ヴァンパイア執事最後の仕事
「ここは………」
目を開けると、オレは見知らぬ場所にいた。
周囲を見回すとそれに豪華なシャングリラが部屋を照らし目が眩むほどに磨かれた白い床に一切の皺のないレッドカーペットが敷かれている。
そして部屋の中心………オレ自身を取り囲むようにこの部屋には不釣り合い物々しい鉄格子の檻が建てられていた。
「……なるほど。」
オレは状況をすぐに理解する。
「噂通りいや、それ以上のものだな。ヴァンパイアハンターの屋敷というのは。」
この世界においてヴァンパイアつまり吸血鬼は常に蔑視の対象である。
確かにオレの先祖が生きていた太古の時代まで遡ればヴァンパイアというのは夜の街に紛れ、人を襲い、生き血を啜る怪物そのものである。
だが現代は違う。
その生態故にヴァンパイアハンターと呼ばれる様々な方法でヴァンパイアを抹殺する存在が出現して以降、我々の種族は生き残る為の進化を遂げた。
その結果ヴァンパイアは人間と同じ食事で栄養を得、日光の下で素肌を歩くことも造作ない。
だがその代わり多くの個体は腕力は人並み、蝙蝠への変身が不可能な物が大半を占めるようにはなってしまったのだが。
でもだからこそ、今の時代で罪なきヴァンパイアを殺し回るハンターの存在というのは時代錯誤も甚だしい事他ならないのだ。
ただハンター達は考えを改める事をせず未だに我々の種族の殲滅を企てており多くの人間もその考えに賛同し彼らを崇め称える始末。
実際問題このような豪華絢爛な屋敷に住めるほどの権威が彼らに渡ってしまっている。
「ようやく目が覚めたようねヴァンパイア。」
オレが考えていると目を見ながら赤髪の妙齢の女が呼びかける。
女は執事らしき男を侍らせていた。
「さぁて……どうやって楽しもうかしら?」
女は舌なめずりしなが不敵な笑みを浮かべ髪をかき上げる。
女の見た目はまさに容姿端麗といった言葉に相応しかった。
白く艶のある肌。
さらりとした長い髪。
しなやかでありながら筋肉の引き締まりを思わせる肢体。
細身な体に不釣り合いに発育した腰回りと胸元。
そのような体型を強調するかのように女はスリットスカートを身に包んでいた。
右手に握られている刀剣を除けば非の打ちどころの無い美女そのものだ。
「全身の血を少しずつ抜き取ってその時の叫び声を楽しむか……でも随分といい顔をしてるから、首を切り取ってホルマリン漬けにして飾るのもアリかしらねぇ……」
彼女の口からは物騒な発言が次々と飛び出す。
「その口ぶり………まさか貴様、ヴァンパイアハンターか?」
そんな美女をオレは真っ直ぐと睨みつける。
「あら?このワタシに対してその目とその口調。どういう意味なのか分かってるの?」
女はひどく冷たい声色で言う。
表情に一切の変化が無いのがより恐怖を引き立てる。
「質問に答えろ。」
「そうよ。でもあなたが死ぬ運命はもう決まっている。そんな事を知って何になるっていうの?」
女はまるで汚物を見るかのような視線をオレに向ける。
「……やはりそうか。今の発言で確信に至ったよ。お前達は倒すべき存在だってね。」
「?」
本気で意味がわからずかそれとも嘲笑っているのか。
首を傾げる相手を前にオレは仁王立ちで言葉を続ける。
「お前達は千年以上も前の古い価値観に縋り未だに罪なき吸血鬼達を死に追いやっている。そしてその古い考えを今の時代に生きる人間達に振りかさし、扇動させ、我が物顔で今の地位をその物にしている。今の我々に人を襲う力はないし襲う理由もないという紛れもない事実を隠してな。」
「随分と言ってくれるじゃない?でもごめんなさいねぇ。ワタシってあなたみたいな生意気なのは好みじゃないの。キレイな顔で勿体無いけど仕方ないわぁ…………やりなさい。」
その瞬間檻の床から煙が吹き上がる。
(毒の煙か……!)
