婚約者の仕事を手伝っていたはずが、なぜか越権行為として婚約破棄されました
「私はキアラとの婚約を破棄する!」
私は婚約者であるヨハン様にそう告げられました。
ヨハン様のエリクソン家と我がナイマン家が集った食事会の場で、唐突に立ち上がったヨハン様が宣言したのです。
突然のことで何が何だかわからない私や両親。それとは対照的に、ヨハン様とそのお父上のラーズ様とお母上、執事のマグナスさんは一様に冷たい目で私の方を見ています。
なぜ、そんな冷たい目を……
おもわず背筋がぞくりとしましたが、婚約破棄の理由を尋ねずにはいられませんでした。
「なぜなのです、ヨハン様。なぜ突然に婚約破棄などと……」
「それはなキアラ、お前が我がエリクソン家の内政に口出しする越権行為のみならず、機密文書を盗み見し、あまつさえ当家の資産を外部に流出させる横領を働いた疑いがあるからだ!」
な……私は、そんなとんでもないことをしたのでしょうか?
絶句する私。
「お、お待ちくださいヨハン様、娘に限ってそのようなことは」
父が私をかばう形で話に割って入ってくれました。
「あなたがなんと言おうと、婚約解消はもう決まったことだ。ノイマン家との付き合いも今日限りというわけだな」
「ヨハン様、せめてもっとよくお調べに……うっ、ぐはっ」
「お父様!」
父が突然苦しみ始め、胸のあたりを押さえてその場に倒れてしまったのです。
「お父様! 誰か、お医者様のところへ運んでください! 誰か!」
渋々といった表情ではありましたが、執事のマグナスさんが他の使用人を呼んでくれました。
男性の使用人が父を背に乗せて部屋から出て行きます。私も後を追おうとしたところでヨハン様が背後から肩に手を伸ばしてきました。
さすがに婚約を破棄しても、知らない仲ではないため父を心配してくれるのでしょうか……そう思って私は振り向いたのですが。
「なあキアラ、悪いことは重なるものだな」
口元に冷たい笑みを浮かべて、ヨハン様はおっしゃったのでした。
◇ ◇ ◇
ナイマン家の一人娘とした生まれた私キアラは、幼い頃から立派な教育を受けさせていただきました。とはいえ貴族の出ではございません。
父は商人として一平民からのスタートでしたが、貿易により一代で財を築く商才を持っていました。ですがお金があっても貴族になることはできないこの世界です。貴族になるには爵位持ちの男性と結婚せよ、なんてことが常識になって幾星霜です。
父が私を貴族に嫁がせることで自らの身分を上げたいと考えるのは無理からぬこと。私自身もそれに加担しているというわけですね。
そしてトントン拍子でエリクソン家の長男であるヨハン様との婚約が決まりました。
私より1歳年上でしたヨハン様。
エリクソン家を継がなければならない立場から、徐々にお父上の仕事を引き継がれてきていました。
最初こそお父上のラーズ様が直接ご指導なさっていたようでしたが、お父上自身のご多忙により指導の時間が取れなくなり、ヨハン様がご自身で担当なさる仕事も出てきたのです。
「最近は仕事が忙しくてね。とにかく仕事が多すぎて終わらないんだよ」
「まあ、おかわいそうなヨハン様。私でよければお話ししてみてくださいな」
ヨハン様と共に時間を過ごしていた際に、よくお仕事に関するご相談を受けました。
私は両親に十分な教育を受けさせてもらい、学校を出てからは父の商売のお手伝いをしていた時期もありました。
差し出がましいかとは存じましたが、その経験を頼りにヨハン様に少しのアドバイスをさせていただきました。
しかしながらこれがまずかったようですね。
やはり私がヨハン様の仕事ぶりに口を出すことをよく思われない方も多かったのです。
ヨハン様のお父上とお母上がそこに該当しました。
「あのキアラはヨハンへのものの言い方がきついみたいだな。あれではヨハンがかわいそうだ」
「夫婦になったら互いに支え合っていかなければならないのに、一方的に上から言っているらしいわ」
「ヨハンもそのような女を妻に迎えては力を発揮できないだろう」
ヨハン様のご両親がこのようにおっしゃっていたと、ヨハン様の侍女からこっそり教えてもらったことがありました。
さすがにこのときは動揺して膝が震え、その晩はまんじりともできなかったことを覚えております。
私は今後はご両親に家族として迎えていただかなければならない立場。時間がかかっても私がヨハン様を支えることで、得られる評価もまた変わってくるはずと信じておりました。
ですが父の仕事の関係で屋敷を訪れていた、造船業を営む豪商の方がこうおっしゃっていたのを部屋のドア越しに聞いてしまい、天を仰ぎました。
「ところでお宅のお嬢さん、エリクソン様のところに嫁ぐんだってね。でもあそこのお子さん、ヨハン様だっけ? ずいぶんお嬢さんのことを怖がっていると聞いたよ」
