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赤い常夜灯

 夜の山道からトンネルに入り、出現しては走り去っていく赤いライトの連続を助手席から眺めていた。会話が尽きて運転も代わってやれない僕はそうしているしかなかった。だから窓からみえる景色の変化には、この二人しかいない車内では一番敏感だったはずだ。僕は赤いライトのパターンが一瞬だけ崩れたのを見逃さなかった。だが見逃さなかったからといって、それはあまりにも些細過ぎるので特に取るべき行動はなく、ただ二人のあいだには疲労の臭気が漂い、車は無問題にアクセルの維持されるままトンネルを走り続けた。次第にトンネルから明かりが取り除かれていった。道路は壁の迫りくる洞窟へと突入した。そして車は減速し、まだ頭に赤いライトがチラついていた僕は一人で洞窟の悪路を歩いていった。すると洞窟の出口は思ったよりも早く、見えてきた光の方へ従えばそこは森の中の空き地へと繋がっていた。洞窟を出てすぐのところに、分流に分流を重ねたような小規模な川が流れていた。その川を挟んで向こう側には簡素な建物があった。建物はこちらに向いた一方向だけ壁が開け放たれ、僕のいる地点からでも中の作業台や並べられたフラスコや試験管、発電機とそれに接続された大型の機械、川付近に至るまで散乱した書類などすべてが露出して見えていた。

 その壁の空いた建物は何かの研究施設であるらしく、そこから太いケーブルが伸びているのを目で辿っていくと、僕の出てきた洞窟の奥へと続いていることに今更になって気づかされた。頑丈なケーブルを足で軽く転がしてみたあと、僕は川を跨ぎ、屋根の下へと入った。

 ここには僕には用途が分からないものばかり置かれていた。しかし机の上に鱗の鮮やかな川魚が落ちているのを見つけ、その魚は注射器を咥えたまますでに死んでしまっていた。魚の死体に触るのはためらったが、興味はあるので試しに注射器を抜こうと引っ張ってみると、そこには案外強くしても魚の口が離さない謎の吸着力が発生しているようだった。もしも魚が生きている間にこの注射器を吸い付かせておいて、殺せば、死後硬直によってこの状態が保存されるのだろうか。僕には疑問だけが生じて、答える知識についてはまったく欠けていた。とにかくこの川魚と注射器の組み合わせは奇妙としか言えなかった。

 背後で葉や草の鳴る音がして振り向くと、一人の女が僕を見て立っていた。女の顔の下半分は茶色いガスマスクによって覆われている。だがマスクの接続先には何にも繋がっておらず筒抜けであるため、それはすぐに伊達であることが分かった。これだけの情報を僕が整理するあいだに女は何を考えていたのか、至って冷静なまま川を跨いでこちらへ近寄って来るのだった。

 「……。」

 相対して起こったことは互いの沈黙だった。女がただ僕の前に立ち尽くしているのは警告なのか、単に感情として怒っているのか。わざわざ近づいてきたのだから恐れているわけではなさそうだ。ガスマスクの上に浮いた女の目は、まるで僕の表情を見ているというよりも、むしろその表面の裏に走る電気信号の一つ一つを読み取っているという風である。反対に女の表情についてはガスマスクによって顎から鼻までの部分がきれいに覆われていて、僕は咄嗟に口をつぐんでしまうような威圧感にさらされていた。

 お互いに黙り合っている時間は各々、この相手にどう対処するのかを勝手に考えていたのだろうか、先に行動に出たのは彼女の方だった。女は何も言わずに自分の右手を一本、全ての指を伸ばした状態でこちらへ差し伸ばしてきた。それを受けた僕はというと、伊達のガスマスクという拍子抜けな事実が発覚していたものの、そのあとに向けられた眼差しの鋭さによってどうしても女への警戒が解けないでいた。だからこそ彼女のとったこの動きは酷く突飛なものに映った。そして長い1秒を噛みしめたあと、僕は女の出したその手に対して同じように自分の右手を差し出していた。だがこれは単純に握手に応じたというよりも、ある種のかく乱を受けたことにより結果として握手が成立しているに過ぎなかった。

 相手にとっては期待したままの出来事が淀みなく発生し、僕にとっては予想外の攻撃が音もなく開始されようとしている。その結末としての握手が完成するその瞬間、それまでは密接だったはずの両者を実は隔てていたその誤差が縮まるのと同時に、森や洞窟や研究所に囲まれる両者の均衡が急速に取り戻されていく……。傍目からみればただ、片方の女に手を握られたことに驚いたもう片方の男が慌ててその手を振りほどく。たったこれだけのことに過ぎないのだが、当人らにしてみればそれは強烈な一撃であり、例を僕に絞って述べれば車中で揺られてみる夢をぶち壊すくらいには十分過ぎるインパクトを持っていた。僕はもたれていた助手席から跳ね起きたと思ったが、実際には自分の思ったほどダイナミックな寝起きではなかったようだった。運転手は一切気にすることなく黙々と運転を続けている。横顔に赤いライトのパターンを浴びると見知った顔が知らない人の顔にも見えた。起きたばかりの耳鳴りは水中の深部から上がったばかりに似て、トンネルの内部を走行する音が筒の壁から壁を往復し、反響に寄って窓を震わせるとどこか温かみを帯びている。見通す限りトンネルの終わりはまだ遠い。気を遣ってボリュームを絞ってくれた曲が車内スピーカーから漏れ聞こえるようで、変わった歌声だと思い視線を運ばせた先の操作モニターに表示されている曲のジャケットデータが、萌えキャラがガスマスクを外す仕草でこっちを見ていた。

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