夜分遅くにフジヒラ
深夜の県内某所。全国的にチェーン展開しているファミリーレストラン。淡緑の内壁に囲まれた空間に、収入の為に惰性で増やした作業をこなす店員と、嘆息を鼻腔から垂れ流す客がそれぞれ独り。
流行りの芸能人のマネをして、前髪と毛量を六対四で分けたアシンメトリーな茶染めのヘアスタイル。同性年代の平均よりも細身で、吊られた目尻に低めの鼻根。頬が痩せこけて見えるけど、それは節約生活の煽りを受けたせいだ。
ワイシャツに黒ジャケットを羽織り、伸縮性が売りのジーンズとソックスを履き、そのどれよりも高価なスニーカーの片方をつま先に引っ掛けて待つ、夜間行動の割には身嗜みを整えて来た、お客のフジミヤは嫌味ったらしくぼやく。
「……遅い、向こうから誘っておいて何したんだ」
なけなしのお金で適当に頼んだコーヒーを含みながら、どうでもよく入り口を見る。
そこには誰も待ち受けていない受付と、審美眼が皆無なせいで、その価値がある意味でプライスレスな絵画が立て掛けられている。
どちらも興味惹かれないけど、取り敢えずで絵の方をぼんやりと睨んでいたが次第に飽きて、微妙に緩衝する座席へと身体を預けた。
テーブル席、角側、なのに番号は二番。市街地が一望出来る窓枠から離れてはいるが、用事のないドリンクバーは直近。
テーブル上にはコーヒーが半分くらい入っている白塗りのカップ、手を付けていないメニュー表と割り箸入れ、季節限定のごり押しが凄まじい冷製二大パスタのクリアチラシがあり、フジミヤは限定の誘惑に拐かされ負ける。
チラシを抜き取り、裏側が真っ白な事に虚しくなりつつも、もし頼むなら煌びやかなウニソースの海鮮パスタか、低カロリー健康思考なトマトベースの野菜パスタかなら迷わず海鮮だなと思い値段を比べ、世の中そんな単純に選択してはいけないと知る。
「……値段が四百円も違うとか、ニートには世知辛いな、おい。というか同時展開でここまで差を付けなくてもいいだろ」
「愚痴を言うのは勝手だけど、人様へ聴こえてしまうように言うのは感心しないよ、フジミヤ」
「え……——」
真横から唐突に口を出してきたのは、地毛のプラチナブロンドのワンポイントテールを揺らし、パーツごとの比率が良くナチュラルメイクでも十二分に映える美貌だとフジミヤからの角度だと少し髪に隠れているけど分かる。
ラベンダーカラーのシアーロングシャツにホワイトのプリーツロングスカート。その上から藍色のノースリーブワンピースを重ね着てヒールサンダルを履き、ポーチを肩掛けているヒラナカが憮然としている。
「——ヒラナカ。こんな真夜中に呼びつけておいて随分と遅かったな」
「まだ愚痴が続くの……しつこい」
「はぁお前……俺が寝てるのにいきなり電話掛けて、ここのファミレスに来いだけで切りやがって。急いで来たら来たでいねぇし、戸惑って挙動が不審になった自覚があるわっ」
「私、待ってるなんて言ってないでしょ?」
何を勘違いしているのと言いだけに、ヒラナカは首を傾げる。この微妙に腹立たしい面持ちが、フジミヤはなんでか嫌いにはならない。
「ああ、言ってないけど——」
「——なら良いよね。なんでそんなに拗ねてるの?」
「何が良いんだよっ、なんにも良くねえよ! お前のぼそぼそした声で理由もなしに通話時間三秒だぞ三秒。寝起きでよく聴き取って来てくれたと感謝して欲しいくらいだ」
「……図々しい」
ヒラナカは肩掛けていたポーチを先に奥へ置きフジミヤと対面するようにして、臀部にかかる衣服をしわにならないよう、両手で払いながら座る。
それを見計らったように、意味もなくテーブルを拭いて回っていた店員が颯爽と現れる。
「ご注文は如何なさいますか?」
「あっ……あの方と同じものを」
ヒラナカがフジミヤのコーヒーカップを指差す。
ネイルカラーが僅かに淡く映る。
「なんだその他人行儀な言い方は?」
「えっ、いつから身内になったの? びっく——」
「——アイスコーヒーを、お一つですね」
お互いの疑問をぶった斬り、店員が語勢をやや強めて注文の品を述べ、ハンディに入力後一礼して去って行く。面倒な客が来たと態度で露わになっている。
「……」
「睨み付けないでくれる? いつもいつも」
「生まれつき目つきが悪いんだよ。あと睨んでるんじゃねえ呆れてるだよっ。お前の我儘さにな」
「……私はフジミヤの方が我儘だと思うよ。昔から宿題見せろとか、パソコン貸せとか、スイーツを半分ずつと言いながら大きい方取っていくとか、ね?」
全部心当たりがあると図星を突かれ、フジミヤは一瞬だけ硬直する。しかも昔からと言いながら例に挙げたものは全てここ数ヶ月の出来事で、こんなの諸悪の一端でしかないという含みがある気がした。
「そ、それは今関係ないだろ」
「私にはある。こういう事、一回くらい許容してくれても良いでしょ……そういう気分だったから」
神妙な口調になるヒラナカ。
「……」
思考を整理する。もしかしたら止まれぬ事情があったのかもと、その場合を考えていなかったと、フジミヤは悔いる。
二人の仲は始まったのは苗字の関係で、出席番号が近く座席が前後ろだったことだ。自己紹介でその苗字をヒラナカが呼ぶ際、抑揚がまるでないのに透明度だけはやたらと高い小声をフジミヤが気に入り、見た目から着想を得て異国風に口調を真似ようとした。ここからの言い争いで、意外にも話が膨らんでしまった事に起因する。
それからもう、かれこれ五年以上の付き合いだ。男女の隔たりが然程なく、かといって交際関係に至る訳でもなく、他愛のない付き合いをして来た。
けれど、いつまでも続くとは何事も限らない。
「そういう気分って……なんだよ?」
「言っていい?」
「ああ」
「フジミヤの困った顔を拝みたい気分」
フジミヤはヒラナカの意見を真剣に聴こうとした五秒前の自身を殴りたい気分になる。
「お前ふざけんなよ」
「ふざけてなんてないよ? 寧ろ真剣そのものかな」
「なお悪いわ」
「うーん……まあ、間違ってはないんだよね」
コーヒーの液体が波打つ。一つはフジミヤが体勢を変えた事でテーブルが揺れ、もう一つは店員が持って来る際の弾みだ。
「「…………」」
お互いを見つめ合う時間が流れる。だれど、ヒラナカは言わない。本当はフジミヤの姿を突然見たくなり、準備万端の状態で呼んだことを。
されど、フジミヤは言わない。大方の察しが付いた上で、ヒラナカから騙されに行ったことを。
今日も二人は退屈な日々を潰し合う。いつか疎通する、内心を理解し合う後も暫く続いて行く。