を利用し、公爵に内応させる。ディマンの軍を海から王都へ送り込み、王宮を占拠する。
そして――
公爵を新たな王として擁立する。
直近の手紙では、公爵はその提案を拒否していた。しかし、それが単なる外交的な返答である可能性は十分ある。しかも彼は、かなり時間を置いてから返事を出していた。
「これだけ証拠があれば、反逆罪だよね?これで父王は絶対に僕に会う!しかも、王子の地位も取り戻せる!」
ジェイは手紙を掲げ、ほとんど踊り出しそうなほど興奮していた。
アンナとジェシカは、壁際の床に並んで座っていた。瞳は虚ろで、体は力なく互いにもたれかかっている。まるで遊び壊された人形が、道端に捨てられたようだった。
「この『攻略システム』ってやつ、本当に便利だな!」
ジェイは愉快そうに笑う。
「指示通りに動けば、どんな女でも思い通りになる!この世界に転生したときは最悪だと思ったよ。去勢された廃王子だなんてさ!どうせならエドワードとかジェイソンみたいな、勝ち組人生に生まれたかったのに!なあ、システム。僕が王の体を手に入れれば、ちゃんと体も元に戻るんだよな?」
彼は笑い出しかけ、突然動きを止めた。そして、空中に向かって話し始める。
マリアンは、ついに叫んだ。
「この化け物!私はあなたのために尽くしたのに!それなのに、私を裏切るなんて!」
ジェイはきょとんとした顔をした。
「え?僕たち、ただのギブアンドテイクだろ?君に使った魅了値なんて、そこのアンナの半分だよ?エドワードがダメにならなかったら、君だって僕なんか見向きもしなかったでしょ」
「あなた……!」
マリアンは震えながら叫ぶ。
「あなた、あの時の少年じゃないでしょう!嘘つき!」
ジェイは肩をすくめた。
「うん、違うよ。そもそもさ、君みたいな自己中心的な悪役令嬢は僕の好みじゃない。もし将来の伴侶を選ぶなら――せめて王国の花と呼ばれるアンジェラ様くらいの美貌か、ディマン王国のアイリーン様くらいの才女じゃないとね」
そして、少し笑った。
「正直に言うけどさ。君と公爵がエドワードの言う通り、素直に領地へ帰っていれば……もしかしたら、まだ生きる道はあったかもしれないのにね」