「な……それはどなたからお聞きに」
父が動揺したのが明らかにわかる声で応じました。
「誰も何も、あそこのお屋敷に商売で出入りしてる者は皆が知ってるんじゃないか? 婚約者の注意の仕方がきつい、いつも怒っている、人格攻撃をしてくる。そのヨハン様も困っているとお父上のラーズ様がおっしゃってたな」
まさか私についての悪い噂を、身内だけにとどめずに外部へ吹聴しているとは……
父が言葉を失っているようでしたが、ドア越しにそれを聞いていた私も顔が真っ赤になっていくのを感じました。目から涙がこみ上げてくるのを抑えられません。
この日のことはショックでしたが、沈んでばかりもいられません。夫となる人を支えるにはどうすればよいか。文献も読みましたし、母や友人など身近な女性からのアドバイスも頂戴しました。
以降もヨハン様にお目にかかるときは、なるべくきつい印象を与えないような対応を心がけていました。
ですがときどきヨハン様からも、ご両親やお屋敷の方々からも私に向ける目がひどく冷たいものであることに気づいたのです。
私はヨハン様を支えながらも、これから陰口を叩かれて生きていかねばならないのですか。
……そんな自己憐憫にふける夜もありましたが、それも婚約破棄により、終わりなのですね。
長くない期間ではありましたが、悩みを共有して解決してきたこともありました。
誓ってもいいです。私はヨハン様がおっしゃったような機密文書の盗み見や横領行為など行ってはおりません。
ヨハン様と共に困難を乗り越えていく決意も芽生えていたところでしたのに、ヨハン様はなぜあんなことを……
◇ ◇ ◇
ヨハン様との婚約解消から3ヶ月ほど経過しました。
倒れた父は当時仕事が多忙だったことに加えて私の婚約破棄が心臓に負担を与えたようで、数ヶ月の療養が必要となりました。
ヨハン様とはそれ以降、一度もお会いできていません。私を追い出したことで満足したのか、横領の疑いという話があったにもかかわらず私への追及はありませんでした。
もちろん割り切れない思いもありましたが、ようやく私も立ち直り、父が不在の間の仕事を手伝ったりして日々の生活を送っていました。
そうこうしているうちに父が回復してくれたことも、私にとっても大きな慰めとなりました。
ある晩の食事中にお父様から、ヨハン様が男爵令嬢のシンシア様と婚約されたと教えていただきました。
シンシア様とは一度パーティーでご一緒したことがありました。優しそうでおっとりとした方。そのときはあまり自分からはお話しにならず、ニコニコとして皆さんの話にうなずかれていたことを覚えております。
もしかしたら私とタイプが正反対の女性を選ばれたのかしら、なんて考えても詮ないことを考えてしまいます。
そんな私にもありがたいことに、しばらくして縁談のお話がありました。
地方の男爵家の嫡男であるアンダース様。私よりも3歳年上でいらっしゃいます。
切れ長の目で痩せ型だったヨハン様とは異なり、スマートさがある方とは言えませんが筋肉質で精悍な顔つきの殿方です。
アンダース様に初めてお目にかかったときに、彼は狩りは得意だが政治や学問の分野はからっきしなので、できたらいろいろと教えてほしいとおっしゃいました。
この申し出を受けたときにヨハン様との離別が頭をよぎり、いつの間にか私の目からは涙がこぼれていました。
狼狽してアンダース様が近寄ってきます。
「どうしたのです、キアラ殿。私が何かまずいことを言ってしまったのでしょうか」
「いえ、アンダース様、実は……」
私はヨハン様との間に何があったのかを、アンダース様に初めて話しました。
途中で私が取り乱してしまうところもありましたが、最後まで話を聞いてくださったアンダース様。さすがに婚約破棄の段に話が及ぶと、顔には怒りの色が浮かんでいました。
「ふむ、それではキアラ殿の名誉が失墜したままではないですか。到底捨て置けません。エリクソン家を訴えませんか。私も共に闘いますよ」
「訴え……」
意外な申し出でした。
ですがこのときは心の準備も何もできておらず、もう少し考える時間がほしいとアンダース様にはお伝えしました。
◇ ◇ ◇
結論が出ないまま悶々と過ごしていたところで、一つの衝撃的な知らせが舞い込んできました。
ヨハン様のお父上であるラーズ様が遠方で客死されたのです。金策のために方々(ほうぼう)を回っていらした際の事故でした。
一時はよくしていただいたこともあるだけに、今は安らかに眠られんことを祈るばかりです。
ですが私の頭には、今後についての強い予感がありました。
アンダース様が息を切らして私の屋敷までいらっしゃいました。
「キアラ殿、エリクソン家の当主が亡くなったと聞きましたよ。もし訴えを起こされるならば相手が弱っている今こそが好機では」
