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冬将軍と春軍師

作者: TOMMY
掲載日:2026/02/13

澄んだ夜空。

──この冬は、あまりにも静か過ぎた。

凍るべきものが、凍っていなかった。


山頂の社に、甲冑に身を包む武人が一人。


冬将軍は、眼前に構えた太刀を鞘からゆっくりと引き抜いた。

静かに息を整え、一閃。


その刃は薄氷の如く、真白き雲を切り裂いた。

切り裂かれた空から、凍てつく静寂が降りてくる。

冬将軍は白い息をひとつ吐いた。


「これが最後の、風花雪月じゃ」


雲の裂け目から覗く月は、白銀の太刀を淡く照らす。

その刹那、柔らかな雪がしんしんと舞い落ちた。


悠久の時が、風景を静かな白へと染め上げていく。


「──見事なり」


声は、雪の中から生まれたようだった。


冬将軍は振り向く。


社の端に、ゆたりと羽衣を纏う男が立っている。

足元には、まだ芽吹かぬはずの若草が、ひそやかに顔を出していた。


それは、本来なら許されぬ兆しだった。


「して、今宵は何用か。春軍師」


春軍師は、見晴らし台に手を置く。

その掌から、わずかな温もりが広がる。


「はっはっは。何もない。何もないのだ。

──ただ、“何も起こらぬ冬”が、少しばかり気になってなぁ」

春軍師は腰に据えた、ひと振りの刀に手をかけた。


冬将軍は答えなかった。

太刀を握る手は、わずかに冷えを失っていた。


冬将軍の眉がわずかに動く。


そのとき、社を照らしていた灯がふっと消えた。


白い煙が、ゆるやかに二人を隔てる。


夜の闇が幕を下ろす。

降り積もる雪が、音を閉じ込める。


二人は、動かない。


ただ雪だけが、絶えず降り続けていた。

静寂が極まった、その瞬間。


──月明かりの社に、二つの影が弾けた。


太刀の一閃が空を薙ぐ。

凍てつく息吹が宙を走る。


春軍師の刃がそれを受ける。

触れた場所から、淡い緑が滲む。


豪快なひと振りで空気は凍り、霜が社を這う。

繊細なひと振りで氷は溶け、若草が石畳を割る。


火花が散る。

まるで夜に咲く稲妻の花。


吹雪は激しさを増し、滝は瞬く間に氷柱へと変わる。


「春軍師。なぜこのようなことを」


冬将軍の怒声が山を震わせる。


春軍師は笑った。


その笑みは温かい。

だが、甘くはない。


「ぬるい。ぬる過ぎるのだよ。貴殿らしくもない。終わりを恐れるなど」


冬将軍は答えなかった。

その沈黙だけが、真実を語っていた。


一閃。

暖気が凍土を溶かす。


「そんな冷えでは、桜は震えぬ」


冬将軍は踏み込む。

突きが閃光のように走る。


春軍師は半歩退き、受け流す。


「貴殿は、そんなものではなかろう」


「……あの谷には、まだ冬を知らぬ命がある」


甲冑の内側で、心臓がひとつ遅れた。


その一瞬を春軍師は見逃さなかった。


春軍師の目にも止まらぬ連撃。

熱が甲冑を溶かしていく。

冬将軍はただ、その猛攻を受けることしかできなかった。


その熱は雪を雨に変えていった。


「このまま春が訪れても、よいのか?」

社は暖気に包まれる。


──


「喝ッ!」


冬将軍の咆哮が、山々にこだました。


大きく一歩、踏み込む。


そして、太刀を鞘に納めた。


息が止まる。

世界もまた、息を止める。


次の瞬間。


抜刀。


甲高い音が天地を裂く。

何千もの斬撃が、不可視のまま放たれた。


刹那──


凍る。


山も、社も、空気も、月光さえも。

そこに在るすべてが、純白の静止へと閉じ込められた。


春軍師は、刀を地に突き立てる。


大地が震え、氷が一瞬だけ緩む。


だが、すぐに再び凍りつく。


冬将軍は、春軍師の首元に太刀を添えた。


「我がぬるいだと?

今の貴殿に、敗れるわけがなかろう」


春軍師は抵抗しない。

ただ、目を細めた。


「……やっと、冷えたな」


周囲は厳冬の極み。

湖も滝も凍りつき、草木は雪に埋もれ、

空からは重い牡丹雪が降りしきる。


社の屋根が軋む。

木材が悲鳴を上げる。

凍てつく風が社を吹き抜けた。


冬将軍は白き眼下を見渡した。

そして、身体の力を緩め、ひとつ息を吐いた。


「手間をかけさせた。礼を言う」


春軍師は突き立てた刀を抜き、鞘に納める。


「厳しき冬あってこそ、春は息を呑む。

凍てつく静寂があるからこそ、花は震えるのだ」


そう言って、静かに一礼した。


北風が吹く。


春軍師の羽衣は、月明かりに溶けるように消えていった。


静寂。


冬将軍は理解していた。

この厳しさこそが、自らの終わりを呼ぶことを。


それでも──

緩むわけにはいかなかった。


そして、小さく呟いた。


「これよりまた、風花雪月」


月は高く、

雪は深く、

世界は厳しく、美しい。


やがて来る春のために。


冬将軍は、誰もいない社に立ち続けた。

春を迎える者は多いが、

冬を見届ける者はいない。

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