幸田露伴・田村松魚 合著 「もつれ絲」現代語勝手訳(5)
其 五
「この村へ入って、土橋を渡り、一町ばかりこちらへ来ると、櫨の木が紅葉した小径の芝原で、一人の婆様が孫を遊ばせていたので、この村で評判の孝行娘の家というのはどこだと尋ねますと、老人にしては分かりが早く、その娘の家はまだこれから三、四丁も奥へ、この道を右へ右へと行くのだが、その娘に会いたいというのなら、ついこの先のお萱婆さんという大きな榎木のある家にその娘が雇われて仕事をしているので、そこへ行けば直ぐに分かりますと、腰が大層曲がった割にしては、耳も眼も達者と見えて、てきぱきとした言葉で教えてくれました。それで、そのお萱婆さんとかいう家を訪ねてみようと、その家へ参って、その婆さんに会いまして、実はこれこれで、わざわざ訪ねてきたのだと話をしますと、今日は籾磨とかで、大層忙しそうなところを気長く話の相手になってくれまして、それならその本人にあって見なさるのが好かろう。お前様は孝行娘という評判だけを聞いて、ここまで尋ねてお出でだと言うが、会ってみてもう一つ吃驚なさることがあろう。こんな片田舎でもお江戸の水で育った縹緻好しがいるので、村の鼻も高いというものじゃ。お前様も見かけたところは江戸の人らしいが、どうも、いやはや、お江戸という所は滅法美麗な婦人がいる所と見えると、独り合点をして、ほくほく喜びながら、やがて連れてきた娘を見ますと、成程、お萱殿が自慢されたのも道理。縹緻といい、行儀といい、何から何まで見上げた品の気高さに、アッと感服したのでございます。それから色々と婆様とも娘とも話をしてみますと、お須磨様と言ってこちらのお娘御とのこと。それでは私が参った次第の概略をお話いたしますので、失礼ながらちょっと親御様にその旨を申し上げておいてくださいませんか、そうすれば後ほど参って話をするにも話が早く分かって大変都合が好いからと言うような訳で、実は先刻お娘御にお言付けいたしましたような次第。マア、話の筋は以上、ただ今お話しをいたしましたようなことでございますが、どうでございます。私も乗りかかった舟とやらで、わざわざ要らぬ男気を出してここまで足を運んで参りまして、このまま帰るというのも、折角思い立った考えを泡が消えたように形無しにするのも不本意。一つ骨を折ってみようと思いますが、お考えはいかがなものでございましょう。こう言っては失礼ながら、お見かけした所、イヤ、あのお萱婆さんからもちょっと聞いてみれば、色々ご不幸が続いて思わぬご難儀をされておられるとやら。それにご主人の長のご病気、かてて加えてこの頃の世間全般の不景気、イヤもうお察しいたします。それにご親戚筋に好からぬお人が居って、残酷い薄情なことをこちら様にしているということもチラと耳にいたしましたような次第。何やかんやと心細いことであろうと、これも何かのご縁であるのか、他人様のことのようには思われません。私共の出る幕ではないだろうと、一応は二の足を踏んでもみましたが、どうもこのまま手を引くというのは私の気性として出来ないというような訳で、そこで早い話、さっき申しました扇面亭の方へお娘御をお遣わしなされてはどんなものでございましょう。こう言ってはお気に障るかも知れませんが、一日朝から晩まで荒仕事をして、米代にも足らないような僅かな賃金でお可哀想にあんなに実直に生まれついたお娘をお働かせになるというのは私どもの目から見ますと、いかにもお気の毒に思われます。で、扇面亭の方へお遣りになれば、先ず何年かの年期を入れて前借金が若干とまとまってお手に入る上に、奉公が済めば、また一月、少なくても十円足らずくらいの金額は給料や心付けやらというもので取れるという訳。そうしてみれば、ただ今のようなことをさせておくのとは第一、仕事の難易は言うに及ばず、損得の違いは大きいものでございます。そうやって、先ずその前借の方で一時をお凌ぎなされて、それからぼつぼつと給料の内のいくらかをお廻しになった上で、ゆっくりとお考えをお決めなされば、今のご難儀は直ぐに昔語りの一つになるような運になりますのが眼の前にありありと見えるようでございます。しかし、私一人で独り合点をして喋った所で、一向にお返事がなければそれまでのことでございますが、どんなものでございましょう?」と、心の内はいざ知らず、顔色は誠実の色を表して、長々しい話の筋道も正しく、利害も細かく、疲労れた様子もなく、弁舌巧みに説いたのであった。
つづく