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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

籠に滴る

作者: ライまない

怪異払いの日々に追われる柳一は、ある日の昼飯時に奇妙な噂を耳にする。

同業者の友人から依頼を受けた彼は、薄暗い路地裏へと踏み入った。

 息を吸って、吐く。

 たったそれだけの動作が、これ程までに痛みを伴うとは知らなかった。

 透明な空気が喉を焼きながら取り込まれ、肺の隅々まで侵し尽くす。

 1つだけ与えられた命の蝋燭は、その身を溶かしながら生命の灯火を輝かせる。

 だが、それも一時しのぎに過ぎない。

 小さな体を苦痛によじらせた彼女に応える者はいなかった。



 ◆



 ふぅ、と重い息を吐きだし、眼前の暗がりを見つめる。

 彼女の名は、深水宮(ふかみや)千代世。

 ごく普通の女子高校生な筈の彼女がいる場所は、大通りから外れた裏路地だ。

 どれ程楽観的に考えたとしても、うら若き少女が無事に帰れる保証はない。

 だがそれでも、彼女は危険を顧みずに暗闇へと足を踏み入れた。


 瞬間、全身からごっそりと血の気が引いた。

 先刻まで辟易する程に鼓膜を鳴らせていた喧騒が、ぱったりと途絶えている。

 どれ程入り組んだ構造の路地であっても、この明らかに異常な現象を意図的に引き起こすことは難しい。

 決意の彼女が踏み入った先に潜んでいたのは、息遣いも掻き消す静寂だった。

 突如として湧き上がった恐怖に、足が竦む。

 しかし、闇に飲み込まれた彼女には次の行動に移る猶予すら与えられなかった。

 気配を感じて恐る恐る振り返ったその瞳に映ったのは、


 死体の如く白い顔をした青年の首だけが宙に浮かぶ姿だった。




「ヒッ……!」


 度重なる怪奇現象を前にして、ようやく悲鳴に満たない声がこぼれる。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 真っ白な顔が、力が抜けてへたり込んだ彼女をぎょろりと睨みつけたのだ。