「ヴァンパイアにだけ効く特別な物よ。さぁ、トドメを刺しなさい。」
槍を携えた兵士が檻を取り囲むようにぞろぞろと女の前へと飛び出していく。
兵士達は一糸乱れぬ動きで槍を構えるとそのままオレが閉じ込められている鉄格子の隙間に槍を突き刺した。
「フン、人間様に偉そうな御託を並べるからこうなるのよ。」
女は不敵な笑みを浮かべる。
「それにしても楽しみが減ってしまったわ。リアス、今日のディナーを豪華にするようシェフに頼んで。」
「かしこまりました。エリスお嬢様。」
エリスと呼ばれた女は執事のリアスに指示を出し部屋を後にする。
「全く……我々の事を知った気になってふざけた事を……」
エリスはため息混じりに言いながら部屋を後にしリアスは扉を閉め切った。
「なっ何……?」
それから幾らかの時間が経った。
「ひどい煙だったなぁ……」
オレは目の前にある鉄格子を曲げ中から出る。
しばらく進んでいくと何か地面とは違う感触を感じる。
「おっと……踏んでしまった。すまない……」
よく目を凝らすとそこには先ほど倒した兵士の手を踏んでしまっている事に気がつく。
慌てて足を払いのけ壁沿いに向かうと煙を手で払いながら窓を探す。
「ここか。」
オレは即座に窓を開け部屋の空気を逃がす為手を振り回しているとしばらくするうちに視界が晴れてきた。
オレは目の前に倒れる兵士達を眺めしばらく考える。
「わざと捕まったまでは良いとして……ここからどうしたものか。ここまで派手にやるつもりは無かったんだがなぁ……」
オレは兵士の1人を見る。
「ひとまずはこの屋敷の事を調べなければ………」
「へぇ〜そんな奴がいたんだ。姉さんがそうやって褒める位なら、本当にイケメンなんだろうね……」
香草焼きのチキンソテーを口にしながら青髪の青年が呟く。
「えぇ。ペットにしてあげても良かったのに。まぁ、マハン、アピス?あなた達も口の効き方に気をつけなさいという事よ。」
「はーい!」
黄色い髪のマハンという少女は元気はつらつな返事をする。
「分かってるよ。」
(姉さんのペットか……想像もしたくないな。)
青髪の青年であるアピスは冷静な口ぶりで応える。
「なぁにペットなんて甘い事言ってんだよ。構わず殺しゃあ良いんだよ。」
骨付き肉にかぶりつきながら語るのは筋骨隆々な大柄な男だった。
「ダイト兄さん……」
彼が話した瞬間、食卓に僅かな緊張感が走る。
「アイツらはこの世界の癌。何年経とうが奴らの先祖が行った罪が消える訳じゃねえ。アイツらこの世から一匹残らず根絶やしにするのが俺達が世界にいる理由だろうが。」
朱色の髪を短く切り揃えているダイトは肉と共に酒を流し込む。
「……そうね。兄さんの言う通りよ。それにしても、リアス、今日の食事は最高ね。」
エリスは話題を変えようとリアスが用意した晩飯の内容を褒めだす。
「確かに。今日のは味のキレが良いと感じたよ。その上ボクは季節の香草のチキンソテー、マハンはマトンのミルクスープ、エリス姉さんは生ハムのカルパッチョ、ダイト兄さんはトマホーク。ここにいる全員の好物が出ているまるで何かの記念日みたいだ。」
「でもいーじゃん!好きなものおかわりし放題で、ハッピーだしぃ!」
「お前……何考えてやがんだ?」
あっという間に肉を食べ終えたダイトがリアスの方を睨みつける。
「何って…………最後の晩餐には最高の料理を提供したいという執事としての想いでございますが?」
リアスがはにかみながら言う。
「……時は来ました。今までこの家に支えた事はワタシにとってありがたき幸せ。当初の目的を考えれば今の食事に毒を入れねばならぬのにワタシは最高級の食事を提供してしまった。」
(皆様……ありがとう。)
リアスはエリス達を一瞥し背を向けその場から走り去る。
「アピス、マハン追え!」
「「了解!」」
ダイトは2人の弟と妹に指示を仰ぐ。
そして奥の部屋からけたたましい爆発が巻き起こる。
「ダイト様大変です!屋敷内に侵入者が!」
「エリス様!先ほどの処刑部屋を確認しました所、檻がへし曲げられ窓が開いており、1人の兵士の装備が全て剥ぎ取られていました!」
「被害は甚大!兵士の格好をした人物が暴れている模様!」
部屋には次々と兵士達が報告にやって来る。
「エリスお前…………」
ダイトはエリスを睨む。
「ち、違うわ!ワタシは間違いなく奴を処刑した!そらよりこんな言い争いをしている暇は無いでしょう!」
「分かってる。さっさとゴミ共を始末するぞ。オレは屋敷の西側をまわる。お前は東側だ。」
「わかったわ!」
(クソ、あの男、の手で絶対に殺す!)
