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Old Tear

作者: 松上遥

 酷な出会いだったと思う。

 黄土色の足がちらつく。目に入ったときには嫌悪感に満ちていた心は、冷たい息を吸い込む、今は、悲しみに満たされている。

 目が似ていた。性格が似ていた。過去が似ていた。おそらく、心も、少し。その人は一つだけ年上だった。

「何か飲みますか?」

 暑い夏の昼間ではなかったと思う。たぶん、秋の終わりごろの夜中か、冬の夕方か、冬の夜深くのどちらかだ。人はその時間に死にたがる。

「いらない」

 知り合って一年もたっていなかったと思う。その人は私の部屋にいて、膝を抱えて床に座っていた。客人に出すクッションは、たぶんなかった。あってもその人は座らなかった。

「ごはんは?」

「いらない」

 たぶん、食べていなかった時期だと思う。たぶん。

 その日、その人が帰っていったのは夜がもっと更けてからだった。

 テーブルには書き散らした紙がいくつも散らばったままで、食べ物のにおいも、コーヒーの香り一つも、あの人は残していかなかった。


 スマホのアラームの音は「レーダー」とかいう名前だ。いつも近所迷惑にならないうちに、布団の中からスマホを発掘する。以前私はどうもうるさくて、大家さんに怒られたことがある。隣人にも挨拶をする前に引っ込まれてしまう。

 1分間呆けていると、テレビが勝手につくようになっている。これまた大音量なのでどうにか消しにいく。隣のポットのスイッチを押して、湯を沸かしてくれている間に洗顔を済ませる。戻ってきてコーヒーを淹れて、朝食の菓子パンとヨーグルトを机の上に放る。ついでにタブレットでYouTubeを開いておく。起きてからここまでで10分くらいだろうか。寝ぼけているからわからない。

 2年か、3年前、私は今と同じ大学生という身分になりたてだった。今と同じ部屋にいたのだが、時期によってその生活の仕方は大きく変わっていた。

 ある時はゴミ屋敷に、ある時はメルヘンにかわいらしく。かと思えばものであふれたのを一掃してミニマリストの部屋みたいになって、今はどうにか若干の汚さに落ち着いた。

 自分がない、と主張する人をたまに見かける。大学だったり、バイト先だったり、小説の中やアニメコンテンツの中に見かける。私もそうなのだろうか。少なくとも、1年前はそう思う人種だった。自分の性格が分からないと主張したし、実際「あなたは~~な考えをしますか」といったアンケートにはうそをついて答える以外分からなかった。


 大学入学は夢をもって。夢破れて。将来のために。若い皆さんの芽生え。

 私はその辺の言葉が嫌いだった。私は虐待から逃れるために進学した。お金は形だけ出してくれる幸運な星のもとに生まれたので、実家から遠い大学に進学した。

 自由だった。

 夜遅くに外に出ても、怒られない。勉強をしていても小言を言われない。夜は殴られず、けられずに寝ることができる。それだけでもよかったと、今なら思う。それ以上を望んだから、余計な苦労を被った。


 その人にはサークルで知り合った。そもそもそんな場所に行かなければよかった。趣味の一つでやりたいのなら大学以外の場所にある他を当たればよかったし、本気でやりたいなら退学でもしとけばいい。それなのに、当時の私はそれがすべてだった。素直に、好きだと、言っていた。嘘はついていなかった。

 目が似ていた。

 今の私は時々、その人の目をすることができる。今の私は、当時のあの人の年齢を越してしまったけれど。

 その人が、私と似た目で、話し方で、「自分が嫌いなの」といった。この瞬間から、もう元には戻れないところに、のぼってしまっていた。


 近頃の私は少し不健康だ。週に2,3回、別々の病院に足を運ぶ。他人が見たら立派な障害者かもしれない具合に生きている。去年は精神の軟弱さと成人したての浮いた気からアルコール(もちろんエタノール)に逃げた。おととしは薬の副作用に足が不自由になった。その前は、このくすぶった感情にうちのめされていた。

 手の中でウイスキーに氷が解けた。きし、きし、と時々鳴く。あの人も成人したばかりの年はチューハイをやたらに飲んでいた。私はバイト先でハマったウイスキー。今開けているものも、バイト先で自分用に仕入れてもらったものだ。持って帰ってちびちび消費して、もう2年もたった。

 変なところばかり似ている。アルコールにはまりやすいのもその一つだった。大本はうつろいやすくて、頼れそうなものに頼り切ってしまいたくなる衝動かもしれない。知れない、というか、知らない。あの人の本当の気持ちなんてあの人もわからない。でも、行動が結局似ているから、ほら見なさいと言いたくなる。言わないけれど。


 私はその人のことを好いていたのに、その人は年上の人たちに夢中だった。私が年上のその人を好きで、その人は年上の他の人が好きで。似ているならば、その好みが自分に向かないということだった。飲み込んだ理解は苦い。今飲んでいる薬よりは苦くない。

 私はちょうどいい存在でいようと努めた。好きだから、文句は言わない。どんな時間に連絡が来ても、本人が来ても、こちらがどんな状態でも。その人が求めたいなんて思っていない私を、都合よく使ってくれたらそれで十分だった。むしろそれ以上を望むのはただの阿呆だ。


 濃い飴色をしていた液体が、氷を砕いて薄く、冷たくなっていく。氷を壊したのは液体であるウイスキーの方なのに、結果的に薄まって、弱る。エアコンが効きすぎた密室の中で、味はどんどん薄くなっていく。それでもそれはあなたのせい。

 酔うと人は、電話をしたくなるらしい。好きな人の声が聞きたくなるらしい。あの人にはそんな相手がいた。私にはいない。

 澄み切ったはちみつ色の中で、意地汚く、きし、きしとまだ泣いている。


 アルコールで腹が減ると思ったのに、まったくだった。

 午後7時半が溶ける。


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