 最早、少女の自我は崩壊寸前である。

 崩れかけた精神を繋ぎとめたのは、何と目の前に浮かぶ男の声だった。


「君!!大丈夫か!!!!!」


 至近距離から大音量で発せられた男の声は、静寂に慣れ始めていた少女の三半規管に甚大な衝撃を及ぼした。

 生命の危機すら感じさせた無音の世界から解放され、それを上回る程の物理的なダメージから彼女が回復したのは、更に数十分後のことだった。



 ◆



「いやはや、いきなり大声を出して申し訳ない」

「そう思うなら黙ってて下さい」


 混乱状態から復活した深水宮は、生首の男が単なる人間だったことに安堵した。

 誰も来ないような裏路地で2人きりになっている現状はまずいが、自然と彼に安心感を覚えてしまったのも事実だった。

 男の身なりはかなり異質で、レザー製だという漆黒のジャケットとズボンに身を包み、足には厚底靴、手にはまたしてもレザー製の黒い手袋をはめている。

 夏の生活が心配になる黒一色の格好が、路地に満ちた暗闇に溶け込んでいた。

 生首と勘違いした首から上には、やはり死人のように不気味な白い肌が目立つ。

 それを引き立てる灰色の髪は、手入れをしていないのか無造作に伸びたままだ。

 あまりに長い前髪は顔の右半分を覆っており、残った左の青い瞳には生気がこれでもかと溢れている。

 腰程まで流れる茶髪と高校の制服という自分との情報量の違いに、彼女の頭がパンク寸前になるのも致し方ないことだろう。


「あーもう…頭痛くなってきた」

「ところで、俺はまだ君の名前を聞いていないんだが」


 そんな彼女の気も知らず呑気に自己紹介を求めてきた男に、少女の頭痛は増すばかりだった。


「…深水宮(ふかみや)千代世です」

「そうか、俺は柳一(やなぎはじめ)だ。よろしくなチヨセ君」


 初対面の人間に平然と握手を求めてくる男の姿が、彼女の神経を逆撫でる。

 こんな男と話すのも癪だったので、無視を決め込んで先に進むことにした。

 平凡ながたそこそこ裕福な家庭に生まれ育った彼女は、五月蠅い・黒一色・無駄に顔が良い、と三拍子揃ったこの男が妙に嫌いになっていた。

 柳の方はというと、先の騒がしさはどこへやら、今度はぴたりと黙ったまま後をついてくる。


「…あーもう!何でついて来るんですか!」

「いや独りだと寂しくて」

「私はここに用があって来たんです!邪魔しないで下さい!」

「そうか、実を言うと俺もなんだ」


 苛立つ少女の剣幕をものともせずに、さらりと返す柳。

 あまりの温度差に冷静さを取り戻した彼女は、彼の発言に引っ掛かりを覚えた。

 まさか、と迷いながら、彼の意図を探る。


「……あなたもあの噂を聞いたんですか?」

「あぁ、赤子の噂を調べに来た」


 同じだ、と小さく舌を打つ。

 近頃この界隈で流れ始めた噂。

 それは路地裏の暗がりから赤ん坊の泣き声がするというものだ。

 その声の出所を探して歩いていると、いつの間にか体が縮んでいき、最後には泣きじゃくる赤ん坊になってしまうという。

 かくいう彼女も、その真偽を確かめるためにここへ来たのだ。


「確かに噂が流れだすより少し前には、この付近で多数の行方不明者が出ている」

「だけどそれは単なる偶然の産物で、赤子や妊婦の行方不明者はいないそうです」

「…随分とこの噂に詳しいな、チヨセ君」

「と、友達が噂好きで…」


 素直に関心する柳に視線を向けられ、深水宮は気まずそうに目を背ける。

 実を言えば、今の高校に来てからクラスメイトと話したのはほんの数回だけだ。

 気まずさの対処法を思案していた矢先、奇妙な音が聞こえてくる。

 微かな鳴き声が、前に広がる暗闇から響いてきていた。

「赤子の声…?」

 訝し気な柳をよそに、彼女の心は激しく動揺していた。

 初めに抱いた恐怖心も忘れ、一目散に走り出す。

 後ろで誰かが叫んでいるが、そんなものはもうどうでもよかった。



 ◆



「チヨセ君!おいどうしたんだ!!こんな所に置いてかないでくれ!!!」


 突然駆けだした深水宮(ふかみや)の後ろ姿が、前方の闇へと消えていく。

 先程まで彼女がいた所に立ってみるものの、既に彼女の姿は跡形もなかった。


「…クソっ!」


 自身の迂闊さに苛立ちを隠せず、思わず真横の壁を殴る。

 彼らがいる場所は、ただの暗い路地裏ではない。


「あの野郎…霊的結界だとは聞いてないぞ」


 外部と異なる摂理を張り巡らせた領域、結界が展開されている。

 それも呪術や魔法を駆使して作りだされる類のものではなく、何者かが発する純粋な霊的エネルギーによって生じた異界である。

 前者であれば彼なりの対処法もあるが、後者にはそのような隙はない。

 人口の迷路ならば出口を探すことができるが、天然の洞窟にはそもそも出入口が1つしかない場合もある。

 そして今は、その出入口が完全に閉じられている状態だ。

 だが、いずれの結界にも共通している点もある。

 その内の1つが、結界内の摂理を決定できるのは核となる者だけである点だ。

 深水宮に乗じて侵入することには成功した柳だが、結界の主からは酷く拒絶されているようで、一向に近づくことができないでいた。

 それは距離や時間の問題ではなく、結界内の摂理としてそうなっているからだ。

 そこまで思考を巡らせた所で、何か違和感が浮上してくる。


「俺は惑わせて、チヨセ君はおびき寄せた…?」


 何故だと首を捻ってみるも、これと断定できるものがない。

 性別か、順番か、それとも好みの差か。

 噂話を聞いて偶然やってきた彼女の何が、結界の主にそうさせたのか。


「…迷っていても仕方ないか」