目を血走らせながらエリスは部屋を後にした。
「リアス様!現在の状況は……うごっ!」
「リアス様?一体どういう…ぐは!」
リアスはすぐさま駆け寄ってきた兵士2人をいとも容易くあしらう。
「全く、どれだけ暴れているのやら………」
リアスは兵士の顔を見る。
(コイツは確か東側を担当していたな。そしてワタシがこの通路に出てすぐ返事をかけた。アイツが兵士の多い所にいる事は明白。そしてこの兵士の区域と処刑部屋からの距離を考えると……)
リアスは思考をしながら目の前にくる兵士を蹴散らし、迷う事なく広い屋敷内を直走る。
そして
「やはりここにいたのか……同胞よ。」
「同胞……まさか。」
2人のヴァンパイアは気を失った兵士達の山の中で目を合わせる。
「あの時助けてくれたのは思い込みでは無かったんだな。ぶっちゃけこの程度の雑魚の集まりなんてどうとでもなったが煙は予想外だったからさ。」
オレはあの時の事を回想する。
────
「それにしても楽しみが減ってしまったわ。リアス、今日のディナーを豪華にするようシェフに頼んで。」
「かしこまりました。エリスお嬢様。」
エリスを背後に向かせリアスは部屋の扉を閉じる直前リアスはオレの目を見て確かな笑みを浮かべた。
「なっ何……?」
オレは最初意味が分からなかったが少し冷静になり意味を理解する。
そう、彼の見せた笑顔。
それはヴァンパイアが同胞にのみ見せる表情。
口を横に開きヴァンパイアには必ず生えている八重歯を強調するように口部分を僅かに向ける“ヴァンパイアスマイル”だった。
その意味は“あなたの幸せを願います”。
この時オレは彼が吸血鬼、しいては同じ志を持つ仲間である事を悟る。
そして幸せはすぐ訪れた。
「!」
オレの体は即座に黒い膜に包まれ毒煙と槍の同時攻撃を防ぐ。そして黒い膜は部屋中の煙を即座に吸い込み煙を無にしてしまった。
「アンタの能力なんだな。あの黒い膜は。」
「かつての吸血鬼が蝙蝠に変身する能力の応用ですよ。体の一部を別のものに変化させるというね。」
「なるほどな、ありがとう。」
「…………見つけたぞ。」
その低い声響いた瞬間部屋の空気が重くなる。
「よくもまぁこれだけの事をしでかしてくれたじゃねえか。」
ダイトはオレ達を睨みつける。
視線を見るだけで喉がカラカラしてくるほどの威圧感。
人間が出せるものなのかと考えたくなる程だった。
「アイツは…………」
「ダイト様。このヴァンパイアハハンターの一家であヴェルアムス剣の長男にして次期当主。その実力は既に当代の実力を超えていいます。」
「話してる暇はねぇぞ!」
ダイトは爆誕をオレ達に向かって投げつける。
その投擲スピードは尋常ではなく避けるのに精一杯だった。
「おい、お前の主人、随分危なっかしい奴だな!」
「えぇ。今日は好物をディナーに出しましたから、すこぶる快調でしょう!」
「何をやってんだ!」
「マハンとアピスを向かわせた筈だが奴らはどうした?」
「ワタシはヴェルアムス家の執事ですよ。あなたが物心つく頃からこの屋敷にいる、そしていくら物心着いた頃から訓練を受けているとはいえ、子供2人を巻くことなど容易ですよ。」
「そんな昔から……?何で?」
オレは思わず尋ねる。
「この一族の殲滅の為。でも次第に情が湧いてしまいこの通り…………」
「なるほど。アンタもオレと同じ志を……」
爆弾の雨をなんとか避けながらオレとリアスは顔を見合わせる。
「君の顔はまるでこの家に来た頃のワタシを想起させる。名前は?」
「ミュート。」
オレは彼に名を名乗る。
「てか、どうする?アイツにどうやって攻撃を……」
「ミュート君、ではワタシが右手で示す方向に動いてください。奴の爆弾の軌道に関係なく、ね?」
「分かった。」
オレは半信半疑で彼のいう通りにした。
───
「ありがとう。キミの力は素晴らしい。先ほどの指示をやり遂げられるとは思いませんでしたよ。」
「いや……オレは自分の力不足を思い知ったよ。戦う時にアンタ程に頭を回転させる自信がない。」
オレ達は先ほどまで屋敷だった瓦礫の山の上に立っていた。
「まさかアンタの指示した方向が爆弾が当たることで屋敷を効率的に崩壊出来る位置だったなんて……いざ動いてる時は思いもよらなかったよ。」
「えぇ。ワタシは執事。この屋敷の構造など勝手知ってる物ですよ。ですがこの屋敷で仕事をする内に体は鈍り、何より愛着が湧いてしまいまして。ミュート君。キミがいなければこの作戦は遂行出来なかった。」
そしてオレ達は歩み寄った。
「ありがとう。」
「こちらこそ。」
オレ達は固い握手を交わす。
眩ゆい朝日がオレ達を照らし目を合わせたオレ達は互いに背を向ける。
「我々がこの一族のご子息様を葬った事は直にこの一家の当主に伝わるでしょうからすぐここを発ったほうが良いでしょう。」
「うん。オレもそうするつもりだ。リアス、アンタは?」
「この屋敷の後始末をします。執事としての、最後の仕事をです。」
オレはリアスの背を見やる。
彼は服の襟を正し、汚れた手袋を付け替えそのままでこぼこの瓦礫の上を真っ直ぐと歩く。
「ここの上をそんなぴっちり歩く体幹があってとかマジかよ……オレも精進しなくちゃな。」
オレ、ミュートは朝日を背にその場を飛び出した。
リアス、リアスさん。また会いましょう!
