幸田露伴・田村松魚 合著 「もつれ絲」現代語勝手訳(7)
其 七
汚い小風呂敷に包まれているのは米であろうか、藁包が膨らんでいるのは黒い色をした沢庵漬に違いない。たとえれば、鬼の首でも取ったように、一つはお須磨が脇の辺りに抱え、一つは榮太郎が右の手に提げながら、
「父様、母様、ただ今帰りました」と、同時に頭を下げる殊勝さ。姉は十六で、肩上げ(*大きめに作られた着物のゆきの長さを調節するため、肩のところに縫いあげておく方法)もまだ取れない花の蕾。弟はそれよりも二つ下で、普通の腕白盛りの小僧だが、くりくりとした丸顔で、目鼻立ちに利発さと温和しさが顔色に見われて、増せてはいないが、年齢よりは身体も大人びている。
母は、両人の姿を見るや、今まで憂愁で曇らせていた目を直ちに晴れやかな目元に変えて、暖かい情を籠め、
「オオ、お帰りか。さぞかし今日もご苦労だったことだろう。父様もお前たちがそうやって仲良く孝行をしてくれて喜んでおられます。ご病気も今日は大分快いようだから、安心しておくれ」と、そう言うのは、せめても両人の労を慰藉うためである。
父の榮吉も寝返りをして、皆の方を向き、じっと両人の顔を見詰めながら、
「お須磨も榮も帰ったか」と、淋しい口元に笑みを湛える。
「父様、ご気分はいかがでございます。アア、お顔の色が大分好いのでうれしいです。母様、父様のお顔色が、今夜は大変好いではございませんか。やっぱりあの厭な宗安という医者をお止めになって、村一番の倉瀬の先生に診ておもらいになったのがよかったのでしょう。それに、榮と私とが毎朝お萱婆さんの所に行く道に八幡様があるので、そこにお参詣をして、父様がお全快りなさるようにとよくお願いしておりますから、ご利益があるのでございましょう。ねえ、母様」とお須磨が言うと、すぐ後から榮太郎も言葉を添えて、
「それから母様、あのお萱婆さんがお百度を踏むと好いと言いましたので、毎朝姉様が五十度、私が五十度、合わせて百度、鳥居際の百度石の所から裸足になって、ぐるりと御堂を廻るのでございます。今朝も廻っておりますと、あの大きな椋の木に椋鳥が沢山来て、羽ばたきをしては、チイチイと喧しく鳴いておりますので、私がツイと空を仰ぐと、どうでしょう、私の頭の上に温かい糞をぴっしゃりと仕掛けました。私は腹が立ったので、御堂の羽目板をドンドンと叩き、音をさせて椋鳥を驚かせてやったのですが、姉様がそういうことはしない方が好い、鳥の糞が掛かったのは縁起が好い、きっと父様のご病気が平癒るのだと言いましたから、私も許してやりました」と、あどけない話。
「オオ、そうでしたか、それはまあ、感心なこと。毎朝姉弟でお百度を、マア……」と言う声も震えた。
お須磨は母の顔がにわかに悲しげな色を帯び、母様の癖である、帯の間に左手を差し入れて俯き、唇を噛んでいる様子を見て、また悲しいことを思い出されているのかと、小さい胸を痛めながらも、気持ちを励まし、
「母様、今日は榮と二人で一生懸命になって働きましたので、お萱婆さんが大層褒めてくれまして、平生よりも働賃を増してくれました。これをご覧ください。お米がこれだけと、お香の物も添えてくれました」と指さすと、急に思い出したように、
「アア、母様、忘れていました。今すぐご飯を炊きます」と言いさして、忙しげに土間に降り、今の小風呂敷を解いて、仕事に取りかかれば、
「姉様、水は榮が汲みましょう」と、榮太郎も勢いよく立ち上がった。
その日の食事をその日に得た米で炊いて、僅かに飢餓を凌ぐ、その日暮らしの浅ましさも、貧に馴れれば自ずと我慢も忍耐も出来ようというもの。
お須磨が甲斐々々しくこしらえた粥米の最初の一掬いを、昔日の栄華の名残をとどめた剥椀に盛って、先ず父に差上げれば、榮吉は何度も子に礼を言って、それを手にし、箸を取ると、その横から妻のおこのが梅干しの外皮を剥いて、箸で柔らかい肉の所だけを取り分けるなど、良人を思い、父を思う妻子の真情が狭苦しい一室に満ち溢れれば、夜風が破れ窓から怪しい音を立てて襲いかかるけれど、この暖かい団欒を奪うことはできないであろう。
やがて榮吉が満足げに箸を置いた後、おこのも両人の姉弟を前に座らせ、貧しいながらも楽しく嬉しく食事を終えた。秋の夜は長いので、まだまだそれほどまでには更けもせず、ただ辺りがひっそりとして静まりかえり、時々稲妻が青い影を障子に映すと、破れた紙窓の隙間から頻りに瞬く星の数も数えられるだけで、人の心が自然と沈んでいくような夜の景色であった。
こうしてお須磨は台所仕事を終え、室の片隅から煤けた一つの紡車を取り出すと、自分も後れまいと榮太郎は土間に降りて、一枚の筵を敷き、二束、三束の藁を取り出した。それを見た母のおこのも手にしていた煙管を投げやって、突と立ちながら、古ぼけた怪しい戸棚の中から、渋を引いた畳紙を取り下ろし、村長が愛娘に着せる物だろうと思われるけばけばしい衣を縫うべく、そこに広げた。
三人は今、同じように夜仕事に取りかかりながら、室の格好の場所に掲げられた豆のように小さく、薄ぼんやりと眠たげな光りを照らす洋燈の火の下で、そんなか弱い光を気にすることもなく、各自の手は勢いよく動き始めた。
紡車の回転する音がブーンブーンと調子づき、絲が細く長く引かれて抛げかけられると、見る見るうちに紡錘に貫した篠は太って行く。その傍らで藁を打つ槌の音がトントンと響けば、早くもさらさらと縄は綯われ、それを投げ出した両足の母指に引っかけて、例えば児童が遊ぶあやとりの千鳥や川のような形の物を造り、それによく打った藁を編みかけ編みかけして草鞋を作るのは榮太郎である。母のおこのの針を持つ手の運びは大層早く、絲をしごく毎に衣の音がシュウシュウと冴え渡るなど、人は恰も機械を仕掛けた機関人形のように倦まず怠らず、しばらくは時間と闘っていたが、その静寂を時折破る病人の苦しげな大きい咳が聞こえると、三人は申し合わせたようにそちらへ視線を注いで、気遣わしげな眼を互いに見合わせるが、その顔の色には皆同じような愁いが雲のように漂っていた。
おこのは今しがた両袖を付け上げ終えて、結構よく嗜むのか煙管を取り上げて、一吸い深く吸ってから、
「お須磨や」と呼びかけた。
「ハイ」と答えて顔を上げれば、母はそれをじっと見ながら、また良人の方を見返って、
「もし、あなた、先刻のあの話を決めてはどうでございましょう。明朝早くというのですから、どうするか話を決めておかないとなりませんが」と言えば、
「オオ、そうだった。それならお前がよくお須磨にも話してみるがよかろう」と言う。
「そうでございますね。それに榮坊はまだこの話を少しも知らないので、こんな風に皆が揃った所で話を決めた方が後に思いも残りませんので、劫って好いかと思います」と言って、煙管を置き、居ずまいを正せば、お須磨も榮太郎も真面目な顔になり、真剣な眼差しを母に送った。
つづく