 煮え切らない疑問を一旦終了させ、懐から1枚のお札を取り出す。

 名を『ケッカ・イヤブレール』というそのお札は、ふざけたネーミングの通り問答無用で結界を破壊できる凄まじい代物である。

 高額ゆえに踏ん切りがつかないでいたが、どの道このようなマジックアイテムを使わなければ状況は悪化するばかりだ。

 何より、最初からケチらず使っていれば、こんな状況にもなっていない。

 深く息を吸い込み札を掲げると、眩い光が辺りを塗りつぶした。



 ◆



 何もない真っ黒な暗闇を走り続けると、やがて開けた場所へと出る。

 裏路地の袋小路の真ん中に、見覚えのある段ボール箱がぽつりと置かれている。

 乱れる息も気にせず、段ボールへと駆け寄ると、中にいるソレがよりはっきりと見えるようになった。


「あぁ……ごめんなさい…あなたを独りにするなんて間違っていました……」


 歓声を上げてソレを抱きかかえると、無垢な顔が僅かに微笑んだように見えた。


「もう二度と離しません…これからはずうっとイっ諸でsUヨ…」


 愛しいソレを強く胸に抱き締めた彼女の瞳は、既にこの世を見ていなかった。

 現実と妄執が完全に噛み合い、止まらぬ歯車のように世界を侵していく

 ─────筈だった。



 突如として発生した白い光に、彼女達から溢れ出ていた瘴気が塗り潰される。


「ギ、アアアアアアアァァァァァァァァァァ!!!!」


 己の完全な世界を砕かれたソレは、人間のような悲鳴を喚き散らして深水宮の腕から逃げ出した。

 糸が切れたように倒れる彼女の身体を、光と共に現れた柳が抱きとめる。


「おおう、割とギリギリだったな!」

「…さて、肝心の君は果たして()()()かな?」


 深水宮を横に寝かせ、遂に異界の主を正面から見つめる。

 自分だけの世界を失い、影の中でもがき苦しむソレは、かつて人間として生を受けた筈の物である。


「…初めましてだな、お嬢ちゃん」


 辛うじて見える特徴を確認すると、柳はソレに優しく微笑みかけた。

 怪異の噂と結界を思わせる入り組んだ路地、そして何かしらの外的要因が合わさった結果が、この小さな体に濃縮されていた瘴気であった。

 本来ならば呼吸することすら厳しい程に虚弱な身体。

 それを未だ突き動かしているのは、人ならざるナニカではなかった。


「ァァ…アァァアァ……!」

「……そうだろうな」

「アッ……アァァァ…!」

「……それが君の生まれた世界だ」


 その命を燃やすような悲痛なうめき声に、彼だけが真意を読み取れた。

 次第に全身から力が抜けていくソレは、遂にうめくことすらできないようだ。

 柳がその体にそっと触れると、最後のうめき声と共に、体を覆っていた熱が静かに消えていった。


「ゥァァ…ゥゥ………」


 小さな者の最期の問いに、柳はぽつりと消え入るような声で答える。


「…当然だろう」



 ◆



 深水宮が目を覚ますと、夜は明けて眩い陽の光が辺りを照らしていた。

 傍らに腰掛けていた柳に気付くと、彼の方からも柔らかな笑みが返ってきた。


「お疲れ様。どこか痛めてないか?」

「は、はい。ありがとうございます…?」


 特に何かした記憶がないままに労われたことに首を傾げた所で、昨晩の出来事が脳裏によぎる。


「あの子はっ…私の子はどこに…!」

「…彼女ならここにいるよ」


 慌てて周辺を見回す深水宮に、柳が腕に抱えた物を差し出す。

 くるんでいた滑らかな布をほどくと、そこには手のひらに乗せられる程に小さな肉の塊があった。

 小さな命の痕跡に、彼女の視界がぐにゃりと歪む。


「あぁ…ごめんなさい…本当にごめんなさい……!」


 己の弱さが起こした悲劇をこの小さな体に背負わせてしまったことに、思わず涙が止まらなかった。

 ようやく涙が枯れた頃、静かに見守っていた柳が口を開いた。


「…これからどうする」


 それは、過去の罪に縛られた彼女に示した人生の岐路でもあった。

 また同じように小さな子と夢想の世界に閉じこもるか、現実と罪を受け入れて未来を目指すか。

 彼女の答えは、もう決まっていた。


「…警察に自首した後に、この子の供養をするつもりです」

「ならまず、ご両親に打ち明けろ」

「……はい。凄く怒られるだろうけど、もう隠したりはしません」


 強さの光を湛えた瞳は、彼女の本当の覚悟を理解させるには十分だった。

 最後に一礼をして去っていく背中に、柳はもう一度呼び掛ける。


「チヨセ君!!!!!」

「…何でしょう」

「……君は、その子を愛しているか?」


 真っ直ぐな眼差しで見つめる彼を見て、深水宮は少し黙った後にこう告げた。


「…あの時の私は、自分の不幸ばかり考えて、この子自身を見てやれてなかったと思います」

「でも、昨日この子の体を少しだけ抱いた時に分かったんです」

「『あぁ、あの時もこうやって抱き締めてほしかったんだろうな』って」

「例えあんなことをしても、この子が私の下に来てくれた事実は変わりません」

「─────愛してます。この子が生まれ変わっても、私が独りで死ぬことになっても、ずっとずっと愛してます」


 そう言って静かに口づけした彼女の姿は、朝焼けの町へと消えていった。

いかがでしたでしょうか。

見切り発車で書き散らしましたが、楽しんでいただけたら幸いです。

ここもっとこうした方がいいよ等のご意見・感想などございましたら、コメントの方よろしくお願いします。


それでは、ここまで読んでくださった皆様、誠にありがとうございました。

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