───
「うっうぅ……屋敷が…こんな事にぃ……」
「エリス様、どうされたのです?」
「お前は!?」
ワタシは瓦礫の山を降り、屋敷の周りを散策していた。
「エリス様、すぐに換えの衣装を用意いたします。そしてすぐに手当を」
「黙れ!」
ワタシはひどい剣幕のエリス様に頬を叩かれる。
「今更執事ごっことはいい度胸ねぇ?いいわ!そこまで地獄に行きたいって言うのなら、お望み通りにしてあげる!」
そしてエリス様は刀の鞘を抜き去りワタシ向かって切りかかる。
「エリス様、剣先が乱れておりますよ。」
エリス様が力一杯振り下ろし放った斬撃はワタシの二本指に阻まれ、そのまま力を失ったのです。
「ウッウソ…………」
エリス様は目の前の光景が信じられないと言うようにわなわなと震えだしました。
彼女は口をぽっかりと開けながら充血した目から大粒の涙を滴らせてそのまま動かなくなってしまいました。
この屋敷で二十余年。エリスには十九年。
この屋敷で執事をやって来てエリス様のこの様な顔を見た事は初めてでした。
強いていえば、10歳の時にペットの雌猫マリルが死んだ時に近い顔をしていた記憶があります。
「焦っておられるのでしょうか?いつにも増して無駄な力が入っていますよ。ワタシは貴女の稽古を横から眺めるだけで直接剣を受けたのは今回が初ですが、この様な攻撃を出すほどの実力ではない筈です。」
ワタシは淡々とエリス様に語りかける。
「エリス様?エリス様ー!」
ワタシは何回も呼びかけるが肝心のエリス様の返事が返って来ません。
「……そうですか。では仕方ありませんね。」
ワタシは変えたばかりの白い手袋をエリス様の真っ赤な血で染め上げた。
「エリス様…………貴女というお方は体の中までお美しい…………」
ワタシは彼女の死体を抱き抱え心臓部分に開けた穴の中とエリス様の顔を交互に眺める。
涙を流している事にも気づかずワタシは何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もそう繰り返した。
「……!」
やがて陽の光が視界を遮った所で正気に戻る。
腕時計を見ると時刻は十時半を回っていました。
エリス様の死体もある程度血が抜け落ち、死後硬直が始まっていました。
ワタシが抱き抱えたせいでエリス様の屍は実に不恰好な姿での最期となってしまった事に気づき、ワタシはまた一筋の涙を流すのでした。
「ダイト様、マハン様、アピス様、あなた方にもこうして最期を看取りたかった。」
ワタシはそう言い残し屋敷から離れる様に歩き出しました。
ワタシはヴェルアムス家というヴァンパイアハンターの一大勢力に執事として、自分で言うのも何ですが献身的に支え、自らの手で牙城に鉄槌を下しました。
ワタシの心中はどうなってしまうのでしょうか。
今は自分でも驚く程に冷静ですが、これほどの出来事の衝撃はこの程度で終わる筈がありません。
明日から心の整理はつけられるでしょうか。
少なくともワタシはこの命尽きる最後の時までこの屋敷で過ごした瞬間を一秒たりとも絶対に忘れない。
そう、固く心に誓ったのです。