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幸田露伴・田村松魚 合著 「もつれ絲」現代語勝手訳(19)

 其 十九


 か弱いけれど、少女の一念は少しも揺らぐことがなく、百錬鍛えられた鉄より固いということになれば、どんな折檻の(むち)もまったく効果がないので、ならばこの上の苦を味合わせるには(じき)責めにするより他はないと、鬼々(おにおに)しくも、とある物置めいた真っ暗な、畳も天井もない一室に投げ入れ、外から()()と錠を差し、根を上げるまでの禁固(いましめ)とした。

 両の手足を骨が砕ける程に(いまし)められて投げ入れられたお須磨は、しばらくは人心地もなかったが、やがて苦しげにホッと一ト息()くと同時に我に返った。眼を開いて辺りを見えれば、身はただ常闇(とこやみ)の冷たい板の間に打ち倒されて、手足の自由さえ利かず、身体のあちこちが強く痛んだ。深夜の寒さが針のように深々(しんしん)と刺し込み、遠吠えの犬の声が(はらわた)に染み入るように聞こえるだけで、四方はひっそりと静まりかえっている。


 この時、お須磨は今の自分の身の上をしみじみ思いやったが、ただもう、どうしようもないほど、ひたすら悲しく、情けない思いが胸に溢れて来て、次から次へと玉のように連なる涙がハラハラと頬を伝い、言葉も無くそこに泣き伏した。泣くまい、泣くまいと直ぐに何度か心を取り直したけれど、生憎溢れる涙が身も浮く程にもなれば、今はただ、思いのまま泣いて泣いてこの夜を泣き明かそうと、少し前の雄々しい気持ちに似つかわしくなく、取り乱してしまうのであった。


 その夜もいつしか明けたけれど、日の光りが射す窓もなく、早朝の寒気がいやでも増す床の上に、お須磨は今、端然と座った。胸の思いは千々に砕けて、思えば思う程、考えれば考えるほど、果敢(はか)なさ、辛さ、恨めしさ、口惜しさの思いだけが募り、父を懐かしみ、母を()い、弟を(した)い、これまでのことを悲しみ、これからのことを恐れる気持ちだけが迫り来るけれども、これも我が身の運命が(つたな)くて、こうなった身の上、今更人の虚偽(いつわり)(いきどお)り、人の無常を怒り、恨み、泣いたりしてもどうなるものでもない。ただ婦女(ふじょ)の守るべき道を固く守り、たとえこれ以上の厄難が迫ったとしても、一度決心した一念は(ひるがえ)すまい、汚れた身となり果てて生き長らえ、父上母様に再びお会いした時に辛い思いをさせないよう、やむを得なければこの身を殺してでも、短い一生を潔くして父上にも母様にも未来(あのよ)でお褒めの言葉をいただこう。考えてもどうしようもない繰り言に身を悩ませるよりは、まさに襲いかかろうとしている災厄と闘うことを考えなければならないのだ。今は何を嘆くことがあろう、何をさらに悲しむことがあろうと、小さい胸に雄々しくも気持ちを奮い立たせて面を上げたが、早や日も高く昇り、暖かい気が戸外(そと)に満ちたと思われて、僅かばかり、一方の壁の崩れかかった所から光りが照り入って、庭に雀の(さえず)る声などが聞こえてきた。


 (いまし)められた手首の痛みが激しいので、どうしてもこの縄目を解きたいと考えに考え、やっとのことでようやくそれを噛みきり、それから足の縛めを解いてなどしている中に、早くも日は正午(ひる)過ぎになったものと思われた。壁の崩れた小穴から明るい影がキラリと射し入っていたので、思わずそちらに身を寄せて、隙間から向こうを見れば、そこはこの家の裏庭で、雨落(あまおち)(*軒先から落ちる雨水が跳ねるのを防ぐため砂利などを敷き詰めた場所)の傍に少し大きめの池が作られてあるのが見えた。半ば落ち葉に埋もれて、水もほとんど涸れているけれど、なお僅かばかり凹んだ方に濁った水が溜まっており、痩せ細った緋鯉、小鮒などが三つ四つ哀れ気な余生を保っていた。それらが暖かい日光の恵みを受けようとしてか、浮き出て来て、水垢などを呑んでは吐き出している様子が大変物珍しくも哀れに見えたので、眼も離さず見やっていたその時、自分の肩越しに何かハタリと前に落ちた物があった。何かと見れば、それは無情な人の手で握られた小さい握り飯がただ一つそこに落ちているのであった。

 お須磨はそれを見やっただけで手にさえも触れず、再び向こうの小魚(こうお)の様子をじっと眺めていたが、小さい(ひれ)をびりびりと震わせて、力なげに落ち葉の下を泳いでおり、漁るべき餌も無くてか、やつれ果てた様が今の自分の身の上に重なって、大層哀れに思えた。試みに握り飯の一粒、二粒を指の(さき)(はじ)いて与えれば、自然に水の底に沈んで来たのを見て、小魚はそれに寄せられて、互いに餌を争う様子。お須磨はそれをじっと眺めていたが、何か深く感じたものがあったのだろう、ハラハラとまた涙を落とした。


次回、最終です。

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