それを為せる可能性がまだ残っている人生で最後のタイミング
「異世界転生はこの世で考えられる最高の物語形式である」
杖を突きながら放った言葉が周囲に響く。
赤黒いスーツに身を包んだその男は、老齢と呼ぶにはまだ早いが、壮年期は過ぎた容貌。
薄暗いその場所で、だが年齢を感じさせないような力強さで言葉は紡がれる。
「異世界に転生く事はかつてとても容易だった」
「物心ついた頃なら、寝しな親に聞かされる異国のおとぎ話だけで良かった」
「それだけで異世界に転生けた」
「だが残念ながらいつまでも同じ方法で異世界に転生く事は出来ない」
「何故なら人は情報を蓄積する事によって成長する生き物だからだ」
「それがつくり話だと気づいてしまう閾値を経験が上回ると、その手段では異世界に転生く事は出来なくなってしまう」
「だが幸いな事に、この世にはその閾値を更に上回る手段はいくつもあった」
「それだけで異世界に転生けなくなったら、積み木とブロックと空き缶を城と兵士に見立てているだけで良かった」
「それだけで異世界に転生けた」
「それだけで異世界に転生けなくなったら、図書館に置いてある本を端から読んでいくだけで良かった」
「それだけで異世界に転生けた」
「それだけで異世界に転生けなくなったら、コントローラを掴んでモニタの中の勇者を動かしているだけで良かった」
「それだけで異世界に転生けた」
「それだけで異世界に転生けなくなったら、回線を繋げ、ヘッドセットを被り、地球の反対に住む人と剣を振り回していれば良かった」
「それだけで異世界に転生けた」
「しかしそれだけで異世界に転生けなくなった時、もう次の方法は無かった」
「それがその時の私に可能な、この世に用意されている手段の全てだったからだ」
「途方に暮れた。異世界に転生く事が叶わないのであれば、これ以上生きている意味など無い」
「だからありとあらゆる可能性を模索した」
「その果て、人生に残された時間に、出来る事全てを注ぎ込み、倫理を捨てて出来る、唯一で最後の方法がこれだった」
杖に載せていた手がゆっくりと目の前のスイッチに伸びる。
「だが間違いないのは、これを行わないという選択だけは無いという事だ」
ほんの少しの逡巡の後、それでも押す。
それは一度始めたらもう後戻りは出来ない最後の物語の幕を開く為の物だった。