「いえ、アンダース様。考えましたが訴えは不要ですわ」
「えっ……た、確かに相手に不幸があったときに追い打ちをかけるのは好まれないという気持ちもわかりますが」
アンダース様はお優しい方ですのね。ですが私が訴えを起こさないのは別の理由からでした。
「そうではないのです。エリクソン家はヨハン様がラーズ様に代わり当主となります」
「そうなりますね」
「でしたら、エリクソン家はもう衰退していくだけですわ」
だってヨハン様は、仕事が全くできない方なんですもの。
◇ ◇ ◇
あの頃が懐かしいです。
ヨハン様に仕事を手伝ってほしいと言われたときのこと。
その内容は、エリクソン家の領土で採れた作物を販売する契約書をどう読んだらよいのかわからないので教えてくれ、というものでした。
平易な表現の契約書です。私は父の仕事の手伝いで似たような書類を見たことがありましたのでヨハン様にお教えしました。
「ここに書いてあるのが金額で、ここは納品期限、こちらは期限内に納入できなかった際の取り決めですね」
「あー、よくわからないな。キアラ的にはこの内容で問題ないってことだろ?」
「問題ないかとは存じますが、ヨハン様ご自身でご確認いただかなければ……」
「よくわからんしいいや。後でサインしておくから置いておいて」
そして後日、大きな問題となりました。
ヨハン様は契約書の署名欄になんと『キアラ・ナイマン』と私の名前を書いて先方に送ってしまったのです。
お父上のラーズ様がお客様に平謝りされたそうですが、思えばあの頃からラーズ様は私がヨハン様を唆したものと疑っていらしたのかもしれませんね。
ヨハン様の仕事ぶりは、一事が万事このようなものでした。
書類関係の誤記も多いです。ひどい場合には日付の欄に名前を書いたりされました。
保管場所が決まっている書類も別の場所に入れてしまいます。
家臣の名前を忘れて違う名前で呼び続けたり、お父上から指示された事項を直後に忘れたりしていました。
お客様を食事が美味しいお店へ連れて行くと先頭に立って張り切るも、場所を覚えておらず大人数で彷徨い続けたこともありました。
これらをヨハン様はいたずら心でやっているわけではなく、全て真面目にやっているのです。それに気づいたときには背筋が寒くなりました。
だからこそ婚約者として私から種々のアドバイスをさせていただきましたが、徐々にそれも鬱陶しくなってきていたのでしょうか。
そしてヨハン様とご結婚されたシンシア様。
おとなしそうで男性を立てる姿勢が印象的でした。ですが言い換えれば消極的、ないしは責任回避の姿勢とも思えます。
ヨハン様のような、責任を他者に押しつける性質の方のおそばには、何が優先で何が大事かを判断して導いてあげられる方が必要かと思うのですが……ヨハン様ご自身がそれを望まれなかったのでしたわね。
そんなお2人が支え合っていけるのでしょうか、そしてヨハン様はエリクソン家当主として、あのいい加減な仕事ぶりでやっていけるのでしょうか?
思うに私が横領などの疑いをかけられて婚約破棄されたのも、ヨハン様が何か失敗をしでかしてそれを私の責任としてご両親に伝えられたのかもしれませんね。
もはや意味のないことではありますが。
私ですか? アンダース様と結婚して、毎日よくしていただいております。
アンダース様はお仕事の重要な部分を私に任せてくださいます。私はつたない知識ではありますが算術の面で資料作成や立案を任されるという栄誉に預かりました。
このほど異国から伝わった簿記についてもいち早く取り入れたことがお役に立っているようで、父の元で勉強した甲斐がありました。
女である私に仕事の手伝いを頼むことを決めたアンダース様について、世間ではあまりに進歩的すぎるという誹りの声もあるようですが、私からすると立場にかかわらず能力をしっかりと評価し、取り立てくださる度量を持った素晴らしい方ですわ。
また、ご自身に不得手な分野は誰であろうとアドバイスを求めることができる器量もお持ちです。
結果的に婚約破棄されてよかったのかしら……そんな物思いにふけっているところへ、来客のようですわね。
エリクソン家からいらしたと、えっ、ヨハン様ご本人が?
お久しぶりですわねヨハン様。えっ、シンシア様と離縁されたのですか。それで私に、ヨハン様とよりを戻してくれないかと?
いえいえ、私はヨハン様に婚約を破棄されて、今はアンダース様の妻なのですよ。申し訳ありませんが承りかねますわ。
えっ、エリクソン家が執事のマグナスさんに財産をだまし取られた上に、領土を侵略されているが家臣が待遇の不満により働かず、しかも領民が税金をごまかしているようですがその確認も取れていないと。
そうですか、悪いことは重なるものですわね……
お読みいただきまして、ありがとうございました!